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村上RADIO ~安井かずみと岩谷時子の世界~

村上RADIO ~安井かずみと岩谷時子の世界~

こんばんは、村上春樹です。村上RADIO、今日は1960年代~1970年代にかけて活躍した、2人の傑出(けっしゅつ)した日本人女性作詞家の特集をお届けします。安井かずみさんと岩谷時子(いわたに・ときこ)さんです。そういえば、作曲家の特集はあっても作詞家の特集って、この番組で初めてのことですね。そんなわけで、今日おかけする音楽はすべて日本語の歌詞ということになります。

<オープニング曲>
Donald Fagen「Madison Time」


岩谷時子さんは1916年生まれ、安井かずみさんは1939年生まれと、20歳以上の年齢差はあるのですが、お2人には大きな共通点があります。最初は洋楽の訳詞を主に手がけられ、やがてオリジナルの日本語作詞家に転向して、それぞれに時代を画(かく)する作詞家となったという点です。また活躍された時期もだいたい、ぴたりと重なっています。

今日はまず2人の訳詞家としての作品を中心にご紹介し、後半にオリジナルとして書かれた歌詞のものをおかけしたいと思います。
G.I. ブルース
坂本九、ダニー飯田とパラダイスキング
ベスト・オールディーズ100
Toshiba Records
ヘイ・ポーラ
梓みちよ・田辺靖雄
まずは安井かずみさんから行きましょう。彼女は1939年生まれ、生きておられれば85歳になります。でも肺がんのために、1994年に55歳で亡くなりました。ご主人はトノバンこと加藤和彦さん。2人は仲睦まじいファッショナブルなカップルとして、常にマスコミの注目を浴びていました。安井かずみさんは、才能溢れる作詞家であると同時に、若く美しく、カリスマ的な人気を誇る時代の寵児(ちょうじ)でもあったわけです。

彼女は横浜生まれで、フェリス女学院を出て、文化学院在学中からすでに訳詞の仕事を始めていました。語学が得意だったし、言葉のセンスも鋭かった。
彼女が最初に手がけたのは、エルヴィス・プレスリーの新曲「G.I. ブルース」。ある楽譜会社に遊びに行ったときに、「これをちょっと訳してみて」と言われて、ほいほいとその場で訳したものがそのまま採用され、坂本九さんの歌でレコーディングされ、大ヒットしました。すごいですね。

そしてその勢いで彼女は、外国製のポップソングに日本語の歌詞をつけ、次々にヒットさせていきます。聴いてください。まずは彼女のそのデビュー作「G.I. ブルース」、坂本九が歌います。バックはダニー飯田とパラダイス・キング。そして田辺靖雄と梓みちよのデュエットで「ヘイ・ポーラ」。どちらも作詞者は「みナみカズみ」というペンネームになっています。
雪が降る
アダモ
ここで1960年代前半の日本のポピュラー音楽事情を説明しておきますね。当時の日本にはポップ・ミュージックみたいなものは存在しませんでした。あったのはいわゆる「歌謡曲」だけ。だから歌謡曲に今ひとつ馴染めない人は洋楽、主にアメリカのポップソングを聴いているしかなかったんです。プレスリーとか、ニール・セダカとか、ポール・アンカとか、その手の音楽ですね。僕も子どもの頃はラジオでそういう音楽ばかり熱心に聴いていました。

そのうちにテレビに歌番組が出てきたわけですが、番組にわざわざアメリカの歌手を呼ぶわけにはいきませんから、日本の歌手に洋楽を歌わせようということになり、その結果、そういう歌手たちのために日本語の訳詞が必要とされ始めました。安井かずみさんも、岩谷時子さんも、そういった需要を埋めるために登用され、活発に仕事をこなしていきました。アメリカのポップソングやヨーロッパの歌に、歌謡曲風の歌詞は合いませんから、当然ながらそこには新しい気風を持った歌詞が生まれていくことになります。からっとしているというか、歌謡曲的な湿っぽさを吹き飛ばしているというか。

