yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第十四話 ひとに助けられる -川端康成-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

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第十四話ひとに助けられる

日本で初めてノーベル文学賞を受賞した文豪、川端康成。
彼が軽井沢を訪れたのは、昭和6年の夏、菊池寛に連れられてきたのが最初だと言われています。
その後、彼が37歳の時、今度はひとりで、芥川龍之介や室生犀星が愛した『つるや旅館』に泊まろうとやってきたと言います。
しかし、つるやは、満室。番頭は丁寧に詫びをいい、藤屋という旅館を紹介しました。
川端が藤屋に行ってみると、一室しか空いていません。
しかも、その広い部屋には学生がひとり泊まっていて、相部屋はどうかと持ちかけられました。
川端は「いいよ、それで」とにこやかに承諾。
翌朝、宿泊したのがあの川端康成だと知って旅館中、大騒動。
学生も驚いたと言います。
ぎょろっと見据える大きな目。無口で無愛想。
そんなイメージの川端康成にも、気さくな一面があったのです。
彼は軽井沢をたいそう気に入り、のちに別荘を購入します。
名作『雪国』がとった文学賞の賞金をその資金にあてたのです。
夏の間、避暑で過ごす軽井沢の空気を、川端は愛しました。
彼の別荘には、いつもたくさんの来客があったと言います。
決して人付き合いがうまい人間ではない彼のもとに、ひとが集う理由。友人や同志の笑顔を見て満足そうに腕を組む彼の姿には、彼が長い年月をかけて得た、人生のyesが見え隠れします。
作家、川端康成が生涯をかけて大切にしたものとは・・・。

作家、川端康成は、1899年、大阪に生まれた。
早産で虚弱。この世に生まれてきたのが奇跡だった。
開業医だった父、栄吉(えいきち)は、川端が二歳のとき、肺病で亡くなる。翌年には母、ゲンも同じ病でこの世を去った。
3歳にして、両親を亡くした川端は、祖父母に預けられた。

「自分もきっと、そう長くは生きられない」

そんな思いが、幼い川端の胸に深く刻まれた。
小学校に入学しても、体は弱く、小さかった。
ひとの群れが怖い。同級生が迎えに来ても、ふとんをかぶり、居留守をつかった。
学校には行かず、庭の樹にのぼり、樹の上で本を読んだ。
そんな川端を優しく見守ってくれた祖母が亡くなる。
離れ離れになっていた4歳年上の姉の芳子も、13歳で死んだ。
目の見えない祖父との二人暮らし。
祖父の代わりに川端は、世の中を、日常を凝視することを覚えた。
祖父は、川端には他の子供にはない才能があると直感した。
画家になることをすすめる。でも川端は文学に傾倒していった。
祖父は、本を買うお金に糸目をつけなかった。
そのせいで、食事は汁ものと梅干だけ。
それでも川端は本を読み続けた。
でも時々、さみしさに耐えかねて、祖父を家に残し、同級生の家に遊びにいくようになる。
暗い家に帰るとき、川端の心は祖父への申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
その祖父も、彼が16歳のときに亡くなる。
川端康成は、天涯孤独の身の上になった。

作家、川端康成は、祖父の死にも、泣かなかった。
まわりのものが彼を哀れんで泣くのを見ても、弱みを見せなかった。
誰かの世話を受けることでしか生きられない自分。
孤児であることに卑屈になる自分。
ひとびとの哀れみをうとましく思う自分。
そんな思いを、彼は小説にした。
生命力が虚弱な家系に生まれたことを、呪うときもあった。
彼は随筆にしたためる。

「弱い木の梢のように自分が立っていることを感じている」

他人の庇護のもとで生きる。
彼はあることを心に決めた。
「悪口やわがままを言わない。自分はひとりでは生きていけないのだから、全てのネガティブな想いを飲み込む」。
彼は、無口になった。

作家、川端康成は、たくさんのひとたちの善意や優しさを得て、成長した。
親戚や同級生、知人、友人に支えられ、彼は進学し、小説を書く道を歩むことができた。
孤独な学生が旅芸人の一座と触れあい、踊り子に心癒される、『伊豆の踊子』に描かれた他人の優しさを享受する姿は、そのまま、川端につながる。
そんなふうに、他者からのぬくもりで生きてきたからこそ、彼は後進の発掘に積極的だった。
難病に苦しむ男を文壇に押し上げた。
自分の印税で若く貧しい作家を養った。
どんな要求にもNOを言わず、二つ返事で引き受けた。
『今、自分があるのは、自分ではない誰かのおかげ』。
そんな哲学が、彼の人生を貫いていた。
定宿だった旅館が火事に会い、小説を書く場所を失った堀辰雄に、自分の別荘を使うようにと申し出た。
掘辰雄は『風立ちぬ』の最終章を、川端の別荘で書き上げることができた。
ある夜、川端家に泥棒が入った。
寝床にいる川端と泥棒の目が合う。
泥棒はこう言った。「駄目ですか?」
川端は、無言でうなづいた。心でこう言った。「いいよ」。

自分が持っているものは、惜しげもなく差し出す。
命を削って書いた小説。
そうして稼いだ金も、返ってくるあてなどなく貸した。
彼は、自分ひとりで自分にyesと言えなかった。
いつも誰かに問うていた。

「私は、大丈夫か?生きていて、大丈夫か?」

彼は、ひとに助けられ、ひとを助けた。

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PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

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NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

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