yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第二十六話 人がやらぬことをやる -実業家・政治家 堤康次郎-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

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第二十六話人がやらぬことをやる

軽井沢、千ヶ滝温泉。
この地の別荘を見渡す丘に、ある銅像があります。
千光稲荷神社の近く、参道横の並木道の先にあるのは、堤康次郎の像です。
台座に刻まれた文字は、元総理大臣の佐藤栄作によるもの。
緑の中に威厳を持って立っている銅像は、右手にステッキを持ち、左手はポケットに入れています。
西武グループの創始者にして、衆議院議員、「ピストル堤」の異名を持つ、日本の風雲児。
異名を知っている人には、左手のポケットの先には、ピストルがあるのではと想像してしまうほど、圧倒的な存在感です。
彼は、かつて、何もない平原だった軽井沢の土地を買い、この地をリゾートエリアに変えた先駆者のひとりです。
さまざまな事業に挑戦し、挫折や失敗を味わいながら、西武グループを大きくしていった康次郎の原点とでもいうべき開発。
それが、この千ヶ滝なのです。
後に彼は言いました。
「私は、ひとのやらぬこと、やれぬことのみをやった」。
浅間山麓のゴツゴツした黒い溶岩群を、「鬼押出し」という観光地に変えてしまった男、軽井沢の中心地から離れた沓掛(くつかけ)を、一大レジャータウンにしてしまった男、堤康次郎。
彼が心に持っていた人生のyesとは?

実業家にして政治家、西武グループの創始者・堤康次郎は、1889年3月7日、滋賀県に生まれた。
実家は農家で、麻の仲買もやっていた。
5歳で母が亡くなる。彼は妹とともに祖父母に預けられた。
農業のかたわら、肥料などの商いをする祖父を幼少のころから手伝った。
祖父は相場などにも手を伸ばすが、失敗に終わる。
祖父の遺言はこうだった。
「堤の家の再興は、金を儲けよというのではない。金儲けもよいが、それより名誉ある堤家にしてくれ」。
康次郎は、故郷の土地を担保に金を借り、早稲田大学に入学した。
大学では、今で云う学生企業家。
あらゆるベンチャーに手を出した。造船、郵便、真珠。
政治活動も活発に行い、人脈を作った。
何をやってもうまくいかない。
そんな彼が最後の頼みの綱に選んだのが、不動産だった。

1915年。26歳の堤康次郎は、当時の軽井沢、沓掛駅に降り立つ。
黒い詰め入りの学生服に帽子、マントを羽織っている。
郵便局も、鉄工所の経営もうまくいかず、背水の陣で乗り込んだ。
知人を介して彼はこんな情報をつかんだ。
「長野県軽井沢には、今、西欧人が集まっている。避暑地として、これから発展しそうだ」。
彼の商いのアンテナはそれを逃さずキャッチした。
沓掛は、軽井沢の別荘地から離れていてまだ手つかずだった。
いきなり村長に会いにいき、こう言った。
「僕は、大隈重信公の秘書です。ここに別荘地を作りたいと考えています。100万坪くらいのできるだけたくさんの土地を売ってくれませんか?」

堤康次郎の申し出に、村長たち住民は、困惑し、拒否した。
見ず知らずの若者に、売るわけにはいかない。
ただ、悪くない話ではあった。
国道が完成し、ますます中山道はすたれていくだろう。
かつて沓掛宿(くつかけしゅく)として栄えた宿場町も次の一手を打たねばならぬ時に来ていた。
若者は、諦めなかった。何度も何度も、村長の家の戸を叩いた。
「お願いします!お願いします!ここを別荘地にしましょう!」
100万坪買うと言っておきながら、帰りの電車賃が無く、地元のひとに借りることがあったという。
ある日、康次郎は、大金を持ってきた。
今のお金でいう数億円にもなる札束を村人に見せた。
村長は、ふっとため息をつき、「わかりました」と返事をした。
実は、このお金、半分は友人から見せ金として借りたもので、残りの半分は新聞紙だった。
こうして、26歳の若者に、未来が託された。
ここから康次郎の快進撃が始まる。

堤康次郎は、1918年に「千ヶ滝遊園地株式会社」を設立。
何もない土地に、道路をつくり、水道、電話、電灯など、インフラの整備を始めた。
100坪の土地に2部屋の山小屋風の別荘を建て、売り出す。
土地付き別荘は人気を博し、瞬く間に売れた。
「千ヶ滝温泉」という共同浴場もつくろうとした。
ただ、お湯の温度が低い。
万座温泉の湯を引こうと浅間山を車で移動。
そのとき、浅間山から噴き出した溶岩が固まったゴツゴツした岩を見た。その異様な光景に感動を覚える。
「ここは、観光地になる」
すぐさまその土地を買う。使い道のない土地は、安く手に入った。
誰も見向きもしないものに価値を見つけ、そこに価値をつくる。
誰も来ない場所に、みんなが来たくなるものをつくる。
康次郎は、黒い奇岩群を「鬼押出し」と名付けた。
軽井沢の人気観光スポットの誕生だった。
中軽井沢の土地開発の成功を受けて、彼は箱根にも着手する。
強羅、仙石原、芦ノ湖、ここでも100万坪を手に入れ、「箱根土地株式会社」を設立。これがのちのコクドに発展する。

軽井沢の開発も手を緩めなかった。
軽井沢プリンスホテルの開業。
戦後のゴルフブームを見据えた、軽井沢72の開設。
このゴルフ場の設計には、当時としては珍しく、外国人の設計士に依頼した。
アメリカの有名ゴルフ場設計者、ロバート・ジョーンズ氏。
地蔵ヶ原一帯は、リゾートゴルフ施設に姿を変えた。
プリンスというブランドは、軽井沢で開花した。
康次郎の先を見る目。それはおそらく、若い頃の失敗に裏打ちされている。
「二匹目のどじょうはいない。どんなに辛くても、最初のどじょうを狙う。ひとがやらないこと、やれないことをやる!」

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PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

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NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

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