第百七十五話自分を見つめ続ける
ノルウェー生まれの画家、エドバルド・ムンク。
彼の名を世界に知らしめたのは、『叫び』という作品でしょう。
『叫び』には、パステル画が2点、油彩画、リトグラフ、テンペラ画がそれぞれ1点ずつの、計5つのパターンがあります。
今回そのテンペラ画の『叫び』が、日本初上陸を果たしました。
ムンクは、自分の作品が人手にわたるのを好みませんでした。
彼が亡くなったあとは、所有作品全て、故郷ノルウェーのオスロ市に寄贈され、今回のムンク展もオスロ市ムンク美術館の全面協力がなければ実現しませんでした。
今回の展覧会でひときわ目を引くのが、自画像です。
ムンクは、若い頃から亡くなる寸前まで、自画像を描き続けました。
自画像を描くために、セルフタイマーで自分の写真を撮るのを日課にしていたと言われています。
コンパクトカメラを手に入れると、手を伸ばして自分を撮る、いわゆる“自撮り”を繰り返しました。
女性関係やアルコール依存で苦しんでいた頃に画いた『地獄の自画像』は、燃えたぎる赤い焔と黒い影の前に裸で立つムンクがいます。
赤裸々に自身を描くことで、彼は人間の内面を、そして社会や人生の理不尽を表現しました。
何よりテーマにしたのは、「死」です。
晩年の『皿にのった鱈(たら)の頭と自画像』には、恐ろしいどくろの顔をした鱈を、ナイフとフォークで食べようとするムンクが描かれています。
鱈は、「死」の象徴でしょうか。
それを食べつくす。
彼が到達した境地なのかもしれません。
どんなときも常に自分を見つめ続けることをやめなかった孤高の画家 エドバルド・ムンクが、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
『叫び』で知られる画家、エドバルド・ムンクは、1863年12月12日、ノルウェーで生まれた。
実家は、地元では名家。
父は、軍医だった。
でも、父は貧しい庶民からお金を取らなかったので、家系はいつも苦しかった。
父の仕事の性格上、ムンクの周りには、いつも病気と死が渦巻いていた。
彼はこんなふうに回想している。
「私が生まれたその日から、恐怖と深い哀しみと死の使いが、私のかたわらにいた。彼らは私がどこにいようがお構いなしについてきた。夜中に目を覚ますと、怖くなる。あたりを見渡しても、深い闇しかない。私は思う…ここは、地獄かと」
幼いムンクが唯一心安らぐのは、長椅子で読書する父のすぐそばで、絵を画くことだった。
絵を画いていると、自分の心が放たれるような気持ちになった。
「見たままを画くのって、難しい、お父さん」
すると、父は言った。
「エドバルド、絵はなあ、見たままを画かなくてもいいんだぞ。心で画けばいいんだ」
心で、画く…。そのときはまだ、意味がよくわからなかった。
ムンクが5歳のとき、結核で母が亡くなる。
それから10年後、今度は最愛の姉もこの世を去った。
この二つの死は、彼に大きな影響を与えることになる。
深い喪失感。この世に逃れられないものがあるという事実。
彼はそこから逃げることをせず、絵を画くことで、真摯に向き合う決断をした。
ムンクの父は、妻を亡くすと、以前にも増して無口になった。
さらに、すぐに癇癪を起こす。
理不尽に怒られるので幼いムンクが反論すると、さらに激怒して、子どもたちを震え上がらせた。
夜中、父に怒られた興奮で眠れない。
足音をしのばせて、父の寝室を見にいった。
おそるおそるドアを開ける。
父は、ベッドの前にひざまずき、祈りを捧げていた。
窓から月の光が斜めに射している。
荘厳なその姿は声もかけられないほど、すさまじい迫力を持っていた。
そこには、甘える対象であるべき父はいない。
自分はたったひとりなんだと思い知らされる。
ムンクは部屋に戻ると、さっき見た父の姿を絵に画いた。
絵に画くと、すっと気持ちが楽になり、眠りにつくことができた。
絵は彼にとって、世界と自分の距離を測るものさしであり、自分とは何かを知るための教科書でもあった。
ムンクは、生まれながらに病弱だったが、決して心が弱い人間ではない。
弱さを知っているからこそ、強くなれる。
少なくとも彼は、弱い自分から逃げることはしなかった。
怖い相手が現れたら、むしろ目をそらさず、その相手を見る。見つめ続ける。
それがたとえ決して勝てない「死」という相手であっても。
エドバルド・ムンクは、本格的に絵を学び、画家になるという夢を持った。
22歳で初めてパリを訪れる。
マネやモネ。印象派の絵を見て、心惹かれた。
でも…ノルウェーに戻って、白いキャンバスに向かうと、人物や日常的な風景を描く気持ちになれない。
かつてまだ母が生きていた幼い頃、読書する父の傍らで描いていたのは、目に見える情景だった。
空、海、山や草原。
でも…今の自分には、あの印象派のような絵画は画けない。
4年後、パリに留学したときにハッキリわかった。
彼は宣言する。
「我々は、もはや本を読む人や編み物をする女性、部屋の中の様子など、描いてはいけない。我々は呼吸し、感じ、苦しみ、愛する、真の人間だけを描かねばならないのである」
留学中、父が亡くなる。
そのとき彼は、『月光(サン・クルーの夜)』という作品を画く。
月明かりが入る室内で、男が窓の外のセーヌ川を見ている。
父との決別を描いた、いわば自画像だった。
時流に逆らうように、情念や欲望、孤独、死や退廃をテーマに画き続けるムンクの個展は、ことごとく不評だった。
ベルリンでは、人々が警官を呼んでまで個展を中止させようとした。
さすがに落胆する。
そんなとき、同じノルウェー出身の劇作家イプセンが、ムンクを訪れた。
35歳年上のイプセンは、ムンクに言った。
「いいかい、ムンク君、わたしの言葉を信じるんだ、敵が多ければ多いほど、味方も多くいるもんだ。忘れるなよ」
ムンクは、もう迷わなかった。
自分は、心で絵を描く。
自分にとって画きたい絵だけを描く。
彼の自画像は、誰にも真似できない、壮絶な戦いの歴史だった。
エドバルド・ムンクの絵は、世界中の人の心に訴えかける。
「あなたは、自分と向き合っていますか? 自分を見つめることから、逃げていませんか?」
【ON AIR LIST】
ARMY OF ME / Bjork
TAKE ON ME / a-ha
THEN WE WALTZED / Dreamers' Circus
El Tresero (Plush Vocal Mix) / Omar Sosa
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