第四百八話理不尽に立ち向かう
今年、生誕110年を迎えます。
カミュの『ペスト』には、不条理な不幸にみまわれた人間の格闘と、未来への可能性が描かれています。
14世紀にヨーロッパで、黒い死の病と書く「黒死病」と呼ばれ、大流行した感染症、ペスト。
その勢いはすさまじく、わずか数年でヨーロッパ全土に拡がり、一説によれば、全人類総人口の3分の1が死滅したと言われています。
カミュは、このペストを、アルジェリアの港町、オランを舞台に書きました。
オランのおよそ20万人の住民は、とてつもない厳戒態勢のもと、一歩も外に出ることを許されず、家に閉じ込められます。
まさに我々が、コロナ禍で外部との接触を断たれたように。
この小説が書かれた当時は、この物語が、ナチス占領下のユダヤ人たちの生活を象徴していると考えられていました。
共通しているのは、理不尽で抗いがたい、不条理です。
人々は、苦悩し、嘆き、ただ、のたうちまわって、不条理の前にひれ伏します。
しかし、カミュは、この理不尽に真っ向から向き合う医者の姿を通して、人間の行動の可能性、人生に対する向き合い方を提示します。
カミュは、こんな言葉を残しています。
「希望というのは、一般的に信じられている事とは反対で、実は、あきらめにも等しいものなのです。
ただ、生きることは、あきらめないことです」
カミュは、自動車事故を恐れ、「自動車事故で亡くなるのだけは避けたい」と家族に話していましたが、1960年1月4日、午後1時45分。
友人が運転するクルマで、事故死。享年46歳。
ほんとうは、妻や子どもと共に、汽車でパリに帰る予定でした。
時代を予見し、傑作を世に出し続けたノーベル賞作家、アルベール・カミュが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
今年、生誕110年を迎えるノーベル文学賞作家、アルベール・カミュは、1913年11月7日、フランス領だった北アフリカ・アルジェリアに生まれた。
祖父は、フランスからの移民。
父は、農場で働く労働者だった。
母は、スペイン系。聴覚障害を患っていた。
家族に読み書きができるものは、誰一人、いなかった。
カミュが生まれた翌年、父が戦争で亡くなる。
母と兄弟は、実家に身を寄せ、貧しく暮らした。
地中海の近くで、孤独でも、豊かな想像の世界に身をゆだねる。
小学校に入学したとき、貧しさはピークに達していた。
とても、高等学校に進学できない。
しかし、小学校の教師、ルイ=ジェルマンは、カミュの自宅を訪れ、母親の耳元で言った。
「お母さん、正直に言いますが、私の教師人生の中で、息子さんほど、できる生徒に会ったことがありません。
感性が独特で、特に作文がうまい。
奨学金を受けられるように推薦します。
どうか、どうか、アルベール君を進学させてあげてください。
このとおりです、お願いします!」
この教師の熱意がなければ、のちのノーベル賞作家は生まれなかった。
小説『ペスト』の作者、アルベール・カミュは、小学校の教師、ルイ=ジェルマンの支援のもと、リセ=ビジョーという高等中学校に進学する。
フランス語、ラテン語のコースを選択。
サッカー部にも入った。
アルバイトをしながら、なんとか通い続ける。
楽しかった。
毎日が新鮮で、知らないことを知る楽しさに満ちている。
ワクワクした。
しかし…17歳のとき、彼を病魔が襲う。
いきなり、血を吐いた。結核だった。
以来、彼は一生を通じて、この病に苦しめられることになる。
「なんで、ボクが…もう十分、苦しんでここまできたのに、なんで、ボクが…」
哀しい。つらい。
そして、理不尽な仕打ちに、腹が立った。
「裕福に暮らして、のん気にしているやつがいる、あんなやつらと何が違うというんだ、このボクは!」
そんな憤りを高める彼に、リセ=ビジョーの教師、ジャン・グルニエは、自ら書いた孤独の島と書く、『孤島』という小説を渡した。
「いいから、これを読んでみなさい、アルベール君」
その本を読んだカミュは、感動で体が震えた。
彼は、のちに、こう語っている。
「この小さな本のページを道でひらいた。
最初の数行を読んだところで、僕は本を閉じた。
本を大切に胸にしっかりおしつけて、誰も見ていない場所でむさぼり読むために自分の部屋まで一気に走った、あの夜に、僕は帰りたいと思う」
アルベール・カミュは、ジャン・グルニエからもらった小説をきっかけに、文学に興味をいだく。
古今東西の、手に入るあらゆる本を読んだ。
学校の図書館に通い詰める。
やがて、図書館の司書も、熱心なカミュのために、珍しい本を仕入れるようになる。
ただ、小説家になる気はなかった。
それよりも、ジャーナリズムに関心を示す。
その底辺には、この世の不条理を解き明かしたい、という思いがあった。
冤罪事件や植民地問題、なぜ世界で、理不尽な権力に振り回されるひとが後を絶たないのか。
1939年、第二次世界大戦が始まると、すぐに軍隊に志願。
しかし、結核のため、徴兵は却下。
皮肉なことに、彼が理不尽だと恨んだ病で、戦地に行かなくてすんだ。
そのときは再び、我が身の病を憎んだが、結果、戦時下、戦争後、彼の名を世界に知らしめる不条理三部作を書くことができた。
『異邦人』『シーシュポスの神話』、そして、戯曲『カリギュラ』。
それらはやがて、1947年に発表する、『ペスト』につながる。
アルベール・カミュは、自らの理不尽に立ち向かい、傑作を書いた。
その作品は、時代を経ても色あせることはない。
彼は、こんな言葉を残している。
「涙が出そうになるくらいに、生きろ!」
【ON AIR LIST】
デザート・ローズ / スティング with シェブ・マミ
スバビ / ハレド
アルジェリア組曲 第3曲 夕べの幻想 / サン=サーンス(作曲)、モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団、デヴィッド・ロバートソン(指揮)
私の太陽 / 佐野元春 & THE COYOTE BAND
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