第百九十九話誰ともつるまない
岐阜県の中で最も小さなこの町に生まれた、伝説のフォークシンガーがいます。
高田渡(たかだ・わたる)。
反戦歌『自衛隊に入ろう』、沖縄出身の詩人、山之口貘(やまのくち・ばく)の詩に曲をつけた『生活の柄』など、数々の名曲は、今も若者たちの心をつかんで離しません。
北方町では、月に1回「WATARU CAFE」が開かれ、高田渡の歌や生き方を継承しています。
群れるのを嫌がるひとでした。
口先だけで行動しないひとを、静かに軽蔑するひとでした。
嘘や欺瞞、権力にへつらうひとには、容赦ありませんでした。
ただ、大声をはりあげたり、声高に生き方を説くような歌い方はしませんでした。
あくまで淡々と、日常に向き合い、己を見つめる。
そんなストイックな語り口は、彼の心のさみしさとせつなさを具現化していたのです。
とにかく、お酒が好きでした。
56歳でこの世を去る、その少し前も、ステージで歌い続けました。
ヘロヘロでリハーサルを終えても、本番には考えられないような歌声を披露する。
「ボクの肝臓の値はね、寺山修司を越えたんだよ」
周囲をなごませるユーモアをいつも忘れませんでした。
ひとなつっこく、誰にでも優しい。
特に、うまく生きることができないひとへのまなざしは格別でした。
「いいんだよ、人生なんてもんは、うまく生きられないやつが上等なんだ。生き方が上手なんて、なんの誉め言葉でもないんだよ。ただね、ひとりを怖がっちゃいけない。ひととつるんでばかりだと、人生は逃げていくよ」
多くのミュージシャンに影響を与えた反骨のフォークシンガー・高田渡が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
伝説のフォークシンガー・高田渡は、1949年、岐阜県北方町に生まれた。
実家は、祖父が興した材木商。
濃尾の大震災で財をなしたが、投資に失敗。
さらに跡を継いだ高田の父が、残りの財産を食いつぶす。
父は、文学に傾倒。詩を読んだ。
ただ詩の世界に耽溺(たんでき)する仲間が嫌いで、出版社に就職。
やがて太平洋戦争が始まると、共産党員になって、戦争反対を訴えた。
高田は、幼心に、いつも堂々としている父を見ていた。
まわりから疎んじられても、気にしなかった。
少しでも困っているひとがいたら、私財をなげうち、東奔西走。
わが町を少しでもよくしようと、一生懸命だった。
かといって、政治家になる気はない。
間違ったひとを許せず、容赦ない。
そのせいで、高田一家はいつも孤立していた。
それでも、父は胸をはる。
「間違ったことを違うと言って、なんでオレが裁かれるんだ。そんな世の中、間違ってる!」
戦争が終わっても、父は変わらなかった。
つるむのが嫌で共産党を脱退しても、主張は貫いた。
彼は我が息子に語った。
「この世で、いちばん無くさなくちゃいけないのは、戦争だ。でも、人間ってやつは、気を許すとすぐに争いを始めてしまうもんなんだ」
フォークシンガー・高田渡が8歳のとき、母が病で亡くなった。
父はリヤカーをひきながら、どうやったら町がよくなるかを説いてまわっていたが、妻の死を契機に、屋敷を売り払った。
そのお金の一部で、町に保育園をつくる。
町民は、「どうか、町長になってください!」と懇願するが、「バカヤロー。政治家なんかになるか!」と町を出ることを決意。
子ども4人を連れて、東京に出た。
武蔵小山の狭いアパート。
高田はその部屋を見て、ひとこと言ったという。
「お父さん、どこで寝るの?」
貧しかった。
何度も住む場所を変えた。
転校が多く、誰とも友達になれない。
ついには夜逃げして、上野の難民収容所のような施設に入った。
食べ物は配給制。
粗末な鍋に、家族5人分の飯がどさっと入れられる。
父が日雇いの仕事を始め、ようやく深川の部屋を借りられるようになる。
それでも生活は、極貧状態。
高田は給食費を払えず、貼りだされる紙にいつも名前があった。
学校帰りには、磁石に紐をつけて歩き、くっついてきたものを売って小遣いにした。
小学校の高学年になると、新聞配達をして家計を助けた。
どん底の暮らしの中、父はいつも言った。
「いいか、渡、貧乏はしてもいいけど、貧乏に慣れしたしんではダメだ」
伝説のフォークシンガー・高田渡の父は、どんなに貧しくても、明るさを失うことはなかった。
堂々と胸をはる。
困っているひとがいたら、何を置いても駆けつける。
持っているわずかなお金でさえ、惜しげもなく使った。
一生懸命働いて、ようやくボーナスがもらえるようになったとき、「おまえら何が欲しい?」と子どもに聞いた。
多数決で、ステレオに決まる。
付属品でついてきたレコードは、汽車の走行音が録音されていて、右側のスピーカーから左側のスピーカーに音が移った。
それが面白くて、一晩中聞く。
やがて、兄が1枚のレコードをかけた。
ブラザース・フォア。
バンジョーの音色が、心をうった。
「なんだろう、どうしてこんなに何度も聴きたくなるんだろう」
音楽の洗礼。
やがて、アメリカのフォークソングにのめりこむ。
歌詞の意味を知り、さらに傾倒する。
「音楽って、言葉を遠くに届けられるんだ…」
高田渡は、ギターを弾き、曲を書き、歌った。
彼の視線の先には、いつも父の背中があった。
誰ともつるまず、正義をまっとうした父の姿。
日常的には破天荒で、まわりに迷惑もかけたが、思い出すのは笑顔だった。
父の笑顔は、語っていた。
「誰かとつるむことに、やっきになることはないよ。それより、自分がやりたいこと、やるべきことを、たったひとりでやり遂げるんだ」
【ON AIR LIST】
生活の柄 / 高田渡
自転車にのって / 高田渡
ホントはみんな / 高田渡
ヴァーボン・ストリート・ブルース / 高田渡
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