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村上RADIO ~秋の夜長はジャズ・クラリネットで~

村上RADIO ~秋の夜長はジャズ・クラリネットで~

こんばんは。村上春樹です。村上RADIO。11月の最終日曜日、いよいよ秋も深まってきましたね。
というわけで、今夜はジャズ・クラリネットを特集してみました。秋の夜にクラリネットのしっとりとした優しい音色は、ことのほか似合います。今夜はバラードを中心にお送りします。お酒が飲める方は、軽くグラスを傾けながら聴いていただけると良いかもしれません。もちろんお酒抜きでも。
音楽の素敵さはかわりませんよ。

<オープニング曲>
Donald Fagen「Madison Time」


クラリネットって、第二次大戦の前はジャズの世界では花形楽器だったんです。ベニー・グッドマン、アーティ・ショウ、ウディ・ハーマンといった有名ビッグバンドはクラリネット奏者に率いられていました。でも戦後になると、サキソフォンが代わって花形楽器となり、クラリネットを吹くミュージシャンの数もすっかり減ってしまいました。でもそれだけに残ったモダン・クラリネットの奏者たちは、それぞれにしっかり腰の据わった演奏をしています。今日はスイング時代から現代のモダン奏者まで、優れたクラリネット演奏をかけていきます。ほとんどがアナログ・レコードです。オリジナル・レコーディングの音をお楽しみください。
Tenderly
Tony Scott
The Modern Art Of Jazz
Seeco Reocords
まずは戦後モダン・クラリネットの代表的なプレイヤーの1人、トニー・スコットの演奏を聴いてください。曲は「テンダリー」。
ピアノはビル・エバンズ、ベースはヘンリー・グライムズ、ドラムズはポール・モティアンという素晴らしいリズム・セクション。トランペットはクラーク・テリー、1957年の録音です。

<収録中のつぶやき>
このころビル・エバンズはまだ売り出し中の若手ピアニストだったんですよね。
Stardust
Benny Goodman
Benny Goodman Combos
Columbia Records
ジャズ・クラリネットといえば、この人を登場させないわけにはいきません。ベニー・グッドマンがホーギー・カーマイケルの名曲「スターダスト」を演奏します。
ピアノはフレッチャー・ヘンダーソン、ギターはチャーリー・クリスチャン、ヴァイヴラフォンはライオネル・ハンプトン、まさに歴史的名演、見事に完成された鉄壁のパフォーマンスです。吹き込みは1939年。白人と黒人が共演することが冷ややかな目で見られていた時代に、グッドマンは黒人の優れたミュージシャンを積極的に登用しました。
House of Bread Blues
Sam Most
Musically Yours
Bethlehem Records
サム・モストもトニー・スコットと同じように、戦後活躍したクラリネット奏者です。クラリネットの他にアルトサックス、フルートも吹きます。 彼はここでは自作のブルーズ曲を演奏します。「House Of Bread Blues」、これがなかなか良いんです。いかにもブルージーなベースのイントロで始まりますが、弾いているのはビル・クロウ、スタン・ゲッツのバンドにいた人ですね。途中から絡んでくるドラムズは名手ジョー・モレロ、ピアノはボブ・ドロー、最高に渋いリズム・セクションです。

僕は今年の春ニューヨークに行ったときに、このベースのクロウさんと会って、夕食を共にしました。もう90歳を過ぎているんですが、とてもお元気で、今でもバンドを率いてジャズ・クラブに出ているんだということでした。日本にもまた行きたいなあと言っていました。来られるといいですね。
Softly As In A Morning Sunrise
Buddy DeFranco
Closed Session Buddy DeFranco and his orchestra
Polygram Records
バディ・デフランコは、スイング時代のクラリネット演奏と、戦後のモダン奏者たちの橋渡しのような役割を果たした人です。もしこの人がいなかったら、ジャズ・クラリネットの世界はもっと日の差さないものになっていたかもしれません。彼はグッドマンやアーティ・ショウに強い影響を受けていますが、まだ無名だったソニー・クラークやケニー・ドリューといったモダン派の若手ミュージシャンを積極的にサイドメンとして採用し、時流におもねるところのない独自のサウンドを展開しました。 「Softly As In A Morning Sunrise(朝日の中にいるように心優しく)」を聴いてください。バックの印象的なギターはバーニー・ケッセル、1957年の録音です。
Petite Fleur
Edmond Hall
Petite Fleur
United Artists Records
エドモンド・ホールは1901年の生まれ、ジャズ・クラリネット界の重鎮と言えばいいのか、中間派の代表的な奏者として一時代を築いた人です。彼の演奏する「Petite Fleur(小さな花)」を聴いてください。
何度聴いても、うっとりしてしまう美しい演奏です。カルテットの演奏で、ピアノはエリス・ラーキンス。曲の最後の方でプチプチっと二度ばかりスクラッチが入りますが、勘弁してください。なにしろ古いレコードなので。

