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村上RADIO ~マット・デニス・ソングブック~

村上RADIO ~マット・デニス・ソングブック~

こんばんは、村上春樹です。村上RADIO、今夜は「マット・デニス・ソングブック」をお届けします。村上RADIO恒例のソングブック・シリーズ、モーズ・アリソン、レイ・チャールズ、ホーギー・カーマイケルに続いて、これで4回目です。自分で言うのもなんだけど、なかなか渋いラインアップですね。

マット・デニス(Matt Dennis)、そんな名前聞いたこともないぞ、という方もきっと多くいらっしゃることでしょう。でもこの人、嚙(か)めば嚙むほどじわっと味わいの出る素敵な名曲をいくつも書き残しています。都会的で洒落ていて、ユーモアとロマンスに溢れていて。そんなマット・デニスさんの音楽世界に耳を傾けてみてください。

マット・デニスは1914年の生まれ、2002年に88歳で亡くなっています。1940年代~1950年代にかけて、作曲家にしてピアニスト、アレンジャー、そして歌手としても活躍しました。とても多作な方で、生涯に1,000を越える数の曲を作ったと言われています。ほとんど書き飛ばし状態だったんでしょうね。もちろんすべてが名曲というわけにはいきませんし、ジョージ・ガーシュインやアーヴィング・バーリンに並ぶような、歴史に残る偉大な作曲家とは呼べそうにありませんが、少なくとも1ダースは後世に残る名曲を書き残しています。それで、この1ダースほどがまた素晴らしいんです。
知る人ぞ知るソングライター、マット・デニス。どうか皆さんも彼とお知り合いになってください。
Junior And Julie
Matt Dennis
Matt Dennis Plays And Sings
KAPP Records
まずは作曲者マット・デニス自身の弾き語りから聴いてください。自作を集めて自分で歌ったアルバム『マット・デニス・プレイズ・アンド・シングズ・マット・デニス』からのトラックです。曲は「junior and julie→Junior And Julie」、彼が自らピアノを弾いて歌います。歌もうまいんです、これが。

ジュニアというのは語り手の息子の名前、ジュリーは娘の名前です。彼は2人のためにせっせと貯金をしています。ジュニアはやがて世間に名を知られた立派なお医者になるし、ジュリーは素敵なレディーになって、ホワイトハウスにお茶に招かれます。そうなる予定なんです。誇らしい父親……というところなんだけど、でもちょっと話が早すぎるかなと語り手は反省します。だって僕らは今日結婚したばかりなんだものね、と。とてもほのぼのとした素敵な歌であり、素敵な歌唱です。
Will You Still Be Mine?
The Red Garland Trio
Groovy
Prestige
Will You Still Be Mine?
Buddy Greco
talkin' verve
Verve
「ジュニア・アンド・ジュリー」はそれほど有名な曲ではありませんが、こちらはかなり有名です。「Will You Still Be Mine?(君はまだぼくのものでいてくれるだろうか?)」。マイルズ・デイヴィスやレッド・ガーランドが取り上げて演奏したので、ジャズ・ファンにもよく知られています。

この曲は歌詞がすごく面白いんです。「長い歳月が流れても、それでも君はまだぼくのものでいてくれるだろうか」という歌なんだけど、その時代時代のネタを盛り込んでいろんな歌手が、歌詞を適当に変えて歌っています。たとえばですが、「マリリン・モンローが年老いてぺちゃパイになっても、君はまだぼくのものだろうか」とかね。
このバディ・グレコの歌うライブ盤は1955年の録音ですが、ここでも時事ネタがふんだんに取り入れられています。今となってはなんのことだか、というものも多いんですけど、わかる方は笑ってください。
バディ・グレコもマット・デニスと同じようにピアノの弾き語りの達者な才人でした。

