第二百八十四話不完全を愛する
岡倉天心(おかくら・てんしん)。
2006年には、天心が心のよりどころにした福井県の永平寺で「茶の本」出版100周年記念座談会が行われ、2013年には、福井県立美術館で「空前絶後の岡倉天心展」が開催されました。
天心は、東京美術学校、現在の東京藝術大学の創立に尽力。
横山大観を筆頭に、世界に名立たる日本画家を輩出し、さらに、日本美術院を設立。
晩年はアメリカ・ボストン美術館の中国・日本美術部長として、東洋美術を欧米に広めました。
明治維新以後、日本は西洋化が進み、特に芸術の分野は、欧米への傾倒に拍車がかかっていました。
幼い頃から英語を習い、西洋の文化に触れていた天心は、誰よりも時代の先端にいましたが、決して和の心を忘れませんでした。
文明開化の勢いにのまれ、ともすれば卑屈に気後れする芸術家たちに、伝統 日本美術の奥深さを説いて回ったのです。
こんな逸話が残っています。
ボストン美術館の招聘(しょうへい)を受け、アメリカを訪れた天心と横山大観ら弟子たち。
羽織袴で道を歩いていると、ある若いアメリカ人が英語でからかいました。
「おまえたちは、何ニーズだ? チャイニーズ? ジャパニーズ? それとも、ジャワニーズか? はははは」
弟子たちは、ただヘラヘラと愛想笑いをするばかり。
でも、天心は眉ひとつ動かさず、流暢な英語でこう返したと言います。
「私たちは、ニッポンの紳士です。失礼ですがあなたこそ、何キーですか? ヤンキー? ドンキー? それとも、モンキーですか?」
若いアメリカ人は早々に立ち去ったと言います。
西洋と東洋の架け橋として日本美術界の発展に貢献した岡倉天心が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
近代日本美術の礎を築いた偉人・岡倉天心は、1863年2月14日、横浜に生まれた。
父は福井藩の下級武士。
商売の才覚を見込まれ、横浜で商いをした。
天心、5歳の時、大政奉還。
6歳のときから、宣教師に英語を学ぶ。
9歳のとき、母が病で亡くなる。
兄弟が多く、いちばん親に甘えたい盛りに、里子に出される。
寺に預けられ、毎晩、さみしくて泣いた。
住職は、天心に学問を知ることの尊さを説いた。
「本を読みなさい。知らないことを知る喜びを知りなさい」
漢籍(かんせき)、いわゆる中国の書物を与え、それを学ばせた。
天心は、さみしさを埋めるように、書物に没頭。
住職は、天心の才能に気づき、宣教師・ジェームス・バラが主宰する英語塾に通うことも推奨した。
10歳で東京外国語学校に入学。
12歳で東京開成学校、のちの東京大学に入った。
17歳で東京大学文学部を卒業すると、文部省、現在の文部科学省で働くようになる。
出世街道をひた走るエリート。将来は約束されていた。
そんな天心に二つの出会いが訪れる。
ひとつは、結婚とともに始めた、茶道、茶の道。
もうひとつは、東大の講師・フェノロサとたずねた、法隆寺。
日本の伝統文化に、体が震えた。
岡倉天心は、西欧の文化を吸収しつつ、日本古来の伝統を学び直す。
その二つは、彼の中で調和を保ち、同時に存在することに違和感はなかった。
時代は欧米礼賛に傾き、日本の文化を守る動きは、時代遅れ、さらにはファシズムだと揶揄された。
それでも、天心は日本の伝統文化の素晴らしさを訴える。
法隆寺夢殿。聖徳太子を供養するための殿堂。
そこに奉られた、救世観世音菩薩。
クスノキから彫りだされた像は、慈悲に満ちていた。
フェノロサは反対する僧侶たちを説き伏せて、厨子の扉を開く。
その像を前に、岡倉天心は悟った。
慈悲こそ、平和につながる。
茶道の基本も、相手を思いやる慈悲の心だ。
AかBか、どちらかに決めなくてはいけないと思うと、必ず争いになる。戦争が起きる。
曖昧でいいのではないか。
不完全、未完成でこそ、この世は保たれているのではないか。
日本文化には、そんな精神が奥深く流れていると、天心は確信した。
一杯の茶に深い心が宿っている、岡倉天心は、そう思った。
人類の天空は、富や権力を追及する果てしない闘いに、めちゃくちゃにされてしまっている。
東と西。
二つの龍の玉は、人間性の宝を奪い合い、醜く争っている。
天心は、こんなふうに呼びかける。
「まあまあ、一服してお茶にしませんか? 午後の陽射しを浴びて、竹林は輝き、泉は歓喜に沸き立ち、茶釜からは、風の歌が聴こえます。どうですか、しばらくの間、はかないものを慈しみ、美しいもの、愚かなものに思いを巡らせてみようじゃありませんか。とりとめのないことは、とりとめがないからいとおしい。不完全、未完成、それでいい。白黒はっきりつけるのは、もっとあとでいいじゃありませんか。さ、どうぞ。お茶をいっぷく」。
岡倉天心は、欧米化推進派から「古きもの、流行遅れ」と叩かれても、日本の伝統文化の素晴らしさを訴え続けた。
胸を張り、毅然とした態度で矢面に立つ。
日本文化偏重主義のひとたちには、西洋の多彩な文化を啓蒙した。
両方から突かれ、揶揄されても、決して持論を曲げない。
人間本来、不完全、未完成なのだから、文化自体がそうであって何が悪いのか。
岡倉天心の思いは、100年以上経った今も、私たちの心に訴え続ける。
「あなたたちの心には、争いの最中にあっても、いっぷくのお茶をいただく余裕がありますか?」
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