第二百二十七話最後までやりぬく
7月の開催を前に、東京の街はさらに加速して変貌を遂げています。
56年ぶりの東京でのオリンピック。
どんなドラマが起こるのか、今から期待が膨らみます。
日本初の女性の金メダリスト、前畑秀子(まえはた・ひでこ)は、和歌山県に生まれました。
1936年8月11日、ナチス政権下で開催されたベルリンオリンピックの平泳ぎ200メートルで、ドイツ代表のゲネンゲルを僅差で破り、見事金メダル。
ラジオの生中継に日本中が熱狂しました。
「前畑、がんばれ!」「前畑、がんばれ!」。
アナウンサーは20回以上繰り返し、伝説の放送として今も語り継がれています。
前回大会のロサンゼルスオリンピックで銀メダルだった前畑は、この大会でどうしても金メダルを獲らなくてはなりませんでした。
「もし金メダルを獲れなかったら、私は帰りの船で海に飛び込み、日本には帰らない、帰れない」
そう、周囲のひとに話していたといいます。
なぜ、そこまでして金メダルにこだわったのか。
そこには、彼女の悔しさがありました。
そこには、母の教えがありました。
平泳ぎで200メートルを泳いでいる間、彼女はいっさいまわりが見えなかったと言います。
今、自分が何位で、ライバルはどのあたりにいるのか、全てが消え、ただひたすら前へ前へと泳いだのです。
16歳のとき、相次いで両親を脳溢血で亡くし、自らも後年、脳溢血で倒れましたが、リハビリを重ね、指導者としてプールに戻ってきました。
逆境に負けない不屈の精神は、最期まで彼女を支えたのです。
戦禍の中、失意を抱えていた日本人に勇気を与えた金メダリスト、前畑秀子が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
日本人女性として初めての金メダルを獲得した前畑秀子は、1914年、和歌山県に生まれた。
家は、豆腐店。
決して裕福とは言えなかったが、両親、兄弟に大切にされた。
前畑は幼い頃から体が弱く、医者に「5歳まで生きられたらいいんだが」と言われた。
我が子を死なせてなるものかと、母は高野山に何度もお参りし、「どうか、お助け下さい」と懇願した。
さらに目の前を流れる紀ノ川に連れていき、泳ぎを教えた。
泳ぐことがいちばん体を元気にすると信じていたからだ。
兄弟たちも一緒に川で遊ぶ。
最初は母の背中で水に泣いていた前畑も、徐々に水になれ、やがてひとりで泳げるようになった。
初めて母の背を離れたときのことを、前畑が覚えている。
ふわっと体が浮く。
怖さの次に、ワクワクするような解放感がやってきた。
泳げば泳ぐほど楽しくなる。
気がつけば、毎日ひとりで川に出かけるくらい好きになっていた。
どんどんたくましくなっていく我が子に、川岸で見守る母は目を細めた。
小学4年生のとき、学校に水泳部ができた。
プールはない。川に板を置きスタート台をつくる。
25メートル先に杭を打ち、ターニング台も設置。
天然の25メートルプールが完成した。
水泳部に入った前畑は、上級生よりも速く泳ぐことができた。
彼女の泳ぎには、母の愛が寄り添っていた。
「前畑、がんばれ!」で知られる水泳界のレジェンド、前畑秀子は、小学5年生のとき、女子50メートル平泳ぎで学童新記録を出す。その後も尋常高等小学校高等科に進んでも、日本新記録を樹立。
高等科3年のときには、ハワイで行われた、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどの選手が参加する「汎太平洋女子オリンピック大会」に出場。
100メートル平泳ぎで、見事優勝した。
外国の選手と対等に戦えるという自信がつく。
彼女の心に「オリンピックに出られるかもしれない…」という思いが初めてふくらんだ。
でも、家は貧しく、高等科を卒業したら、家業の豆腐店を手伝わなくてはならない。
進学して水泳を続ける道は諦めようとしたそのとき、自宅にひとりの男性がやってきた。
彼は名古屋にある椙山高等女学校の教師。
前畑の両親にこう言った。
「お嬢さんは我が校のプールで模範水泳を見せてくれたんですが、その泳ぎに校長が感動しまして、よければ、寮での生活費、学費はいっさいこちらで負担しますので、我が校に来てください!」
いちばん迷ったのは、前畑本人だった。
家を守る、両親を助けるのがイチバンだと考えた。
でも、母は言った。
「名古屋に行きなさい。でもね、やりかけたことは最後までやりなさい。どんなに苦しくても、水の中なら何百回泣いてもいい。水に汗が流れ落ちるくらい練習しなさい。いいね、秀子」
前畑は、涙を流して深く頷いた。
前畑秀子は、頑張った。
椙山高等女学校でも頭角を現し、新記録を更新。
校長もオリンピック出場を想定して練習メニューを組むようにコーチに指示した。
そんな冬のある日。
突然の訃報だった。
母が脳溢血で亡くなる。
数か月後、今度は父も脳溢血で亡くなった。
悲嘆にくれる。
水泳などやる気にはなれない。
学校を辞めて実家に帰ると校長に告げた。
ふるさとに戻った前畑は、母の愛をあらためて知ることになる。
兄から聞く、母の思い。
「お母さんはね、おまえの活躍を心から祈っていたんだよ。いつだって、秀子はがんばってるかな、秀子は泣いてないかなって心配してたんだ。あの子はいつかオリンピックに出て金メダルを獲るかもしれないって、近所のひとに自慢してたんだよ。秀子、学校に戻るんだ。こっちは大丈夫だから」
泣いた。
泣きながら、思った。
絶対に、金メダルを獲る。
そう誓った。
名古屋に戻った前畑は、もう迷わなかった。
練習に励む。
辛いときも悔しいときも、いつも母の言葉を思い出してプールの中で泣いた。
「やりかけたことは最後までやりなさい。どんなに苦しくても、水の中なら何百回泣いてもいい。水に汗が流れ落ちるくらい練習しなさい。いいね、秀子」
前畑は、手を抜かない。
前畑は、がんばれと応援される前に、十分頑張っていた。
だから、金メダルが取れた。
いちばん高い表彰台に立つと、そこに母がいるような気がした。
【ON AIR LIST】
SWIM / Jack's Mannequin
THIS IS TO MOTHER YOU / Linda Ronstadt & Emmylou Harris
NIGHTSWIMMING / R.E.M.
LIFE ~ステイ・ゴールド / Stevie Wonder
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