第三百十六話ほがらかに生きる
その物理学者とは、2008年にノーベル賞を受賞した、南部陽一郎(なんぶ・よういちろう)。
企画展のタイトルは、「ほがらかに」でした。
2015年に94歳で亡くなった南部は、生前、この「ほがらか」という言葉を大切にしていました。
「ほがらか」…心に曇りや濁りがなく晴れ晴れした様子、おだやかで明るい様。
南部は、未来を担う子どもたちのために色紙を頼まれると、「大きな夢を抱いて ほがらかに生きよう」と書きました。
彼はインタビューで答えています。
「今の子どもたち、若者は、大変だと思います。とにかく情報が多く、時間の流れが速い。何でも手に入る時代であるからこそ、手の届かないところにある、大きな夢を描いて、それを抱き続けてほしい。目先のことばかり考えていると、世界は痩せ細ります。遠い将来と、遠い過去を大切にしてください」。
南部の幼少期は、戦争による空襲、大震災に大洪水など、過酷な環境下にあり、ほがらかに生きることとは、むしろ対極にありました。
だからこそ、彼には、ほがらかであることこそ、夢を抱き続けるための条件に思えたのです。
若き日に大阪市立大学で教授を務め、晩年も大阪・豊中で過ごし、大阪と縁が深かった南部は、常ににこやかに若者に接し、励ましました。
「失敗は大歓迎。むしろ、科学者なんてものは、失敗や挫折なくして結論にはたどり着けない。試行錯誤というのは簡単だが、一回の失敗で、3年、5年を棒に振ることだってある。でもね、人間は、失敗の中からしか学べないことがあるんですよ」。
先駆者的な研究から「預言者」と言われた、物理学の巨匠・南部陽一郎が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
2008年にノーベル物理学を受賞した南部陽一郎は、1921年1月18日、東京に生まれた。
2歳のとき、関東大震災に遭遇。
父の実家がある、福井県福井市に移り住んだ。
父は教師。高校で英語を教えていた。
南部は、野山を駆け巡る、やんちゃな子ども時代を過ごす。
父に買ってもらった雑誌『子供の科学』が、早くも彼の人生を決定づける。
科学に興味を持ち、発明王トーマス・エジソンの自伝を読んで、感動する。
「この世にないものを産み出すチカラが、科学にはあるんだ」。
小学生の高学年のとき、祖父母の家で鉱石ラジオの部品を見つける。
自分で組み立て直す。
雑誌や説明書を読み、一生懸命考えて、完成。
うれしかった。
そのラジオで、昭和8年の夏の甲子園。準決勝の中京商業と明石中学の延長25回に及ぶ試合を聴いた。
「もし、このラジオを作らなかったら、ボクは甲子園の試合を体験することもできなかったんだな」
そう思うと、なおさら感動が押し寄せる。
テクノロジーが、時間や空間を飛び越えることを知った。
科学は、ひとを幸せにする。そんな萌芽が、彼の心に宿った。
物理学者・南部陽一郎は、旧制中学ですでに頭角を現した。
自分の知らないことを学ぶのが、単純に楽しい。面白い。
旧制中学の先生たちも、志のある若い教師が多く、ただ、知識を伝えるだけではなく、自分で考えることの大切さを説いた。
数学、理科は、得意科目。語学や社会科も、ずば抜けて優秀だった。
英語の発音は、誰よりネイティブに近かった。
「先生に聞くより南部に聞け」という言葉が、教室内に飛び交う。
南部は、誰に聞かれても、笑顔で懇切丁寧に教えた。
ニコニコしていたのは、誰かに自分の知っていることを伝えることが好きだったから。
みんなで共有したほうが、楽しみは倍増し、拡散する。
自分が役に立つことがうれしかった。
旧制第一高等学校に入学。
物理学がやりたいと思うようになっていたが、研究者としてやっていけるか、今一つ、自信が持てない。
そんな南部の背中を押す人物が現れた。
湯川秀樹。
湯川は原子核内部において、陽子や中性子を互いに結合させる媒介、中間子の存在を理論的に予言して一躍有名になった。
ワクワクした。痛快だった。
心のヒーローを得て、南部は決めた。
「物理学に、一生を捧げてみよう!」
南部陽一郎が、物理学を好きになった理由。
それは、他の学問が多くを記憶に頼るのに対し、物理学は、基本となる原則がノート1ページほど。
それをおさえれば、あとはどんな問題でも原理的には解けるはず。
設備も学術書もいらない。ただ目の前に白い紙と鉛筆があれば、何時間でも没頭できた。
東京帝国大学物理学科を卒業したのち、助手として勤務。
やがて、戦争が激化。陸軍に招集され、宝塚市のレーダー研究所に配属された。
どこにいても何をしていても、物理学は、彼のすぐそばにあった。
終戦後、大学の研究室に戻り、朝永振一郎(ともなが・しんいちろう)の研究グループに参加。朝永に可愛がられる。
多くの研究員が、いつも苦虫を噛み潰したような顔で日々を過ごしているのに、南部は、いつもにこやかだった。
チームに入れやすい。誰とでもうまくやっていける。
朝永は、理論物理学の研究グループやアメリカ留学に、南部を推薦。
彼は多くのチャンスを与えられ、仲間と共に切磋琢磨することで進化した。
南部は言う。
「人のやっていることを追いかけるよりも、何か違うことをやってみようということはいつも思います。その方が競争がなくて、楽ですから」。
好きな研究に没頭できる環境に身を置く。
それは、人生で最も幸せなことだった。
南部陽一郎は、「ほがらか」であることで、人を呼び、運を呼んだ。
【ON AIR LIST】
僕らの未来は遠い過去 / クレイジーケンバンド
WHEN YOU'RE SMILING / ルイ・アームストロング
LAWS OF PHYSICS / ミシェル・ペトルチアーニ(ピアノ)
ヨ・ロ・コ・ビ / 矢野顕子
★今回の撮影は大阪大学様、大阪市立大学様にご協力いただきました。ありがとうございました。
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