第七十三話深い仕事はひとを幸せにする
都会生まれの都会育ち。しかし、彼の激烈な人生は、彼をさまざまな場所にいざない、やがて、淡路島の山の中で暮らすまでに至ります。
どんな状況下においても、彼の目線は常に優しく、子供たちに寄り添うことをやめませんでした。
その言動はときに批判を生むこともありましたが、彼が残した文学作品には、灰谷健次郎の魂の叫びとも思える言葉が息づいています。
17年間の教師生活を経て書いた『兎の眼(うさぎのめ)』は、従来の児童文学の枠を超え、高い評価を得ました。
この作品は、1979年に路傍の石文学賞を受賞します。
『わたしの出会った子どもたち』、『太陽の子』、長編『天の瞳』など、精力的に執筆を続けました。
子供の目線を大切にしながらも、描かれている世界は、普遍的で示唆に満ちています。
『太陽の子』には、こんな一節があります。
『自分の方に理があると思っているときほど、よく考えて行動しなくちゃいけない。居場所のなくなった相手に、自分の方に理があるからと言って、一方的に攻め立てるのは、本当に勇気のある人がすることなの?人は時に憎むことも必要な場合もあるのでしょうけれど、憎しみや怒りにまかせて行動すると、その大事なところのものが吹っ飛んでしまうのが怖い。憎しみで人に接していると、人相が悪くなるわ。正義もけっこうだけど、人相の悪い人を友達に持ちたくない』。
児童文学作家、灰谷健次郎が人生で見つけた明日へのyes!とは?
児童文学作家、灰谷健次郎は、1934年、兵庫県神戸市に生まれた。
父は神戸の造船所の職工だったが、賭け事にのめり込み、家にお金を入れなかった。
兄弟は7人。貧しかった。
灰谷は、生まれながらの虚弱体質。
それでも早くから家計を助けるため、自分の学費を稼ぐため、働いた。
高校時代は、昼間、印刷工などをして働き、定時制高校に通った。
ひとと交わりたい、ともに語りたいという強い思いとは裏腹に、常に孤独を好んだ。
高校時代を知るクラスメートは、そんな灰谷を後にこう評した。
「彼は、結核を病み、仕事を転々として、排他的で孤独だった。クラスの誰とも口をきかず、いつもみんなに背を向け、本ばかり読んでいた」。
体が回復するにつれ、積極的にひとと交流するようにはなったが、当時の孤独は、彼に人生と向き合う機会をつくった。
定時制高校の商業科を卒業。
大阪学芸大学、現在の大阪教育大学の受験に成功するも、おさめなくてはならない入学金のあてがない。
そんなとき、友人のひとりがこう言った。
「どうせオレは学校に行ける境遇じゃないから、灰谷、これ、使えよ」。
友人は、貯金をおろして灰谷に貸してくれた。
そうして、彼は大学に入り、教職をとる。
小学校の教師になって、子供に寄り添う時間が始まった。
児童文学作家、灰谷健次郎は、17年間、教師を務め、子どもと向き合った。
でも、兄や母の死を経験し、教師である意味を見失い、教職を捨てる。
沖縄を放浪した。サトウキビ狩り、パイナップルの皮むき、土木作業員、仕事はなんでもやった。
空き家に住み、世捨て人のように生きた。
小さい頃から自分を守ってくれた兄を助けられなかった自責の念は彼を激しく揺さぶり続けた。
あるおばあさんに出会う。彼女は戦争で家族を亡くしていた。
灰谷は、こんな言葉をかけてもらう。
「自分を責めて生きても、死んだひとは生きかえらんし、喜ばんさあ。わたしらが、元気に生きるのは、亡くなったひとの分まで精一杯、生きるためなんだあ」
そのとき、灰谷は気づいた。
これまで出会った子どもたちも、今こうして逢っているおばあさんも、みんな自分を導いてくれている。
亡くなったひとを心に生かし続けて、自分はもう一度生きなくてはいけない。
そうして灰谷健次郎は、神戸に戻り、狭いアパートを借りた。
そこにこもって4か月で書き上げたのが、『兎の眼』だった。
児童文学作家、灰谷健次郎は、書いて書いて書き続けた。
そうしてたどり着いた境地は、こうだった。
『仕事が深ければ深いほど、いい仕事であればあるほど、人の心に満足と豊かさを与える。そして、人の仕事はこれまで、色々学ばせてもらったことへのお礼。いつも人の役に立っているという、心棒がなければそれは仕事ではない』。
灰谷は、住まいを転々と変えたが、ひとつだけ住む場所に共通点があった。
海があること。幼い頃、神戸に暮らした原風景は、心の奥に生きていた。
淡路島に暮らし、土とともに生きた。
神戸に『太陽の子保育園』をつくった。
新興住宅地の中に新設したが、その保育園には農園がある。
毎年いろんな野菜がとれる。きゅうり、ピーマン、かぼちゃ、子どもたちも土とたわむれる。
彼らは幼いうちから、食べ物は自然からいただき、そこには人間の知恵と労働があることを知る。
食べ物は、いのち。
そして、彼は子どもたちに知ってほしいと願う。
深い仕事は、ひとに喜びを与え、幸せをさずける。
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ひとりぼっちはやめた / 矢野顕子
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