第六話 風立ちぬ
赤や黄色に色づき始めた木々たちが、塩沢湖の湖面に、映っています。
浅間山の山頂には、早くもうっすらと雪が見えます。
タリアセンにある『軽井沢高原文庫』。
その二階にあがり外に出ると、森の奥に一軒の山荘が姿を現します。
軽井沢1412。
昭和初期を代表する作家、堀辰雄の別荘を移築したものです。
小さな階段をきしませながらあがると、そこに、木の香りに包まれた、作家の聖域がありました。
19歳で初めて訪れて以来、48歳でこの世を去るまで、堀辰雄が愛し続けた軽井沢。
『聖家族』、『美しい村』、『風立ちぬ』。
別荘の中には、愛用した鉛筆、ペン皿、ベレー帽、室生犀星からもらったマフラーが展示されています。
クラシックをこよなく愛した堀辰雄が大切にした蓄音機。
ベランダの籐椅子に腰掛け、読書するのが好きだったと言われています。
彼は、ここで何に触れ、誰に会い、何を想ったのでしょうか。
小説の舞台にもたびたび登場したこの場所が、彼にささやいた、yesとは・・・。
風が吹いて、山荘のまわりの木々が、揺れました。
木の葉がいくつか、くるくると回りながら、落ちてきます。
『風立ちぬ、いざ、生きめやも』
小説家、堀辰雄は、1904年12月28日、東京の麹町に生まれた。
父、浜之助の正妻の子ではなかった。
正妻に子がないので、堀家の嫡子になった。
でも辰雄が2歳のとき、実母は彼を連れて堀家を出た。
やがて母は、向島の彫金師、上条松吉に嫁いだ。
以来辰雄は、松吉が亡くなるまで、彼を本当の父だと思っていた。
旧制第一高等学校に進んだとき、生涯の友、神西清に出会う。
数学者を夢みていたが、彼の影響で、文学を志すようになった。
19歳の8月。室生犀星に連れられて、初めて軽井沢を訪れた。
驚いた。外国人が歩き、外国語が聴こえ、どこかからクラシックが流れてくる。森の香りは今まで嗅いだことのないくらい、深くて濃い。風に揺れる木々の葉さえ、特別なものに思えた。
気持ちが沸き立つ。何か書きたい。何かが書ける。
そんな思いが心を満たした。
同年9月。関東大震災。愛する母を失った。水死だった。
その哀しみと喪失感は、生涯、消えることはなかった。
10月、室生犀星に芥川龍之介を紹介される。
冬には、肺を病む。
思えばこの年が、堀辰雄の後の人生を決めた。
軽井沢、母の死、芥川龍之介、肺の病。
あまりにも過酷な人生の幕開けの中、軽井沢の空気だけが、彼を支え、彼にyesを言い続けた。
小説家、堀辰雄は、大正13年、二十歳のとき、再び軽井沢を訪れる。夏の木漏れ日。夏の小道。
「つるや旅館」で小説を書いていた芥川龍之介に逢う。
芥川は、美しく聡明な歌人、片山広子に強く魅かれ、堀辰雄は、広子の娘、総子に恋をする。
夏の軽井沢は、恋の舞台にふさわしい。
圧倒的な蝉の声は、やがて来る夕闇の静けさを深く刻む。
辰雄は貧しかった。万平ホテルの二階に泊まる片山親子を、訪ねるとき、気後れした。
彼女たちの部屋にあがることはなかった。
中庭に咲く、ひまわりを見ることもなかった。
ただ、恋をした。その恋は、淡いまま、消えた。
昭和2年、23歳の夏。堀辰雄を奈落に突き落とす出来事があった。
師とあおぐ、芥川龍之介が自殺した。
その年、自身も肋膜炎を患い、死に瀕する。
彼にとって、夏の軽井沢だけが、生きるたったひとつの灯になった。
昭和8年、小説家、堀辰雄、29歳の夏。
二か月、軽井沢の「つるや旅館」に滞在して小説『美しい村』を書く。乗り越えなくてはいけないものがたくさんあった。
身の回りに忍び寄る、死の影。小説との格闘。
母を失い、背中を追いかけていた師を亡くし、自らも、その命の危うさの中にいた。
ある晴れた日、風に誘われるように散歩に出た。
森を抜け、小高い丘にやってきたとき、キャンバスに向かう、麦わら帽子の女性に出会った。
彼女は油絵を描いていた。大きな風がやってきて、白い帽子が舞った。それは、辰雄の足元に、落ちた。
「すみません」。女性が微笑んだ。
「いえ」帽子を差し出した。
彼女がのちに彼の妻になる、矢野綾子だった。
その夏、堀辰雄は、綾子を愛することで救われた。
彼女の笑顔を見ると、世界がふわっと優しく見えた。
そこに吹く、一陣の風。
彼女の揺れる髪、頬に落ちる白樺の影、全てが彼にyesと言った。
失ったものは帰らない。でも、失ったことを受け入れた。
そんな勇気をくれた綾子は、肺病を病んでいて、2年後に亡くなった。
それでも、堀辰雄は、書き続けた。
書くことでしか乗り越えられないことがある。
幾多の試練を経て、彼が思ったこと。
我が身に起こった全てのことを、愛するということ。
認めることで、受け入れることで、人生は自分のものになる。
彼は血を吐きながら、書き続けた。全てを忘れないために。
風が、ゆきすぎても。
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