<収録中のつぶやき>
「(歌詞の中の)“When CONFIDENTIAL tell us the truth……、この“コンフィデンシャル”は嘘ばっかり書いている雑誌か新聞の名だけど、当時のことだから、いま聴いてもよくわかんないですね。CBSがなんとかっていう有名な司会者をクビにしたとか。誰だかわからないよね、いまでは」
Violets For Your Furs
Frank Sinatra
Songs for Young Lovers
Capitol Records
Violets For Your Furs
John Coltrane
Coltrane
Prestige
フランク・シナトラが「Violets For Your Furs(コートにすみれを)」を歌います。1941年にシナトラの歌でオリジナル・ヒットしましたが、これはシナトラが1954年にキャピトル・レコードのために再録音したものです。1941年当時、シナトラとマット・デニスは、ともにトミー・ドーシー楽団に属していました。シナトラは歌手として、デニスは作曲家兼ピアニスト兼アレンジャーとして雇われていました。当時のドーシー楽団にはシナトラとジョー・スタッフォードという強力なシンガーが揃っていたので、デニスの歌手としての出番はありませんでした。

「雪のちらつく冬のマンハッタン。でも君の毛皮のコートにつけるために、スミレの花を買ったら、とたんにあたりは春のようになってしまった」という歌です。この曲はジョン・コルトレーンも取り上げて有名になりました。まずシナトラの歌で聴いて、それから途中でコルトレーンの演奏に切り替えます。
Let's Get Away From It All
The Pied Pipers
In A Tribute To Tommy Dorsey
Simitar
これは前にもこの番組でかけた記憶があるんですが、まあずいぶん前のことなので、またかけますね。パイド・パイパーズの歌う「Let's Get Away From It All」。
トミー・ドーシー楽団が抱えていた男女混合のボーカル・グループです。とても洒落たモダンなハーモニーで、一世を風靡(ふうび)しました。当時の人気バンドは実に大がかりなビッグ・ビジネスだったんですね。バンドの演奏者たち、男女の歌手、ボーカル・グループ、アレンジャー、作曲家、みんな丸抱えして全米を移動していました。とくに人気のある歌手を抱えているかいないかは 、バンドの人気に大きく作用しました。これはドーシー楽団の解散後、1957年にパイド・パイパーズがステレオで再録音したものです。
「こんな面倒なところはさっさとおさらばして、素敵なところに2人で逃げてしまおうよ」という、“旅行のすすめ”みたいな歌ですね。世界各地の観光名所が出てきます。
The Night We Call It A Day
Diana Krall
THE LOOK OF LOVE
Verve
次は「The Night We Call It A Day」、これもいかにも都会風、小洒落(こじゃれ)た歌です。1941年にフランク・シナトラが歌ってヒットしました。この年にはドーシー楽団は、マット・デニスの提供した曲を14曲もレコーディングしています。デニスさん、絶好調だったんですね。

シナトラはドーシー楽団でもこれを歌っていますが、それとはべつに自己名義の録音も残していて、これがシナトラにとっての記念すべき初ソロ・レコーディングになっています。

この「The Night We Call It A Day」というタイトルは日本語に訳すのがとても難しいです。“Call It A Day”というのは英語の慣用句で、「もうおしまいにする」「ここらで切り上げる」という意味なんです。だから正確に訳すと「これでもうおしまいにしようと僕らが言った夜」ということになります。Night(夜)とDay(昼)、言葉をひっかけた遊びなんですね。
ダイアナ・クラールがピアノの弾き語りで歌います。そういえば彼女も弾き語りの名手ですね。
Angel Eyes
Ella Fitzgerald
First Lady of Song
Verve
マット・デニスは戦後しばらく、忘れられた存在みたいになっていたんですが、この「Angel Eyes(エンジェル・アイズ)」という曲が1953年にヒットして、ソングライターとして再評価されるようになりました。「エンジェル・アイズ」、ほんとに素晴らしい曲です。歌うのがけっこう難しい曲なんだけど、これはマット・デニスの文句なしの代表曲になっています。

語り手は、天使のような目をした素敵な女性に去られてしまいます。愛を失い、捨て鉢(すてばち)な気持ちになって、バーにいる人たち全員に「僕がお酒をみんなに奢(おご)るよ。なんでも好きなものを注文してくれ。そして思い切り楽しんでくれ」と言います。そして言います。「でも僕はちょっと失礼するよ。これから町に出て、今誰がいちばん輝いているかを探してくるから」と。天使のような瞳がどうしても忘れられないんですね。
エラ・フィッツジェラルドがバーニー・ケッセルのギター1本をバックに歌い上げます。1957年の録音です。

