第百四十五話自分を肯定できるのは自分しかいない
彼女は、貧しい生活のため、小学校を中退。
キャラメル工場で働き、家計を助けた経験をもとに、小説『キャラメル工場から』を書きました。
その作品が認められ、プロレタリア文学の女流作家としての位置づけを得ました。
彼女ほど、ぶつかっては倒れ、倒れてはぶつかるという人生をおくった作家がいたでしょうか。
佐多が生を受けたとき、父は18歳、母は15歳でした。
戸籍上は、親戚の奉公人の長女として届けられ、5歳のとき、ようやく両親の戸籍に養女として入ったのです。
幼い頃に芽生えた厭世観は、彼女の心の奥底に巣くいました。
「別に私は、望まれて生まれてきたわけじゃない」
「どうせ、世の中なんて、生きている価値なんかない」
でもその一方で、彼女は文学を通して、働くひと、懸命に家庭を守る女性を励まし続けました。
「嫌なことがあるのが人生だから。いいんですよ。すっかり忘れてしまっても。忘れることは救いです。逃げることは、人間に与えられた最後の抵抗なんです。」
ひとに、忘れること、逃げることを勧めながら、自身は、いつも困難に真向から対峙しました。
戦時中、左翼でありながら戦争に加担する記事を書いたと揶揄(やゆ)され、四方八方から非難を受けても、マスコミから逃げることなく、顔を上げて歩き続けたのです。
彼女はことさら、強い女性だったのでしょうか。
少なくとも、それは強さではなかったことが、彼女の小説や随筆から垣間見えます。
彼女は知っていました。どんなにつまずき、倒れても、立ち上がるのが人生だということを。
94年の波乱の生涯を生き抜いた、作家・佐多稲子がつかんだ、明日へのyes!とは?
作家・佐多稲子は、1904年6月1日、長崎県長崎市に生まれた。
父は18歳の中学生、母は15歳の女学生だった。
両親は結婚していなかったが、実の父と母のもとで育てられることになった。
父は、中学を出ると、長崎の造船所に勤めた。
稲子が2歳のときに、母が肺病にかかる。すぐに祖母に預けられた。
7歳のとき、母は亡くなる。
稲子は、母の愛を知らずに大きくなった。
11歳のとき、一家は上京し、本所向島に住むが、ほどなく父が職を失う。
家計はすぐに逼迫(ひっぱく)。仕方なく、稲子は小学校を5年でやめ、神田和泉橋のキャラメル工場で働く。
朝、暗いうちに家を出る。遅刻したら門が閉められ、その日の給金はもらえない。工場には常にすきま風が吹き、冬は冷え切った空気の中での立ち仕事。倒れ込む少女が多かった。
帰りには、キャラメルを持ち帰らないかを厳重に検査される。
その間も、吹きさらしの中、待たされた。
稲子は思った。
「学校に行きたい。勉強がしたい。本が読みたい。でも、この世に救いなんか、ない」
このとき、彼女を唯一支えたのは、想像の世界だった。
「私の頭の中だけは、誰にも支配されない」
長崎市出身の作家・佐多稲子は、幼くして、職を転々とした。
中華料理店、メリヤス工場、年齢を偽って働く。
結局、体力的に続かない。それでも、家計を支えるには、仕事につくしかなかった。
どんなにクタクタに疲れていても、本を読んだ。
一日、本を読み、文章を書くことで、自分を保つことができた。
14歳のときに、短歌や短文を雑誌に投稿して、掲載される。
うれしかった。
『少女の友』や『女学世界』に自分の作品が載ったとき、言いようのない喜びが体を駆け抜けた。
「私は、生きていても、いいのかな」
初めて、そう思えた。
ペンネームは、田島いね子。
私は今、辛くて仕方ないけれど、田島いね子は、きっと笑顔で生きている。
一日一回、田島いね子になれる時間が、唯一の救いになった。
17歳のとき、上野の料亭で座敷女中として働いているとき、芥川龍之介に出会った。
女中の中で、芥川を知っているのは、稲子だけ。
担当の女中が稲子のことを話すと、芥川は自分の知り合いだと思い、部屋に呼んだ。
襖(ふすま)を、ゆっくり開ける。
そこに、着物を着た文豪の後ろ姿が見えた。
芥川龍之介は、17歳の座敷女中、佐多稲子に逢うと、「キミは、私をしっているのかい?」と尋ねた。
「はい。存じ上げています」稲子は答えた。
彼女は、芥川の作品が大好きだった。
先生の厭世観、この世を諦めている感じは、自分に似ている。
小説の素晴らしい特質は、自分に似ているひとがこの世の中に生きているのを認識できること。
「私の小説を読んだことがあるのか?」
そう聞かれて、稲子は、彼の作品のタイトルをつらつらと口にした。
以来、芥川は稲子を可愛がり、その料亭に来るたびに彼女を呼んだ。
「小説は、いいよ。自分に起きた良いことも悪いことも、全て血肉になる。いいんだよ、人生は、うまくいかなくていいんだ。辛ければ、逃げればいい。逃げて逃げて、それを小説の種にすればいい」
佐多稲子は、夫の疑心暗鬼に疲れ果て心中をはかったときも、それを文章にすることで昇華した。
中野重治、堀辰雄、名立たる文学者に出会うことで、さらに小説にのめりこみ、そこを自分の生き場にした。
書くことで厭世から逃れ、自分の過去を乗り越えた。
逃げてもいい、誰から何を言われてもかまわない。
ただ、自分がこの世に生きていることを喜びたい。確認したい。
だから佐多稲子は、書いた。自分から目をそらさず書き続けることで、明日をたぐりよせた。
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