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村上RADIO~村上春樹 presents 山下洋輔トリオ 再乱入ライブ~

村上RADIO~村上春樹 presents 山下洋輔トリオ 再乱入ライブ~

村上RADIO~村上春樹 presents 山下洋輔トリオ 再乱入ライブ~
<本番前>
山下洋輔さんのコメント
50年ぶりに集まったサックスの中村誠一、ドラムの森山威男(もりやま・たけお)と先ほどリハーサルをしたんですが、あっという間に元に戻れました。とても楽しく出番を待っているところです。今日もお客さんが誰であろうと自分の音楽をやってしまう、それが一番ですね。今日は今日で特別の音をみんなで出しますので、どうかその中に浸ってお楽しみください。
<オープニング曲>
「Madison Time」Yuki Nakane Quartet + 1(早稲田大学モダンジャズ研究会)による演奏

TALK①
村上こんばんは、村上春樹です。

坂本こんばんは、坂本美雨です。春樹さん、ライブがとっても楽しみですね。

村上そうですね。いまから50何年前に、山下洋輔さんのトリオが早稲田大学4号館(注:旧4号館)にピアノを運び込んでやった「乱入ライブ」がありました。去年、国際文学館(村上春樹ライブラリー)というのが作られたんですが、それが4号館という建物の改築でした。山下さんの演奏した4号館と、今の4号館は違う建物なんだけど、同じ名前の4号館、せっかくだからもう一度「乱入」してもらおうじゃないかと。山下さんにそのお話をしたら、面白そうじゃないかと言ってくださって、それで「再乱入ライブ」が実現しました。

美雨伝説の夜がよみがえります。山下洋輔トリオ再乱入ライブです。

山下これは、中村誠一さんが作った曲で「木喰(もくじき)」というんですが、作曲者の誠一さんに吹いていただきます。

「木喰(もくじき)」

村上こんばんは、村上春樹です。今日は2022年7月12日(火)におこなわれた「山下洋輔再乱入ライブ」の模様をダイジェストでオンエアします。

まず1曲聴いてもらいました。山下洋輔トリオの演奏で「木喰(もくじき)」という曲でした。
すごい迫力ですよね、僕は目の前で聴いていて、ぶっとびました。50数年たってもパワーがまったく落ちてないんです。本当に奇跡のようでした。素晴らしかったです。

1969年7月、僕が早稲田大学の学生だったころに、山下洋輔さんのトリオが早稲田大学の当時の4号館でフリージャズのライブをおこないました。当時は学生運動が激しくて、党派と党派が対立するいわゆる内ゲバみたいなのがあったんですけど、 そのとき敵対(てきたい)する党派が占拠する4号館にグランドピアノを運び込んで、山下トリオの「乱入ライブ」をやっちまえということになったんです。いわば音楽の殴り込みみたいなものですね。

50年あまりを経て、そのライブを再現したらどうなるだろうと山下洋輔さんに話したら、「やってみようじゃないか」ということになりました。 ライブの前に当時の時代背景とか、フリージャズの話を少ししました。ジャズミュージシャンの菊地成孔(きくち・なるよし)さん、写真家の都築響一さん。それから小説家の小川哲(おがわ・さとし)さんと坂本美雨さんにも加わってもらいました。

まずはそのトーク・セッションから聞いてください。続けて、山下洋輔トリオの再乱入ライブをさらに2曲オンエアします。楽しんでください。
トーク・セッション1
小川春樹さんにとって学生運動とはどんなものだったんでしょうか?

村上僕が早稲田に入ったのが1968年で、そのころからバリケード封鎖が始まっていて、ほとんど授業なんてなかったですね。バリ封鎖が終わったら今度はロックアウトで、最初の2年ぐらいはほとんど学校にいかなかったような気がしますね。 授業もほとんどなかった。なにをしていたのか覚えていないんです。だから早稲田大学って、あんまり大学に行った思い出がないんですよね(笑)。 授業がないから本を読んだり音楽を聴いたり、レコード屋でアルバイトしたり、女の子とデートしたり、そういうほうが忙しかった。早稲田大学でなにかを学んだよりは、ストリートというか路上で学んだことのほうが多かったかもしれないですね。

小川1969年当時、乱入ライブのことは御存じだったんですか?

村上主催したのは“ノンセクトドジカル”(註・ノンセクトラジカルをもじった表現)いわゆる黒ヘルの連中です。結構アナーキーだったんだけど、その中に僕の友達がいたんです。開催するのは知っていたけど、残念ながら用事があっていけなかった。 当時、大隈講堂は、革マルが握っていたんです。そこからスタインウェイのピアノを担(かつ)ぎこんで、民青(民主青年同盟)が占拠している4号館(旧4号館)にかつぎ込んで、黒ヘル主催で山下トリオが演奏するというむちゃくちゃな企画でした。 そんな危険なことはないですよね。今から考えるとよくやるよと感心しちゃいます。ピアノをみんなでかついで。作家の中上健次さんもかついだ一人だという伝説が残っています。

坂本学生運動のモチベーションというのは何だったんでしょう?

村上モチベーションは、一種の理想主義なんですよね。少しでも世の中をよくしたい、頑張ればよくなるんじゃないかという信念というか、本能みたいなものがあった。 それがすごく生の形で出てきたのが学生運動だったと思う。結局、それが極端化して内ゲバや連合赤軍事件になって、ぽしゃっちゃうんだけど、そういう理想主義的な力の噴出はある程度評価していいんじゃないかなと僕は考えています。 それが日本だけでなく、全世界的に広がっていた。パリでもアメリカでも、ある意味では紅衛兵の中国でも。不思議な時代で、全世界に理想主義的な力の噴出が起こっていたんですね。

坂本その中で、山下トリオの演奏は、どのように響いたんですか?