<収録中のつぶやき>
(スクラッチが)入ったでしょ、3個入ったね。


ジャズ・クラリネットとは関係ない歴史の話になっちゃうのですが、ちょっと耳を傾けてみてください。
1964年にトンキン湾事件というのがありました。ベトナムでの戦争がくすぶりかけていた時代のことですが、北ベトナムのトンキン湾で、アメリカの駆逐艦に対して北ベトナムの魚雷艇が攻撃を加えたという報告がありました。この報告は事実関係が未確認だったんですが、当時のアメリカの大統領リンドン・ベインズ・ジョンソンは報復として、即座に北ベトナム空爆の命令を出しました。アメリカの世論もメディアも、この行動にこぞって積極的な支持を与えました。
そしてその流れに乗って、議会の承認がなくても軍事力を自由に行使できる権利を大統領に与えるという危険きわまりない法案を、議会はわずか9時間の討議の末に通してしまいました。上院では88対2、下院では416対0というまさに圧倒的な賛成票が集まりました。反対票を投じたのは両院を通してたった2人だけでした。この法案は「トンキン湾決議」と呼ばれ、ベトナム戦争がエスカレートしていく決定的な要因となります。その結果、多くのアメリカの若者が遠くの戦場に送られ、命を落としました。

この法案に「これは憲法に違反する」という理由で反対した2人の議員は、「反愛国的である」として世論の袋だたきにあい、その結果、次の選挙でどちらも落とされてしまいます。でも、のちになって、このトンキン湾事件なるものが間違いだらけの杜撰(ずさん)な報告であったことが判明します。
反対票を投じた2人のうちの1人、オレゴン州選出のウェイン・モース上院議員は次のように語っています。

