第二百十一話強さに裏打ちされた優しさを持つ
彼と新潟を結ぶ、ひとつのお菓子があります。
新潟県中央区古町にある、丸屋本店の焼菓子『日はまた昇る』。
ヘミングウェイの小説になぞらえたものです。
ヘミングウェイが愛したラム酒、セント・ジェームスのほのかな香りと、砂糖漬けしたオレンジピールがアクセントをつけ、サクサクした食感と優しい甘みが口の中に拡がります。
新潟の街に太陽が昇るようにという願いが込められた逸品です。
新潟は水の都と言われますが、ヘミングウェイの人生に、水辺はなくてはならないものでした。
幼少期、夏のほとんどを過ごした別荘地は、ワルーン湖という清廉な湖のそばにありました。
ノーベル文学賞を決めた『老人と海』は、最後まで大物のカジキをしとめることを願い続け、海に出る老人の話です。
マラリア、肺炎、皮膚がん、肝炎、といういくつもの病。
飛行機事故、戦争での被弾、交通事故という災難。
常に病気や怪我にさいなまれ続けた彼には、ある流儀がありました。
「ほんとうに強いものしか、優しくなれない」。
まるで弱い自分を痛めつけるように、過酷な環境を求め、旅を続け、それでも自分の優しさに疑問を持ちました。
なぜ、彼が強さと優しさを求めたのか。
そこには、特異な幼年期がありました。
男性的なものを嫌う母と、男性的なものを好む父。
両親のはざまで、彼は迷い、困惑し、やがて創作という逃げ場所を見つけます。
「結局のところ、作家はね、自分が経験したことからしか書けないんだ。作品を高めたければ、自分が成長するしかないんだよ」
強くありたいと願い、優しくありたいと願った孤高の作家、文豪・アーネスト・ヘミングウェイが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
ノーベル賞作家、アーネスト・ヘミングウェイは、1899年7月21日、アメリカ・イリノイ州オークパークに生まれた。
父は、医者。
頑強な体を持ち、豊かな口ひげをたくわえ、釣りや狩猟を趣味にした。
ネイティブ・アメリカンは、無償で診察するなど、人道主義にあふれる人格者でもあった。
一方の母は、元声楽家。
芸術を愛し、男たちが起こす戦争を憎んでいた。
母は、子どもに対する偏った考えがあった。
「子どもは、女の子だけでいい」
威圧的で強すぎる夫への、反発心からだったに違いない。
3歳のヘミングウェイは、こう話した。
「ねえ、ボクはお姉さんと同じカッコをして、女の子みたいなんだ。これじゃあ、サンタさんがボクを見つけてくれるか、すごく心配だよ」
母は、息子に女の子の服を着せ、1歳年上の姉と双子として育てた。
幼くして、彼のアイデンティティが崩壊する。
父は、男の子らしくあれと言い、母は、おまえは女の子だと言い張る。
両親どちらにも愛されたい彼は、そのときどきでふるまいを変える繊細な子どもになった。
両親のいさかいは続き、ヘミングウェイは、それを自分のせいだと思うようになった。
アーネスト・ヘミングウェイは、3歳の誕生日に、父に釣りに連れていってもらった。
そのとき、他の大人たちの誰よりも大きな魚を釣り上げた。
ずっしり重い感触。釣り糸を引っ張る手応え。釣り上げたときの喜び。
それらは彼の心にしっかりと刻まれた。
彼は父に、どんな状況でも生き延びる強さを教わった。
屈強であること。瞬時に判断できる力。迅速に動ける行動力。
「いいか、アーネスト、男は強くないと、生きている価値がないんだ」
銃の扱いを教わったのは、10歳のとき。
父は言った。
「無駄な射撃はするな。狩猟はあくまで食べるためだ。無闇に撃つのは下品だ。おまえは1日3発。それ以上は撃つな!」
うっかりハリネズミを撃ってしまったとき、父は、それを食べろと命じた。
ヘミングウェイは、自ら調理して、泣きながらそれを食べた。
母は言った。
「銃なんて野蛮。おまえはお父さんのようにならないで、優しさを覚えなさい。芸術は、素晴らしい。愛すること、ほんとうの優しさを教えてくれる。アーネスト、銃を棄て、本を読みなさい」
分裂する自分を見つめながら、彼は育っていった。
片頭痛と不眠症を抱えて、自分が壊れそうになるとき、彼は創作に逃げた。
自らの体験をフィクションに転嫁すれば、生き延びることができる。
それがわかったとき、彼は自分の一生を決めた。
「ボクは、作家になる」
世界的な文豪、アーネスト・ヘミングウェイは、行動することを決めた。
母が望んだ優しさを手に入れるのは、自分を強くするしかない。
強くする方法に、父の生き方を踏襲した。
困難な状況に身を置くことでしか、人間は鍛えられない。
険しい崖をのぼるからこそ、頂上からの風景が愛おしい。
彼は自ら志願して、兵士になろうと決意した。
母は息子の行動に理解を示さず、関係は決裂。
音信は絶えた。
視力の悪さから入隊は許されない。
それでも彼は戦地に行く道を探した。
赤十字の輸送部隊。
そのトラックの運転手の募集があった。
すぐさま応募して採用される。
戦地で爆弾を受け、足を負傷した。
そこで看護師の優しさに触れ、思い至る。
「お母さんに、こんなふうに接してもらったことはなかった」
自分の過去が取り戻せないのであれば、これからの人生で、母に証明してみせるしかない。
強さと優しさは、共存するものだということ。
強さに裏打ちされていない優しさは、弱さの言い訳にすぎないと。
帰国して、本格的に作家を目指す。
ある先輩の作家が言った。
「自分が経験したこと以外、信じるな。文章にするな。知らないことを知らないまま書いても、誰にも届かない」
彼は書いた。
書いて書いて、書き続けた。
それはまるで、父と母にあてた手紙のようだった。
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But Not For Me / Ella Jane Fitzgerald
誰にも奪えぬこの想い / Frank Sinatra
Orgullecida(誇りを持って) / Buena Vista Social Club
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