安井かずみさんの訳した曲をもう1曲聴いてください。アダモが日本語で歌う「雪が降る」です。「雪が降る」はパリで録音されて、安井かずみさんもそこに立ち会ったということです。僕はたしか『アフターダーク』という小説の中でこの曲を登場させています。素敵な曲、素敵な歌詞です。
ラスト・ダンスは私に
越路吹雪
次は岩谷時子さんの訳詞家時代の作品を聴いてください。岩谷時子さんは2013年に97歳で亡くなっています。音楽には関係ないことですが、僕と岩谷さんは同じ小学校に通っていました。兵庫県西宮市の浜脇(はまわき)小学校というところで、僕も1年生から3年生までここに在校していました。岩谷さんは神戸女学院を卒業後、宝塚歌劇団出版部に就職され、そこで歌劇団の機関誌の編集をしておられました。

そして新人として入団してきた越路吹雪さんと個人的に仲良くなり、越路さんが独立してからはその付き人を、のちにはマネージャーをつとめ、越路さんが1980年に56歳で亡くなるまで、その密接な関係が崩れることはありませんでした。

当然のことながら、越路吹雪さんの歌につけた歌詞も数多くあります。いちばん有名なのは「愛の讃歌」ですが、今日は「ラスト・ダンスは私に」を越路吹雪さんの歌で聴いてください。越路さんの歌声と、歌詞の言葉の響きがよく合っていますね。

「ラスト・ダンスは私に」はアメリカのドゥワップ・コーラス、ドリフターズがヒットさせたアメリカ製の歌ですが、フランス人のダニエル・ダリューがフランス語で歌ったバージョンが日本ではよく聴かれていました。だから元歌はシャンソンだと思っている人も多いですね。子ども時代、うちにもダニエル・ダリューの歌ったこの曲のシングル盤がありました。
夢見るシャンソン人形
中尾ミエ
ベスト・オールディーズ100
Toshiba Records
この胸のときめきを
尾崎紀世彦
岩谷時子さんはフランス語が堪能だったので、アメリカン・ポップスよりはシャンソン系の訳詞が多くなります。彼女の訳詞したものを、さらに2曲聴いてください。中尾ミエさんの歌う 「夢見るシャンソン人形」、そして尾崎紀世彦さんの歌う「この胸のときめきを」です。「この胸のときめきを」はダスティ・スプリングフィールドの英語版でヒットしましたが、もともとはイタリアのカンツォーネです。
若いって素晴らしい
槇みちる
シー・シー・シー
ザ・タイガース
1960年代も後半になり、洋楽に日本語の歌詞をつけて歌わせるというブームもだんだん下火になってきます。その代わりに、ポップスの影響を受け、そのイディオムを加味した新しいタイプの歌謡曲、いわゆる「和製ポップス」が登場してきます。代表的なのが、ザ・タイガースやザ・テンプターズなんかをはじめとする「グループ・サウンズ」です。

そして、安井かずみさんも岩谷時子さんも、そのような時代の流れに合わせるように、訳詞ではなく作詞の仕事をこなすようになっていきます。訳詞の仕事で身につけたノウハウをオリジナルの歌詞作りに応用していったわけですね。
なにしろその時代、その手の新しいテイストを持った歌詞を書ける人が、他にはほとんどいないわけだから、仕事の依頼は次々に飛び込んできます。そして2人は着々と売れっ子の作詞家になっていきます。

安井かずみさんはこの頃から「みナみカズみ」というペンネームを捨てて、本名で仕事をするようになります。安井かずみさんの作詞家としての初期の作品を2曲聴いてください。槇みちるが歌う「若いってすばらしい」、そして当時人気絶頂のザ・タイガースが歌う「シー・シー・シー」。
「若いってすばらしい」は、宮川泰(みやかわ・ひろし)の作曲した1966年のヒット曲。あっけらかんとしたハッピーな青春賛歌で、その手放し感がなかなか素敵です。

そして「シー・シー・シー」は加瀬邦彦が作曲した1968年のヒット曲。お聞きになればわかるように、もろにリバプール・サウンドの影響を受けています。聴いてください。
この「シー・シー・シー」の歌詞は一聴して意味不明というか、かなりぶっとんでいます。こんな感覚的な歌詞を書ける人は他にちょっと見当たりません。
不思議なピーチパイ
竹内まりや
1971年、安井かずみさんの書いた「私の城下町」が小柳ルミ子の歌で大ヒットして、彼女は作詞家としての地歩を固めます。天地真理、郷ひろみ、アグネス・チャン、西城秀樹、沢田研二といったビッグネームに次々に歌詞を提供し、「日本レコード大賞」作詞賞も獲得します。売れっ子になり、注文に応じて片端から書きまくり、その生涯になんと約4,000曲もの歌詞を書いたと言われています。いくらでもするすると言葉が出てきたのでしょうね。そしてそれと同時に彼女は、時代の先端を行く女性として華麗な生活を送り、世間の注目を集めます。その優雅なライフスタイルは1つの伝説にさえなっています。