「歴史は、わたしたちが憲法を覆し、台無しにするというとんでもない間違いを犯したことをしっかり記録するはずだ。私はそう確信している」

モースさんは亡くなりましたが、今では名誉を挽回し、多くの人に尊敬され、その発言は大事に引用されています。とくに2003年にイラク戦争が勃発したときには、再び脚光を浴びました。これも「大量破壊兵器」というフェイク情報によって引き起こされた戦争でしたね。残念ながら歴史は繰り返されます。
どれだけ世間の風圧が強くても、どれほど自分たちが少数派であっても、正しいと信じることは決して曲げない、それが自分に不利益をもたらすかもしれないとしても、しっかり声を上げる、空気なんて読まない、忖度もしない……そういう人たちの存在が、たとえ少数ではあっても、僕らの社会には必要なんですよね。
最近のジャニーズ問題の報道とか見ていて、勇気を出して声をあげることの大事さをあらためて痛感させられました。長い話になってすみませんけど。
Ask Me Now!
Pee Wee Russell
Ask Me Now
ABC-Paramount Records
ピー・ウィー・ラッセルのクラリネットを聴いてください。セロニアス・モンクの「アスク・ミー・ナウ!」。1963年の吹き込みです。
ピー・ウィーは1906年の生まれで、世代的にはどっぷりスイング時代の人なんですが、革新を恐れない人で、1960年代に入ってからセロニアス・モンクやオーネット・コールマンの曲なんかを積極的に取り上げて、その時代を超えた個性的なスタイルを高く評価されました。
Lotus Blossom
Ken Peplowski Quartet
Memories Of You
Venus Records
今日おかけする中では最新の録音になります。ケン・ペプロウスキーがビリー・ストレイホーンの名曲「ロータス・ブロッサム」を、意外にもクラリネットで演奏します。2006年の録音です。
ペプロフスキーさんは現役バリバリのジャズ・クラリネット奏者として第一線でがんばっておられて、クラリネット好きには得がたい、貴重な存在になっています。心に浸みる美しい演奏です。
Japansy
Johnny Dodds & Jimmy Noone
Big Soul Clarinets
MCA Records
ここでまたぐっと古い録音になります。ジミー・ヌーンが「ジャパンジー」を演奏します。ヌーンは1895年生まれ、1944年には亡くなっています。でも今聴いても決して古くさくはありません。
美しい音色、抜群のテクニック、洗練された音楽性、どれをとっても一級品です。まず最初にヌーンのソロがあり、歌が入り、それからピート・ブラウンのアルトサックスとヌーンのクラリネットの絡みになります。この絡みが本当に素敵なんです。そのへんをひとつじっくり聴いてみてください。1937年の録音です。「ジャパンジー」。
It's Been a Long Long Time
北村英治 & Teddy Wilson
Teddy Meets Eiji
Trio Records
北村英治さんは4年前に「村上JAM」に出演してくださいました。大ベテラン、もう90歳を超えておられましたが、その音色はじつに若々しく、一堂思わず言葉を失ってしまいました。
僕の昔からの愛聴盤を聴いてください。北村さんとテディ・ウィルソンが日本で共演した「It's Been A Long, Long Time(ずいぶん久しぶりだね)」、どこまでも優しく親密な、心のこもった演奏です。
I've Got a Date with a Dream
Lester Young
Billie Holiday & Lester Young Complete Studio Recordings
Essential Jazz Classics
レスター・ヤングはテナーサックスの巨匠と言われていますが、この人のクラリネットも実に良いんです。ただそれほどしょっちゅう吹くわけではなく、ときどき思い出したみたいに引っ張り出して吹いています。
僕がとりわけ好きなのは、ビリー・ホリデイと共演したこの曲です。「I've Got A Date With A Dream(私は夢とデートをした)」。
1938年のSP録音なので、録音時間は3分に限られています。でもこの2分46秒の中に音楽が見事に凝縮されています。いわゆる「3分間芸術」ですね。まずバック・クレイトンのトランペットのイントロがあり、ビリー・ホリデイが歌い、それからディッキー・ウェルズの練れたトロンボーン・ソロがあり、そのあとにレスターのクラリネット・ソロがあります。不思議なくらい短いソロなんですが、歌手にそっと寄り添う心根の感じられる、素敵なクラリネットのサウンドです。
Moonglow
Artie Shaw and His Orchestra
Moonglow
RCA Victor
今日のクロージングの音楽は、アーティ・ショウが演奏する「ムーングロウ」です。アーティ・ショウは白人ビッグバンドの人気ナンバーワンの座を、ベニー・グッドマンと争った人です。8回も結婚して、その中にはエヴァ・ガードナーとラナ・ターナーも含まれています。いや、すごいですよね。もてたんですね。1955年に音楽界を引退し、何冊も小説を書いたりして、悠々自適の人生を送りました。美しい音色で上品にスイングするのがこの人のスタイルです。
ジャズ・クラリネット特集、いかがでしたか? 楽しんでいただけましたでしょうか? スタン・ゲッツがクラリネットをちょこっと吹いている珍しいレコードもうちにあるんですが、今日はそこまでかけられませんでした。残念。

ここでお知らせです。12月20日(水)に早稲田大学の国際文学館(村上春樹ライブラリー)で「村上RADIO」の公開録音を行います。今回のゲストは翻訳家の柴田元幸さんです。「ポップミュージックで英語のお勉強」というテーマで、2人で話をします。

この公開録音に、リスナーを10名、招待します。日時をもう1回いいますね。来月12月20日(水)、夕方6時からです。応募の締め切りは12月3日(金)です。詳しいことは番組サイトを確認して、応募してください。

