第三百七話謙虚であること
彼女の名が世界的に知られるようになった研究は、海における放射能汚染です。
ビキニ環礁の水爆実験で降った「死の灰」を分析し、核兵器による放射能汚染に警鐘を鳴らしました。
その成果は、1963年に成立した「部分的核実験禁止条約」につながったのです。
「科学技術は、人類の幸せのために役立てなければならない」。
その確固とした信念は生涯変わることなく、女性科学者を顕彰する「猿橋賞」の創設で、女性に活躍の場が拡がるよう、心を砕きました。
その背景には、彼女自身が体験した、女性科学者として歩みを続けることの難しさがあります。
当時、女性は大学に入ることを許されず、高等女学校のあとの専門学校が、女性の最高学府でした。
芝・白金に生まれ、電気技師の父を持ち、満ち足りた環境で育った猿橋。
両親は、女性の教育に熱心だったのですが、それでも「女の子は二十歳になったらお嫁にいくもの」という世間の常識に従おうとしました。
「雨はどうして降るのだろう」と考えた少女は、幾多の苦労を乗り越え、中央気象台研究室に入ります。
戦中戦後という激動の中にあっても、たゆまぬ研究を続け、高度経済成長を遂げる世の中の大気汚染に目を向けます。
それも、雨がきっかけでした。
乱立する工場。そこから吐き出される煙。
彼女は、雨や海の成分を調べ、科学が果たして本当に人間を幸せに導いているかを検証したのです。
彼女は、知識や技術だけでなく、「人間的な内容」が大事だと説きました。
人間性が豊かでないと、科学を使いこなせない。
科学は、人間の幸せのためにあるべきだと言い続けたのです。
SDGsが叫ばれる今だからこそ、再び学びたい賢人、猿橋勝子が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
女性科学者の先駆者、猿橋勝子は、1920年3月22日、東京・芝区白金三光町。
現在の港区白金に生まれた。兄とは9歳離れた末っ子。
早生まれで体も小さく、両親や兄の庇護のもと、甘えん坊として育つ。母の傍を離れない。
幼稚園も小学校も、母と離れるのが嫌で行きたくない。
毎朝、学校に行くたびに泣いた。
学校を休んだある日。雨が降っていた。
「窓を閉めなさい、雨粒が部屋に入ってくるでしょう」
そう、母にたしなめられても、窓を閉めない。
雨に濡れるのもいとわず、空を見上げている。
「どうしたの? 勝子」
訊かれて彼女は答えた。
「ねえ、お母さん、どうして雨は降ってくるの? こんなにたくさんの雨が、空のどこに隠してあるの? 雨が降らないときは、雨をどこにしまっておくの? 雨雲はどうして灰色なの?」
矢継ぎ早の質問に、母は答えることができない。
さらに傘をさせば、雨粒の音が違う。
ボタン! パチン! ポロン!
どうして、雨粒の大きさが変わるんだろう…。
この「どうして?」が知りたくて、勝子は勉強が好きになった。
母と別れるのはつらいけれど、学校に行くようになる。
「どうして?」が、未来の科学者を生んだ。
女性科学者におくられる「猿橋賞」の生みの親、猿橋勝子は、小学校で3人の女性教師に出会う。
戦争で、男性は戦地に赴き、教師に女性が増えていった。
1、2年は杉田先生、3年は大庭先生、そして4年から6年は、前田シヅ先生だった。
前田先生は、3人の子どもを育てながら教壇に立つ、職業婦人。
早く家に帰らなくてはならないのに、猿橋の「どうして?」にとことんつきあってくれた。
猿橋は、そんな前田先生の姿に子どもながら、心うたれた。
「先生、もう帰らなくてはいけませんか?」
「ううん、いいのよ、あなたが納得するまでつきあうわよ」
猿橋は、自立できる仕事につきたいと思うようになる。
「そうだ、病気で苦しんでいるひとを助ける、お医者さんになろう」
彼女の夢は、彼女の背中を押し、狭き門を開いた。
東京女子医学専門学校への入学。
しかし、思わぬ絶望が彼女を苦しめる。
立ちはだかった壁が、彼女を科学者の道に進ませることになった。
女性で初めて日本学術会議会員に選ばれた科学者・猿橋勝子は、親の反対を押し切り、東京女子医学専門学校に挑む。
当時、医学を志す女性にとって日本一の名門だった。
筆記試験に合格。あとは、吉岡校長との面接試験を残すのみ。
猿橋は、吉岡校長を崇拝していた。
心の師匠、唯一尊敬する教育者。
面接の日がやってきた。ドキドキする。
あの憧れの女性の先達、吉岡彌生(よしおか・やよい)に逢える。
1941年、猿橋は21歳、吉岡は70歳。
吉岡校長の前に座った。
「どうして、この学校を受験したのですか?」
そう訊かれ、
「あの、ええ、一生懸命勉強して、先生のような立派な医者になりたいと思ったからです」
と正直に答えた。
それを聞いた吉岡は、いきなり天を仰ぎ、大きな声で笑った。
「ははっはは、私のようになりたい? ははっは、とんでもないですよ、あなたごときがたやすくなれるもんじゃない、ははっはは」
猿橋は、驚いた。そこに、尊敬した校長の姿はなかった。
合格の通知がきたが、入学しなかった。
代わりに、創設したばかりの帝国女子理学専門学校に入ることに決めた。
由緒ある医学専門学校を蹴って、未知数ばかりの理学専門学校に入学。
まわりからは、理解しがたいと揶揄された。
猿橋は幼い頃から、女性としての生き方に窮屈さを感じ、数々の屈辱を味わってきたので、不遜、驕りが大嫌いだった。
吉岡の業績は華々しい。
確かに、自分など足元に及ばないかもしれない。
でも、これから世に羽ばたこうとする若者に言う言葉ではない。
科学を司る人間は、常に謙虚でなくてはならない。
ひとの幸せに貢献できてこそ、研究がうかばれる。
上に立てば立つほど、首(こうべ)を垂れるということ。
科学が進めば進むほど、そのチカラに謙虚であること。
猿橋勝子は、最後まで人間の幸せのために闘い抜いた。
【ON AIR LIST】
なないろ / BUMP OF CHICKEN
THESE BOOTS ARE MADE FOR WALKIN' / Nancy Sinatra
WOMEN BE WISE / Bonnie Raitt (duet with Sippie Wallace)
BIG YELLOW TAXI / Joni Mitchell
★港区立みなと科学館にご協力いただきました。ありがとうございました。
https://minato-kagaku.tokyo/
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