ただ、この時期に彼女が書いた歌詞は、僕の個人的印象からすると、洋楽ポップス系のからっとしたものから、次第にちょっとウェットな、歌謡曲っぽい雰囲気を持ち始めます。だんだん日本的保守本流にのみ込まれていく……というか。そしてそういう方向性って、安井かずみという人のスタイリッシュで、インターナショナルな生き方とはちょっとずれているんじゃないかと、僕なんかはふと感じてしまうんです。

彼女自身もあるいはそういう危機感は持っていたのかもしれません。1977年にトノバンこと、加藤和彦さんと結婚し、それを境に仕事のスタイルをがらりと変えてしまいます。つまり夫である加藤さんのためにしか歌詞を書かないと心を決めて、それを実行します。ただ加藤さんは天才肌というか、かなり凝り性の人で、売れ線に沿った曲をなかなか素直に書かない人だから、当然ながらヒット曲も生まれにくくなります。でも安井かずみ自身も、そういうきっぱりとした転換を求めていたんじゃないかという気もします。もうこれ以上コマーシャリズムに自分を消費されたくない、というような。
それでは加藤和彦作曲、安井かずみ作詞の曲をひとつ聴いてください。これはヒットしました。竹内まりやの歌う「不思議なピーチパイ」です。
恋のバカンス
ザ・ピーナッツ
ドリームCD・BOX 可愛い花
KING RECORDS
君といつまでも
加山雄三
さて、岩谷時子さんは、ある意味では安井かずみさんとは対照的な生き方をした人でした。メディアに出ることをあまり好まず、作詞家として大きな成功を収め、広く名を知られるようになってからもずっと、職業を尋ねられると「越路吹雪のマネージャーをしています」と答えていたそうです。謙虚な人だったんですね。安井かずみが前に出て、太陽の光を貪欲(どんよく)に求める人だとしたら、岩谷時子はあとに下がって、静かに月の光を求める人だったのかもしれません。でも彼女の書く歌詞には不思議な力強さと、それから……うーん、なんていうのかな、気持ちの良い、適度なバタ臭さが感じられます。
2曲続けて聴いてください。ザ・ピーナッツの歌う「恋のバカンス」、宮川泰の作曲で1963年にヒットしました。それから加山雄三の歌う「君といつまでも」、これは弾厚作(だんこうさく)、つまり加山雄三の作曲。1966年にヒットしました。岩谷さんは加山雄三のために他にも「お嫁においで」「夕陽は赤く」などの歌詞を書いています。聴いてください。

岩谷時子が歌詞を書いたものとしては、他に沢たまきの「ベッドで煙草は吸わないで」、ピンキーとキラーズの「恋の季節」、岸洋子の「夜明けのうた」、ザ・ピーナッツ「ウナ・セラ・ディ東京」、そういった有名曲がたくさんあります。
いいじゃないの幸せならば
佐良直美
もう1曲、彼女が歌詞を書いた代表的な曲をおかけします。佐良直美の歌う「いいじゃないの幸せならば」、 いずみたくの作曲で、1969年にヒットしました。
Fly Me To The Moon
Ted Heath And His Music
Fever!
Decca
今日のクロ−ジング音楽はテッド・ヒース楽団の演奏する「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン 」です。
安井かずみ、岩谷時子、2人の優れた訳詞家、作詞家の作品をこうして聴いてきましたが、いかがでしたか? 僕は生まれてこの方、作詞ってまともにしたことがないので、どういうものなのか想像もできないんだけど、これだけたくさんの歌詞を書くって、やっぱり大変な作業だったんでしょうね。身をすり減らす、というか。他人事ながら、「おつかれさまでした」とつい言いたくなってしまいます。

しかし、それはともかく、この番組でザ・タイガースや加山雄三がかかることになるとは、まったく予想していませんでした。予想外のものごとが持ち上がるのが、この番組の持ち味です。
さて、今日の言葉は小説家村上春樹さんの言葉です。
これは前にも一度言ったことがあるかと思うんだけど、あらためて「今日の言葉」として紹介します。村上春樹さんの人生の最強のモットーです。
「人は人、我は我なり、猫は猫」
人生あれこれきついこともあるかと思います。あの人があれほど輝いているのに、どうして私はこうも冴えないんだろうとか、あいつはあんなに恵まれているのに、どうして俺はひどい目にばかりあうんだろうとか、 いろんなことを考えていやになってしまいます。誤解されたり、行き違いがあったり、人と人との心の溝がうまく埋められなくて悲しくなることもあります。 そういうときにはこの言葉を思い出しましょう。