エラ・フィッツジェラルド、素晴らしいですね。
Love Turns Winter To Spring
Four Freshmen
Complete 1950-1954 Stidio-Issued Recordings
The Jazz Factory
次はフォア・フレッシュメンが歌います、「Love Turns Winter To Spring(愛があれば、冬も春に変わってしまう)」。これは1954年の録音です。
とても美しいバラードだと思うんだけど、この曲を取り上げている歌手は意外に少なくて、僕が知る限り、フォア・フレッシュメンのバージョンの他に、有名歌手でこの曲を歌っているのはジューン・クリスティくらいですね。不思議です。

<収録中のつぶやき>
しかしこの番組、フォア・フレッシュメンがよくかかるよね。好みとはいえ(笑)。
Everything Happens to Me
Thelonious Monk
Monk Alone: The Complete Columbia Solo Studio Recordings 1962-1968
Columbia/Legacy
Everything Happens to Me
Chet Baker
Vocal Collection
Diskport
「エンジェル・アイズ」と並んで有名なマット・デニスの作品がこの「Everything Happens To Me」です。実にいろんなことが僕の身に降りかかる、人生はうまくいかないよ……というコミカルな曲なんですけど、メロディーが美しくて、ジャズ・ミュージシャンに愛好されています。オリジナルはフランク・シナトラをフィーチャーしたトミー・ドーシー楽団の演奏ですが、チャーリー・パーカーの「ウィズ・ストリングズ」での演奏、セロニアス・モンクのユニークなソロ演奏、どれも実に素敵です。でも、今日はチェト・ベイカーの歌で聴いてください。トランペットもベイカーです。
ゴルフの予定を入れると必ず雨
パーティーを開けば、上の階から苦情が来る
風邪を引いたり、電車を逃したり、そんな具合
まったくいろんなことが僕の身に降りかかる
<収録中のつぶやき>
チェト・ベイカーもひいきにしているかもね。
Little Man with a Candy Cigar
Tommy Dorsey And His Orchestra Featuring Jo Stafford
Yes, Indeed!
RCA
ジョー・スタッフォードもトミー・ドーシー楽団専属の歌手でした。彼女はその前からマット・デニスと組んで仕事をしていて、彼女の推薦でマットはドーシー楽団に抜擢(ばってき)されたということです。そして座付きのソングライターとして楽団のためにヒット曲をほいほいと書きまくります。

この「Little Man With A Candy Cigar」もそんな曲の中の1つです。キャンディーの葉巻を口に加えた小さな坊や。大人の真似をして気難しい顔をしています。でもいいのよ、好きなだけ空想に耽っていれば。あなたのお父さんも、昔はそれと同じ事をしていたんだから。
ジョー・スタッフォードがバラードを優しく歌い上げます。
Everything Happens to Me
Dave Brubeck Quartet
Angel Eyes
Columbia
マット・デニスの曲だけを集めたアルバムを出しているジャズ・ミュージシャンは今のところ、デイヴ・ブルーベック・カルテットしかいません。「エンジェル・アイズ」というタイトルのアルバムなんですが、これがとても素敵な出来で、僕の愛聴盤になっています。その中から「Everything Happens To Me」を聴いてください。ポール・デズモンドのアルトサックスがとてもチャーミングです。
いかがでしたか? マット・デニスの音楽、気に入っていただけましたでしょうか? ずいぶん昔の懐かしい音楽になってしまいましたが、今聴いても思わず口元がほころんでしまうような、優しさと洒脱(しゃだつ)さに満ちています。

今日の言葉は、アメリカのある女優の言葉です。女優の名前はわかりません。ちょっと前にアメリカのテレビを観ていたら、金髪の女性がインタビューを受けていて、女優の誰それとクレジットされていたのですが、ちょっとぼんやりしていて名前は読み取れませんでした。年齢はたぶん60代くらい。誰だったんだろう?

