第九十八話自分の居場所
木々たちの間をすり抜けた清廉な風が、心地よく、かたわらを行き過ぎていきます。
開け放たれた鉄の門。そこから延びる真っ直ぐな道を進むと、鳥の声が迎えてくれます。
敷地内を流れる小川のせせらぎ。
小さな橋を渡ると、そこに世界的な芸術家たちの作品が、自然と一体化して、訪れるひとを待っています。
その作品のひとつを手がけたのが、彫刻家イサム・ノグチの『雨の山』『雲の山』。
緑と融和した岩が、独特の存在感を持って、迫ってきます。
イサム・ノグチは、日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれました。
二つの祖国を持つということ。
そして、母が未婚のまま自分を産んだ、いわば私生児だったという事実。
彼は生まれながらにして、自分の居場所を持てない、流浪の人生を決定づけられてしまいました。
彼は、自伝の書き出しにこうしるしています。
『二つの国を持ち、二重の育てられ方をした私にとって、安住の地はどこなのか?私の愛情をどこに向ければよいのか?そもそも、私とはいったい何なのか?日本か、アメリカなのか、あるいは両方なのか、それとも、もしかしたら私は世界に属しているのだろうか』
彼は、その答えを追い求め、地球に作品を刻みました。
日本のみならず世界中の大地に残された彼の彫刻は、静かに、降ってくる時を受け入れています。
自分の居場所を見失ったとき、ひとは、どう生きればいいのでしょうか?
自らの存在理由に悩み続けながら激動の時代を生きた、芸術家イサム・ノグチがつかんだ、明日へのyes!とは?
世界的に有名な彫刻家、イサム・ノグチは、1904年、アメリカ・ロサンゼルスに生まれた。
母 レオニー・ギルモアは、教師であり、作家。
父 野口米次郎は、大学の教授にして、詩人だった。
サンフランシスコで文学修行をしていた米次郎が、詩の英訳ができるひとを新聞広告で募った。
そこに応募してきたのがレオニーだった。
二人は恋に落ちる。
しかし、米次郎は恋多き青年で、すぐにロンドンに旅立ってしまう。
レオニーは自分が子を授かったことを知る。
彼女は、ひとりで子を産み、育てる覚悟をもった。
当時はまだ珍しい二つの祖国を持つ子ども、さらに父親がいないという二重の過酷な宿命がイサムにのしかかる。
世界情勢が親子に安住の地を与えない。
日露戦争での日本の勝利。アメリカに反日運動が起きた。
そこにサンフランシスコの大地震が重なる。
レオニーとイサムは、父を頼り、日本に行くしかなかった。
このとき、イサムは3歳。流転の人生の始まりだった。
長旅の末にたどり着いた港。迎えのひとなどあるはずもない。
東京・小石川に居を構えていた米次郎は、別の女性と結婚。
レオニーとイサムは、ただの居候として家に住むことを許された。
イサムは回想している。
「僕は、女中が父をそう呼ぶのを真似て、丁寧にお辞儀をして、父を『旦那様』と呼んだ」。
そんな暮らしが居心地のいいわけがない。
レオニーは1年ごとに転居を繰り返す。
どこに行っても、奇異の目で見られた。
「よそもの!変わり者!余計もの!」
そんな世間の目を、感受性の鋭いイサムも感じていた。
彼は思った。
「僕は、この世に必要のない人間なんだな、きっと」。
芸術家イサム・ノグチは、6歳のとき、母 レオニーと茅ヶ崎に移り住んだ。
農家に間借りして、村の小学校に通う。
イサムは後年、この地を唯一「ふるさと」と呼んだ。
彼は自然に溶け込み、自然とたわむれ、どこにでもいる日本人の子どもになった。
草木で笛をつくる、鰻をつかまえる、お祭りの掛け声、花火、風に舞う凧、旅回りの歌舞伎役者、海に沈む太陽、全てが彼の感性を作った。
彫刻家として名を成したころ、あるインタビューでこう訊かれた。
「あなたという芸術家は、どこから生まれたんですか?」
彼は答えた。
「ひとは誰でも、記憶のどこかに子供時代を大切にしまっている。毎日が発見だった日々。私の場合、その子供時代を日本で過ごせたことが幸運だった。日本の自然には、全てがあった。昆虫、葉っぱ、花、自然の移ろいの細やかさが、私の心を育ててくれた。日本では、いつも自然が自分のすぐそばにあったんだ」。
しかし、相変わらず、いじめはあった。
近所の子どもから石を投げられる。ひどい言葉をあびせられた。
それでも彼は自然と対話することで、なんとか心を保った。
誰にほめられるでもなく、ひっそり咲く路傍の花。
「おまえは、偉いな。たったひとりで堂々としている」。
花は風に揺れながら答える。
「咲いたこの場所が、私の居場所なんです」。
幼いイサム・ノグチに、友達はいなかった。
母だけが頼り。でもその母は、理知的で行動派。
片時もじっとしていない。
イサムは、母と海に行くのが嫌だった。みんなから、からかわれる。
母はさっと波間に消えて沖まで泳いでいく。
どこまでもどこまでも泳いでいく母。不安になる。
「もしお母さんが帰ってこなかったらどうしよう…」。
自分はこの世に必要のない存在だ、自分は誰からも愛されていない、そんな不安感、欠落感が彼を押しつぶす。
目を閉じ、耳をふさいで、孤独と闘った。
母 レオニーは彼に、ひとりでも生きていけるようにとさまざまな技術を教えた。
木を切る、魚をさばく、農作業道具を使う。
鎌倉の屋敷の庭園をまわり、庭を見せた。
造園業の知り合いに頼み、修行をさせることもあった。
イサムは、庭を見るのが好きになった。
庭を自分でつくるのに夢中になった。
そこには、宇宙がある。誰にも邪魔されない王国がある。
ある日、家の前に小さな庭を作っているときに、何かが足りないと思った。
草木で作った箱庭。水を通し、小川に見立てた。
「何が足りないんだろう…」。
試行錯誤しているとき、海で拾ったあるものを置いた。
石だった。
「そうか…石だ!」
石が、庭に存在感を与えた。
そして、石は自分だった。
どこにも属さない自分、誰にも認められない自分。
石の発見が、彼を変えた。
彼は、石によって自分の居場所を自分で作った。
心の庭を作ったとき、足りないものを探してみる。
その足りないものこそ、自分だ。
自分の居場所は、誰も教えてくれない。一生かけて己で探すもの。
イサム・ノグチは、世界中に石を置くことで、自分の居場所をつくった。
彼は言うだろう。
「焦らなくていい。あなたの生きる場所は、一生かけて探せばいいのだから」。
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