第五十七話置かれた場所で生き抜く
ここは、学問の神様、菅原道真公が祀(まつ)られています。
参道に並んでいるのは、名物、梅ヶ枝餅を売るお店。
この「梅ヶ枝餅」の名前の由来には、諸説ありますが、絵巻にも残っている言い伝えは、京都から大宰府に左遷された菅原道真が、生活も制限され軟禁状態にあったとき、ある老婆が梅の枝に餅をつけて、格子の間から差し入れした、という説です。
梅といえば、道真の飛梅伝説。
彼は、京の都を去るときに、幼い頃からいつも愛でていた紅梅殿の梅の木にこんなふうに語りかけたと言います。
「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」
その梅が道真を慕って、一夜のうちに大宰府に飛んだ、それが飛梅伝説。
太宰府天満宮の本殿の横に、飛梅があります。
秋の風が、梅の木をすり抜けて去っていきます。
この木の前に立つと、どこか不思議なたたずまいを感じずにはいられません。
全国におよそ一万二千ある天満宮の、総本宮。
その場所の由来は、道真が大宰府で亡くなり、その亡骸を牛車で運ぼうとしたところ、ある場所で牛が伏して動かなくなった、これは道真の意志であろうとその地に埋葬し、その場所に建てたのが、太宰府天満宮だと言われています。
道真が亡くなると、京の都で不吉なことが次々と起こり、恨みや祟りと恐れられ、それが天満宮建立の理由とされていますが、果たして道真はそれほどまでにルサンチマンのひとだったのでしょうか?
今も太宰府を訪れるひとがあとを絶たない道真の人気の裏には、繊細で真摯な人柄が見えます。
京を去ってもなお、天下泰平を夢見憂えた菅原道真公の人生のyesとは?
学問の神様、菅原道真公は、845年、京都に生まれたとされている。
菅原家は、天穂日命(あめのほひのみこと)からの朝廷に仕える貴族。
祖父の清公(きよきみ)公は、自ら私塾を開き、朝廷の重要な役職に優れた人材を輩出した。
すなわち、菅原家は、今で言う学閥の名門だった。
そんな家系に生まれた道真は、幼少の頃から、文才で周囲を驚かせた。
5歳で和歌を、11歳で詩を詠んだ。
14歳のときの詩。
「氷、水面に封じて聞くに浪なし。雪、林頭に点じて見るに花あり」
これは優れた句として、後年、『和漢朗詠集』に選ばれた。
15歳で元服したのちも、勉学への情熱は比類なきものだった。
朝から夜まで、古今の詩学を読み、そらんじ、森羅万象をひもとく言葉を探した。
生まれながらに病弱だった。大病をして、命がないと宣告されたこともあった。
そんなとき、母は一心不乱に観音様に祈った。
「私の身はいかようになってもかまいません。どうか道真だけはお助けください」
母は亡くなるときも、自分の命にかえて、我が息子の無病息災を願った。
病気は、道真を苦しめたが、同時に繊細な感受性を与えた。
明日、どうなるかわからぬ身。
五感で感じる全てが彼には愛おしかった。
ひとは、必ず同時に二つのものをもらう。
人生を生きる術は、そのいいところと悪いところを二つとも見逃さないことである。
菅原道真公は、類まれなる才能の上に、さらなる努力を積み重ねた。
幼少時代に詠んだ漢詩。
「月の輝きは晴れたる雪のごとし、梅花は照れる星に似たり、憐むべし、金鏡転じ、庭上に玉房の馨(かお)れることを」
すなわち、今夜の月の光は、まるで雪に陽の光が射すように明るい。
そんな中、梅の花は、まばゆく光り輝く星に似ている。
ああ、その素敵な光景に心をつかまれる。空には月が輝いて、庭では梅の花の香りが私を包む。
この句も絶賛され、祖父も孫の文才に驚愕した。
菅原道真とは、芸術家であり、学問を究めることを本懐とした求道者だった。
もともとある才能にあぐらをかくでもなく、日々の精進を怠らぬ、強い精神力の持ち主だった。
朝廷での狭き門、文章博士(もんじょうはかせ)となり、重用された。
出世は誰より早かった。
そんなとき、辞令がおりる。
京の都から讃岐の国に、長官として赴任すべし。
この人事は学者同士の対立抗争があり、学問閥としての菅原家の力を恐れたゆえ、と言われている。
京に妻子を残しての赴任。さみしい。都でやりたいことがある。
でも道真は、讃岐に向かった。
行く以上、そこに暮らすひとの生活を向上させ、意識を奮い立たせたいと尽力した。
特に最下層の寒空で暮らすひとびとの生活を底上げすることに心を砕いた。
その成果が認められ、道真は宇多天皇の命により、京に呼び戻される。
再び、少しでも良き国にするために政治に邁進。右大臣にまでのぼりつめる。
しかし、またしても、道真に試練が襲いかかる。
宿敵、左大臣、藤原時平の策略で、身に覚えのない罪で、再び都を去ることになった。
菅原道真は、大宰府への左遷を余儀なくされた。
大宰府におくられた菅原道真公。
待遇は悲惨だった。
住まいは朽ち果てた空き家。井戸は涸れ、屋根は腐り、雨漏りで持参した書物も台無し。
もともと体の弱い彼は、胃を壊し、脚気(かっけ)と皮膚病に悩まされた。
京を恋しく思う気持ちはあった。
でも、彼は誰のことも恨まなかった。
彼は讃岐のときと同じように、置かれた地で、最大限の力を出し切ることしか考えなかった。
大切なのは国家の平安。
自らの身の潔白が認められることを願いつつ、国政のために尽くした。
いつかは京に帰ることができる。そう願いつつ、諦めの心もあった。
やがて、仏に帰依する心を持ち、亡骸になっても、この地にいたいと願うようになった。
ひとにはひとの定めがある。
置かれたその場所で懸命に生きないものは、どこにいっても大成しない。
彼にはおそらく、母が祈ることでもらった命、という覚悟があった。
その場所で花を咲かせる。その場所で自分を高める。
そうすることでしか、幸せの風は吹かない。
どんなに惨めな状況であろうとも、彼はそれを受け止め、住民たちのために骨身を削った。
903年、58歳でこの世を去る。
のちに彼の無実は証明され、学問の神様として後世も多くのひとに御利益を運ぶ。
そして、一夜で飛んだ梅の木は、今も花を咲かせている。
【ON AIR LIST】
Send My Love (To Your New Lover) / Adele
Boys Don't Cry / The Cure
Stay (Faraway, So Close!) / U2
Don't Dream It's Over / Crowded House
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