僕はスーツケースをかつぎあげてトランクに放り込み、雪の降りしきる道路をゆっくりと何処にいくともなく車を走らせた。ユキはショルダー・バッグの中からカセットテープを出して、カー・ステレオに入れ、スイッチを押した。……ストーンズが「ゴーイン・トゥー・ア・ゴーゴー」を歌った。「この曲知ってる」と僕は言った。「昔ミラクルズが歌ったんだ。スモーキー・ロビンソンとミラクルズ。僕が十五か十六の頃」「へえ」とユキは興味なさそうに言った。「ゴオイン・トゥ・ア・ゴッゴ」と僕も曲にあわせて歌った。
(『ダンス・ダンス・ダンス』より)
台所でスパゲティーをゆでているときに、電話がかかってきた。僕はFM放送にあわせてロッシーニの『泥棒かささぎ』の序曲を口笛で吹いていた。スパゲティーをゆでるにはまずうってつけの音楽だった。<収録中のつぶやき>
(『ねじまき鳥クロニクル 第1部泥棒かささぎ編』より)
電話のベルが聞こえたとき、無視してしまおうかとも思った。スパゲティーはゆであがる寸前だったし、クラウディオ・アバトは今まさにロンドン交響楽団をその音楽的ピークに持ち上げようとしていたのだ。しかしそれでもやはり僕はガスの火を弱め、居間に行って受話器をとった。……
「十分間時間をほしいの」、唐突に女がそう言った。
(『ねじまき鳥クロニクル 第1部泥棒かささぎ編』より)
「セブンイレブン」の店内。高橋はトロンボーンのケースを肩にかつぎ、真剣な目つきで食料品を選んでいる。アパートの部屋に戻って眠り、目を覚ましたときに食べるためのものだ。店内にはほかに客の姿はない。天井のスピーカーからはスガシカオの『バクダン・ジュース』が流れている。 彼はプラスチックの容器に入ったツナサラダのサンドイッチを選び、それから牛乳のパックを手に取って、ほかのものと日付を見比べる。牛乳は彼の生活にとって大きな意味を持つ食品なのだ。どんな細かいこともおろそかにはできない。
(『アフター・ダーク』より)
客がまったく来ない店で、木野は久しぶりに心ゆくまで音楽を聴き、読みたかった本を読んだ。乾いた地面が雨を受け入れるように、ごく自然に孤独と沈黙と寂寥を受け入れた。よくアート・テイタムのソロ・ピアノのレコードをかけた。その音楽は今の彼の気持ちに似合っていた。<収録中のつぶやき>
誰かを幸福にすることもできず、むろん自分を幸福にすることもできない。だいたい幸福というのがどういうものなのか、木野にはうまく見定められなくなっていた。かろうじて彼にできるのは、そのように奥行きと重みを失った自分の心が、どこかにふらふらと移ろっていかないように、しっかりと繋ぎとめておく場所をこしらえておくくらいだった。「木野」という路地の奥の小さな酒場が、その具体的な場所になった。
(『女のいない男たち』所収 「木野」より)
……僕らは昔のようにソファーに並んで座って、ナット・キング・コールのレコードをターンテーブルに載せた。ストーブの火が赤く燃えて、それがブランディー・グラスに映っていた。島本さんは両脚をソファーの上にあげ、腰の下に折り込むようにして座っていた。そして片手を背もたれに載せ、片手を膝の上に置いていた。昔と同じだ。あの頃の彼女はたぶんあまり脚を見られたくなかったのだ。そしてその習慣が、手術で脚を治した今でもまだ残っているのだ。ナット・キング・コールは『国境の南』を歌っていた。その曲を聴くのは本当に久しぶりだった。
「実を言うと、子どもの頃この曲を聴きながら、僕は国境の南にはいったい何があるんだろうといつも不思議に思っていたんだ」と僕は言った。
「私もよ」と島本さんは言った。
(『国境の南、太陽の西』より)
「ねえ」とすみれは言った。にゃあ(猫山さんの声)
「うん?」
「もし私がレズビアンになっちゃったとしても、今までどおりお友だちでいてくれる?」
「たとえ君がレズビアンになったとしても、それとこれとはまた別の話だ。君のいない僕の生活は、『マック・ザ・ナイフ』の入っていない『ベスト・オブ・ボビー・ダーリン』みたいなものだ」
すみれは目を細めて僕の顔を見た。「比喩のディテイルがもうひとつよく理解できないんだけど、それはつまりすごくさびしいっていうことなの?」
「だいたいそういうことになるかな」と僕は言った。
(『スプートニクの恋人』より)
過ぎ去った時間が鋭く尖った長い串となって、彼の心臓を刺し貫いた。無音の銀色の痛みがやってきて、背骨を凍てついた氷の柱に変えた。その痛みはいつまでも同じ強さでそこに留まっていた。彼は息を止め、目を堅く閉じてじっと痛みに耐えた。アルフレート・ブレンデルは端正な演奏を続けていた。曲集は「第一年・スイス」から「第二年・イタリア」へと移った。今夜は、僕の小説に出てくる音楽をいろいろおかけしました。音楽を聴いて、また本を読み返したくなったという方がいらっしゃったとしたら、とても嬉しいです。読み返してください。それでは。
そのとき彼はようやくすべてを受け入れることができた。魂のいちばん底の部分で多崎つくるは理解した。人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものなのだ。
(『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』より)
1949(昭和24)年、京都市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。’79年『風の歌を聴け』(群像新人文学賞)でデビュー。主な長編小説に、『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞)、『ノルウェイの森』、『国境の南、太陽の西』、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』、『1Q84』(毎日出版文化賞)、最新長編小説に『騎士団長殺し』がある。『神の子どもたちはみな踊る』、『東京奇譚集』、『パン屋再襲撃』などの短編小説集、『ポートレイト・イン・ジャズ』(絵・和田誠)など音楽に関わる著書、『村上ラヂオ』等のエッセイ集、紀行文、翻訳書など著訳書多数。多くの小説作品に魅力的な音楽が登場することでも知られる。海外での文学賞受賞も多く、2006(平成18)年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、’09年エルサレム賞、’11年カタルーニャ国際賞、’16年アンデルセン文学賞を受賞。