今日の最後の言葉は、ウディ・アレンさんです。彼は死ぬことについて、こう言っています。
「死ぬのは別に怖くない。ただそのとき、その場に居合わせたくないだけだ」
いかにもウディ・アレンらしい、ちょっぴりダークなユーモアです。うーん、たしかに自分が死ぬ現場に自分が居合わせなければ、いろんな面倒なことは考えずに済んでいいかもしれませんね。でもまあ、いろんな面倒を満遍(まんべん)なく背負い込むのが僕らの人生です。最後までできるだけユーモアを忘れないようにがんばりましょう。
それではまた来月。

スタッフ後記

スタッフ後記

  • ジャズを聴く際にクラリネットで選んだことは正直なかったのですが、いやかっこいいですね。また一つ新しい引き出しが増えました。改めてですが、毎回本当に勉強になります。モダンジャズにはなりますが、先日ブルーノートにクラリネットやサックスなどマルチに操るコーシャス・クレイを聴きに行きました。クラリネットへの興味がますます深まりましたね。もういっそのこと習い始めようかな?(ADルッカ)
  • これまでクラリネットというと地味な印象を持っていましたが、今月の村上RADIOでその美しい音色と多彩な表情を聴き、クラリネットの魅力に気づかされました。そういえば、マーカス・ミラーがたまに吹いている変なひょろ長い楽器もクラリネットの一種だと最近知りました。クラリネットにも色んなバリエーションがあるんですね。新しい音楽でももっとクラリネットがフューチャーされるといいですね。(CAD伊藤)
  • 4年前、村上RADIOの公開収録「村上JAM」で北村英治さんがステージに上がった。村上DJは学生時代にアルバイト先である水道橋のジャズ喫茶でジャズ・クラリネットに出会い、「僕はアルバム『テディ・ミーツ・エイジ』の “It's Been a Long, Long Time”が好きで、いつもかけてたんです。これ、本当にいいレコードですよね」と北村さんに語りかけた。今回その曲が9番目にかかります。英語の歌詞のタイトル、心に響きますね。(エディターS)
  • 「村上RADIO」今月も楽しんでいただけましたか?大事なお知らせなので、改めて!12月20日(水)早稲田大学の通称「村上春樹ライブラリー」で「村上RADIO」の公開収録を行います。ゲストは翻訳家の柴田元幸さん、テーマは『ポップミュージックで英語のお勉強』です。この公開収録にリスナー10名様をご招待いたします。ぜひぜひご応募ください。お会いできるのを楽しみにしています♪(構成ヒロコ)
  • スタジオでの収録後、春樹さんは「クラリネットの音色はいつも変わらないけど、奏者は少なくなってしまった。サックスに押されてね」とおっしゃっていました。そう思うと、今日の一曲目、トニー・スコットが吹く『テンダリー』に寄り添うビル・エバンスのピアノが身に沁みます。演奏は1957年、66年前のことでした。(延江GP)
  • 今回の村上RADIOはクラリネット特集でした。自分の周りでもクラリネットの音色に心奪われ、演奏にチャレンジしたものの挫折した人が数人いました。難易度の高い楽器なのかもしれないですが、そう考えると音色を聴けるだけでも貴重な体験になるのかなと思います。今回は特にしっとりとした村上RADIOなので、ゆっくり時間が流れるラジオ番組を楽しんでいただけると嬉しいです。(キム兄)

村上春樹(むらかみ・はるき)プロフィール

1949(昭和24)年、京都市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。’79年『風の歌を聴け』(群像新人文学賞)でデビュー。主な長編小説に、『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞)、『ノルウェイの森』、『国境の南、太陽の西』、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』、『1Q84』(毎日出版文化賞)、最新長編小説に『騎士団長殺し』がある。『神の子どもたちはみな踊る』、『東京奇譚集』、『パン屋再襲撃』などの短編小説集、『ポートレイト・イン・ジャズ』(絵・和田誠)など音楽に関わる著書、『村上ラヂオ』等のエッセイ集、紀行文、翻訳書など著訳書多数。多くの小説作品に魅力的な音楽が登場することでも知られる。海外での文学賞受賞も多く、2006(平成18)年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、’09年エルサレム賞、’11年カタルーニャ国際賞、’16年アンデルセン文学賞を受賞。