彼女はインタビューに答えてこう語っていました。
「人生って二回あるべきなのよね。一度はリハーサル、二度目が本番、でも現実には一度しかないから、それでなんとかやっていくしかないわ」
それを聴いて、僕は感心しちゃいました。うーん、いかにも女優さんらしい発想ですよね。人生二回説。一度目はリハで、二度目が本番。なるほどね。
でも僕の個人的感想を言わせていただけるなら、小説家的には、人生なんて一回で十分です。今更やりなおしなんかしたくない。めんどくさいから。

あなたはいかがでしょう? 人生、もう一度やりなおしたいですか? それとも1回で終わりにして、あとはゆっくり休みたいですか?
猫山さんはいかがでしょう?(にゃ―)

スタッフ後記

スタッフ後記

  • 村上RADIOの初収録は6年前の初夏でした。いまや小説家、翻訳家に加えて、春樹さんの肩書に「ラジオDJ」も加わり、村上RADIOならではの特集も増えています。今月は「ソングブック・シリーズ」の4回目、マット・デニス特集です。村上DJ自身が「自分で言うのもなんだけど、なかなか渋いラインアップですね」と語っていますが、シブいけど素敵な曲ばかりです。チェト・ベイカーの“ Everything Happens to Me”、しびれます。(エディターS)
  • 6月、村上RADIOの音楽イベント、村上JAM3が開催されます。コロナ禍の数年、ライブが自由に楽しめない時期が続きましたね。いつ何が起こるか、誰にもわかりません。だからこそいまを大切に、多くの方と一緒に村上JAMを楽しみたい。イベントサイトをチェックして、あなたもぜひ参加してください!会場でお待ちしています♪(構成ヒロコ)
  • いやはや。全編マットデニスのラジオは村上RADIOをおいて他にありません。村上さん、すごいなぁ。ラジオで音楽の粋を知る。原点ですね!(延江GP)
  • 今回の村上RADIOは、1人のアーティストに焦点を当てたソングブック・シリーズでした。前回のモーズ・アリスンに続き、特定のジャンルにカテゴライズできない独自の音楽が並んでいます。こうしたジャンルレスな音楽は、逆に今の時代に合ってるのかもと思いました。1時間全てがマット・デニス。存分にお楽しみください。(キム兄)
  • 今日の最後の言葉、二度目の人生が欲しいとは思いませんが、もし途中まで戻れるならタバコをやめたときに戻って、禁煙のストレスを紛らわすために間食をするなと自分に言ってやりたいです。25kgも増えた今の自分を見せてやれば、どんなストレスにも耐えられたでしょう…。ソングブックシリーズ、あの名曲をこんな人も歌っていたんだ!と毎回驚いています。次のソングブックも楽しみですね!(CAD伊藤)
  • 1ダースほどの素晴らしいマット・デニス作品たち。作曲家マット・デニスの才能に触れたのはもちろん、カバーしたミュージシャンたちの実力に改めて思い知らされました。今回はBGMとして選出のセロニアス・モンク。コルトレーンはお気に入り曲がまた増えてしまいました。いや~素敵なプレイリストですね!(ADルッカ)

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文藝春秋(2007年10月)文春文庫(2010年6月):音楽本ではないが、ランナーにも愛読者が多い。

村上春樹(むらかみ・はるき)プロフィール

1949(昭和24)年、京都市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。’79年『風の歌を聴け』(群像新人文学賞)でデビュー。主な長編小説に、『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞)、『ノルウェイの森』、『国境の南、太陽の西』、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』、『1Q84』(毎日出版文化賞)、最新長編小説に『騎士団長殺し』がある。『神の子どもたちはみな踊る』、『東京奇譚集』、『パン屋再襲撃』などの短編小説集、『ポートレイト・イン・ジャズ』(絵・和田誠)など音楽に関わる著書、『村上ラヂオ』等のエッセイ集、紀行文、翻訳書など著訳書多数。多くの小説作品に魅力的な音楽が登場することでも知られる。海外での文学賞受賞も多く、2006(平成18)年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、’09年エルサレム賞、’11年カタルーニャ国際賞、’16年アンデルセン文学賞を受賞。