「人は人、我は我なり、猫は猫」

とにかく自分のやり方でコツコツ前に進んでいくしかないんです。人のことは気にしてもしょうがない。猫さんたちはそういう生き方の良き師匠です。なにしろあのヒトたち、自分のことしか考えてないですからね。ニャーオ。それではまた来月。

スタッフ後記

スタッフ後記

  • 『安井かずみがいた時代』は、島崎今日子さんが安井さんを知る26人にインタビューを行ったドキュメント、すごく興味深いです。『夢の中に君がいる』は越路さんの日記や岩谷時子さんのエッセイからなる一冊、こちらもめちゃくちゃ面白いです。今回の村上RADIOでお二人に興味を持った方はぜひ読んでみてください(構成ヒロコ)
  • 長い間放送業界にいますが、ズズこと安井かずみさんはついぞお見かけしたことはありませんでした。ただ、彼女を見かけた人は何人もいます。たとえば、飯倉のキャンティにクルマで乗り付けたはいいが縦列駐車ができなくて、途方に暮れていたとか。岩谷時子さんもそう。越路吹雪さんとの仲は有名ですが、先輩ディレクターから彼女にまつわる話を聞くのみです。コーちゃんこと越路吹雪さんは生来の心配症で、岩谷さんのおまじないがないとステージに立てなかったとか。そんな都市伝説の時代を思い出しながら、村上RADIOを聴いていました。(延江GP)
  • 洋楽も日本語の歌詞がつくと、昔から日本の歌だったような情感を感じます。やはり言葉には歌を単なる音楽という枠を超えたものにする力があるのかもしれません。安井かずみさんの都会的で洗練された感覚や岩谷時子さんの感情に訴えるような歌詞は時代を超えて多くの人に愛されていくのでしょうね。(CAD伊藤)
  • 「ザ・タイガースや加山雄三がかかることになるとは……。予想外のものごとが持ち上がるのが、この番組の持ち味です」と村上DJ。今月は“安井かずみ&岩谷時子ワールド”の素敵な「予想外」がたくさんかかります。そして、トークの合間にかかるバックの曲にも耳を傾けてみてください。サーフ・シティ、世界は僕の両手に、私の城下町、サン・トワ・マミー……これらもぜんぶ、村上DJの絶妙の選曲です!(エディターS)
  • 今回の村上RADIOは、安井かずみさんと岩谷時子さんの特集でした。番組で春樹さんが作詞家にフォーカスしたのは初めてかと思います。詞が作られた当時の時代背景も興味深く、歌は世につれ世は歌につれ、世の中と影響しあって時代は進むんだと実感しました。そして来月は一転、洋楽グループの特集です。(キム兄)
  • 自分はリアルタイムで味わえなかった昭和の音楽。今回のアダモといい以前のコニーフランシスといい、当時の海外歌手が歌う日本語は、最近の洋楽アーティストのカタカナ日本語とは全く違いますよね。どこか不思議な心地が良さがあって、より一層歌詞が入ってくる気もします。ようやくの(かつ急な)秋に沁みる選曲でした。(ADルッカ)

村上春樹(むらかみ・はるき)プロフィール

1949(昭和24)年、京都市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。’79年『風の歌を聴け』(群像新人文学賞)でデビュー。主な長編小説に、『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞)、『ノルウェイの森』、『国境の南、太陽の西』、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』、『1Q84』(毎日出版文化賞)、最新長編小説に『騎士団長殺し』がある。『神の子どもたちはみな踊る』、『東京奇譚集』、『パン屋再襲撃』などの短編小説集、『ポートレイト・イン・ジャズ』(絵・和田誠)など音楽に関わる著書、『村上ラヂオ』等のエッセイ集、紀行文、翻訳書など著訳書多数。多くの小説作品に魅力的な音楽が登場することでも知られる。海外での文学賞受賞も多く、2006(平成18)年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、’09年エルサレム賞、’11年カタルーニャ国際賞、’16年アンデルセン文学賞を受賞。