第二百九十七話たったひとりしかいない自分を大切にする
山本有三(やまもと・ゆうぞう)。
栃木市の文学碑には、『路傍の石』のこんな一節が自然石に刻まれています。
「たったひとりしかない自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか」
この平井町の山本有三文学碑は、有三が昭和35年、栃木市名誉市民に推挙されたことを記念して建てられました。
昭和38年3月9日の除幕式には、当時78歳だった有三本人が出席しています。
現在、「こどもの読書週間」の最中ですが、学級文庫に必ずと言っていいほど置いてある『路傍の石』は、ドイツ文学の影響を受けた有三が書いた、ビルドゥングス・ロマン、教養小説です。
主人公・吾一は、貧しい家庭に生まれたがゆえに苦労をしますが、さまざまなひとや出来事に会いながら成長していきます。
奉公先から逃げて来たり、大学進学を目指すところなど、主人公・吾一と有三の人生は一部重なりますが、彼は自分の生き方と主人公の人生を同一視されることを嫌いました。
山本有三は劇作家としてデビューし、のちに小説を書きますが、後半生は子どもたちの国語教育に心を砕きました。
児童書『日本少国民文庫』の刊行、本の入手が困難な戦時中は自宅を開放して、子どもたちが本を読める場所を提供したのです。
さらに政治の世界に足を踏み入れ、新仮名遣いの制定や、当用漢字の整理などに尽力しました。
彼は、生まれつき体が弱く、わずか生後20日あまりで、医者から死の宣告を受けました。
日々の癒しは、本を読むこと。
本を読んでいるときだけ、自分が生きている手応えを感じました。
誰よりも死がそばにあったので、彼には「たった一度の人生」という意識が強かったのかもしれません。
読みやすい文体で子どもから大人まで多くの読者を魅了する作家・山本有三が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
小説『路傍の石』の作家・山本有三は、1887年7月27日、栃木県下都賀郡栃木町、現在の栃木市に生まれた。
父は、武士の家系を継ぎ、戊辰の会津戦争にも従軍。
繭や麻の商いののち、呉服商を営んでいた。
裕福だった。
有三は、生まれながらに虚弱体質。
医者は言った。
「残念ながら、この子は、1か月も持たないでしょう」。
母は、泣き崩れる。
長女も生後すぐに亡くしていた。
「もしも有三が死んだら、巴波川に身を投げよう」
そう思いながら、近くの縄解き神社に、21日参拝で願掛けをした。
21日間、1日も休まずお参りする。
母は、裸足になって通い続けた。
小石に足の裏を切り、痛みに悲鳴をあげそうになってもこらえた。
その甲斐あってか、有三は、最も危ない時期をやりすごした。
父は教育熱心。
できたばかりの私立の幼稚園に入れる。
有三は女中に送り迎えされながら通った。
父の言いつけで、漢学塾で学び、四書などを読む。
尋常小学校、高等小学校の8年間、全学年、首席。
ただ運動は苦手で、友だちに笑われた。
崖の斜面を滑り降りる遊びが流行ったが、有三だけうまくできず、体中、アザだらけになった。
悔しい。負けたくない。
友だちがいない夕暮れ、ひとりで何度も何度もやってみる。
泥だらけになって帰ると、母に叱られた。
「自分の命を粗末にする子は、うちの子じゃありません!」
泣いた。
母にわかってほしかった。
勉強ができるだけでは、子どもの世界は生きられない。
ただ泣く我が子を、母は強く抱きしめた。
「おまえの人生は、他のひとと取り換えることができないの。たったひとつの命を大切にしなさい、いい? わかった?」
母も、泣いていた。
劇作家で小説家の山本有三が12歳のとき、家の近くに明治座ができた。
歌舞伎がかかる。
芝居好きの母に連れられて、小屋に入った。
驚いた。
舞台が、この世のものとは思えない光で輝き、役者の演技に観客が息をのむ。
この演劇との出会いが、有三の劇作家としての原体験になった。
『平家物語』を読んだ衝撃もすごかった。
物語の中に入り込み、寝食を忘れた。
ただそこに印刷された文字を読むだけなのに、頭の中で人物が踊り、泣き、笑った。
読むだけではなく、自分でも書きたくなる。
『秀才文壇』『少年世界』という雑誌に、短歌や作文を投稿した。
学業が優秀だったので、誰もが中学校に行くと思っていたが、父は進学に反対。
「呉服屋の跡継ぎに、学業はいらん。有三は、浅草の呉服店に丁稚奉公に出す。修行して、1日も早く仕事を覚えてもらう」
泣く泣く、浅草での住み込み生活。
仕事では怒られ、母が恋しい。
どうしても辛い時は、蔵に逃げ込み、そこにあった雑誌や本を読んだ。
天窓から落ちるわずかな陽の光。
活字に触れているときだけが、やすらぎの時間だった。
1年ほど経って、結局、有三は郷里に逃げ帰る。
学問をしたいと父に懇願するが、父は家業を手伝えと冷ややかに言うばかりだった。
作家・山本有三は、18歳のとき、ようやく東京への進学を許された。
頑固な父の気持ちを変える二つのことがあった。
ひとつは、従兄弟の武を預かることになったのだが、この武に、有三にはない商売人の才覚があったこと。
父はさっそく武に英才教育をほどこした。
もうひとつは、母のチカラ。
母は、有三が学業を極めたいことを知っていた。
毎日のように父にお願いをする。
「あの子の人生を、私たちで決めてしまうのはどうでしょう。神様に助けていただいたあの子の命、どうか、あの子の好きなように使わせてあげてくださいませ」
何度も何度も頭を下げた。
父も、次第に折れていった。
だが、有三が第六高等学校に入学したとき、父が突然、脳溢血で亡くなる。
母は、家業は武にまかせるから戻ってこなくていいと言うが、有三は、ふるさとの実家に戻り、家業が沈むことないように、武と力を合わせ、呉服の商いに尽力した。
経営が安定していたある夜、母に呼ばれた。
「有三、学問、諦めていないんでしょう。お母さん、知っていますよ。おまえが、毎晩勉強しているのを。もういいのですよ。自分の人生に戻りなさい。たった一度しかない自分の人生を全うしなさい」
有三は、再び受験。
22歳で、第一高等学校文科に入学した。
同級生の中でひとり大人びていた。
もう迷わなかった。
演劇と文学。
山本有三は、この世にたったひとりしかいない自分を大切にする生き方を突き進んだ。
【ON AIR LIST】
人生は一度きり / Little Glee Monster
NADIE / Flaco El Jandro
CORAZON / Valley Wolf
YOU'RE THE ONE / Paul Simon
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