「ぼくの人生とは音楽だ。何かしら捉えどころのない、神秘的な、無意識的なやり方で、ぼくはいつも自分の内部にある張りつめたバネによって、宙にはじき飛ばされ、おおむね強制的に音楽の完璧さに到達させられてきた。でもそれと引き換えにしばしば――ほとんどの場合ということだけど――人生の他のすべてのものを犠牲にすることになった」本当にスタン・ゲッツの人生っていうのは犠牲の上に成り立っています。自分の人生をめちゃくちゃにするんだけど、音楽は本当にどんどん美しくなっていくんですね。
(同書p9)
「刑務所でスタンにわかったのは、素面でいると、ほとんど耐え難いほどの痛みを伴う精神的落ち込みに自分が襲われるということだった。彼は巧妙に警察に見つからないように麻薬を打つコツを覚えます。それに加えて酒びたりになります。その結果激しいうつに悩まされることになり、家庭内暴力が生まれます。奥さんも麻薬中毒になってしまう。引きずり込んじゃうんです。3人の幼い子どもがいるんだけど、家庭は無茶苦茶になっていきます。
釈放された彼はその苦しみの手早い中断を求めた。そして自分にとってのお馴染みの世界に戻っていった。ヘロインあるいはアルコールによる麻痺状態だ」
(ドナルド・L・マギン『スタン・ゲッツ 音楽を生きる』p210)
「スタンの胃はもう焼けつくようだった……1曲を終えるごとに、文字通り、息を切らせていた。とても負担の大きな作業だったんだ。ベースとドラムがいないぶん、より多くの演奏を、より力を込めてこなさなくてはならなかったからね。楽をすることなんてできなかったし、それはスタンの体力を奪い取っていった」でもお聴きになるとわかると思うんですけど、そういうことは感じられません。本当に素晴らしい美しい演奏です。
(『スタン・ゲッツ 音楽を生きる』p548)
「スタン・ゲッツの音楽の真髄はそのリリシズムにある。センチメンタリズムを超えた深い叙情精神だ。しかしこれはあくまでコインの一面に過ぎない。その美麗な精神の裏には避けがたく、残忍なデーモンがひっそりと潜んでいる。明と暗。光と闇。あなたは自由意思で、そのどちらかを選択することはできない。選ぶのはあなたではなく、彼らなのだ。そして真の美とは、根源にそのような危険な成り立ちを避けがたく抱えたものなのだ」これが僕のあとがきです。本当にその通りだと思います。
(同書p574)
1949(昭和24)年、京都市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。’79年『風の歌を聴け』(群像新人文学賞)でデビュー。主な長編小説に、『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞)、『ノルウェイの森』、『国境の南、太陽の西』、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』、『1Q84』(毎日出版文化賞)、最新長編小説に『騎士団長殺し』がある。『神の子どもたちはみな踊る』、『東京奇譚集』、『パン屋再襲撃』などの短編小説集、『ポートレイト・イン・ジャズ』(絵・和田誠)など音楽に関わる著書、『村上ラヂオ』等のエッセイ集、紀行文、翻訳書など著訳書多数。多くの小説作品に魅力的な音楽が登場することでも知られる。海外での文学賞受賞も多く、2006(平成18)年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、’09年エルサレム賞、’11年カタルーニャ国際賞、’16年アンデルセン文学賞を受賞。