村上当時は音楽の力がすごく強かったと思う。ビートルズもジミ・ヘンドリックスも、ドアーズもストーンズもいた。ジャズでいえばフリージャズが、ジャズ喫茶でがんがんかかっていました。 音楽の力が助けてくれたというところがあります。山下トリオの演奏はそうした現象の1つだったと僕は思っています。

坂本きょうは、編集者で写真家の都築響一さんにも来ていただいています。

都築いま、学生運動の話で思い出したんですが、僕が通っていた千代田区の麹町中学校は、日本で唯一、学生運動があった中学校だったんです。 1968年、69年というのは面白い時代でしたね。大学ではバリケードを作って、わあわあやっていたわけですよね。学生運動とジャズの時代ですが、ジャズだけじゃなくハードロックの時代でもあったわけです。 昼間は学生運動で騒いでいましたが、夜になると池袋や浅草の名画座で高倉健の3本立てを見て、泣く……。

村上僕は歌舞伎町東映に行っていましたね。学生の観客も多くて、健さんのセリフに「異議なし!」と声を上げる。

都築演歌歌謡曲のヒットもあって、どうでもいい歌謡映画もたくさんあり、僕は好きです。庶民の暗い情緒があった。

村上藤圭子の歌が時代によく合っていたと思う。

都築「新宿西口フォークゲリラ」は中学生のときに観に行きました。まだ新宿西口の地下は広場でした。週末になると人がめっちゃ集まってきて、フォークを演奏するんです。そのうち新宿の駅で闘争みたいな極端なものになって。

村上当時、新宿西口には何もなかったよね。そう言えば、僕も渋谷の宮下公園のところで、山手線の線路を歩いて越えたよ。

坂本春樹さん、ジャズの「新宿ピットイン」は行かれていましたか?

村上新宿ピットイン、懐かしい。よく行きました。紀伊國屋の裏にあった頃ね。あのころはジャズクラブがあまりなかったから、ピットインは聖地、メッカみたいなものでした。
村上春樹×菊地成孔 “伝説のライブ”を再現した「山下洋輔トリオ再乱入ライブ」でフリージャズを語る
坂本さてここで、ジャズミュージシャン・菊地成孔(きくち・なるよし)さんをお迎えします。

菊地どうも。大雑把に言うと、今日の山下トリオは第1期のメンバーです。僕は、伝説のテナーサックス奏者・武田和則さんの追悼ライブで共演して、山下さんのニュートリオのツアーに合流しました。1990年代の山下洋輔の関係者ですね。

坂本フリージャズが生まれた時代背景というのは、どんなものだったんでしょうか?

菊地フリージャズはアメリカで生まれて日本に輸入されてアレンジされたものです。オーネット・コールマンがそうであるように1950年代に起こったわけですが、フリージャズの歴史を正しく俯瞰するのは難しいです。

ビーバップからモードジャズに移行した歴史があり……という話なんですが、なかなかひと言では言えません。スターというか、有名だったジョン・コルトレーンがフリージャズに転向したんですね。 1966年に新宿の厚生年金ホールで、亡くなった相倉久人先生が司会で、「ライヴ・イン・ジャパン」が開かれたんです。その伝説のライブは、山下さんも客席にいました。山下さんの著作によれば、コルトレーンに背中を押されたみたいです。 そのことが、山下さんの最初のエッセイ『風雲ジャズ帖』に書いてあります。そのころのメンバーが今日のオリジンのトリオ・メンバーです。つまり、『風雲ジャズ帖』のトリオです。

村上1966年はまだ高校生だったんで、行けなかったんです。現在におけるフリージャズの位置って、どうなっているんですか。

菊地いや、僕にはとても語れません。でも、私の師匠筋である「山下」は天性の大スターです。本人に言うと怒られますが、「長嶋」みたいなところがある。 「乱入コンサート」みたいな、記憶に残るすごいことをするんです。学生運動が盛んだったときに、フリージャズというある種の音の暴力的な表現が、学生たちの革命運動にジョインできるという可能性を示したコンサートなんです。

フリージャズをやる人は当時たくさんいたけど、ここまで露骨にやったのは山下トリオだけです。 そういう記録を本人はその気がなくても打ち立ててしまうようなところがある。山下本人は、いわゆる革命運動としての学生運動の退潮に抗うように、フリージャズといういちばん難しい音楽を、 タモリさんや筒井康隆先生も巻き込んで、ポップにお茶の間でも面白く展開した。その後、学生が革命を夢見た政治の時代が終わってもやり続けた。その偉業というか、功績は大きいです。

一方で、大隈講堂のピアノでこうしたこともやったというのがスター性ですね。業績をまとめるならば、そういうことになります。 たぶん山下さんは率いていくという意識は全くないと思いますけどね。面白そうだからやっただけ。今回も村上さんが企画した「再乱入」とか、面白そうじゃないですか(笑)。

村上現在のジャズシーンの中で、フリージャズはみんなやってないけど、1960年代当時とは違う形で、その要素は確実に取り入れられてますよね。

菊地そう、入ってます。公民権運動から続いているものでもありますが、「ブラック・ライブズ・マターの運動」とコロナは同じ時期ですよね。 そこには怒りとか反体制の表現が遺伝子みたいに入っている。それはコロナとブラック・ライブズ・マターがあるかぎりは、ありつづけるというような感じで入っていると思います。 最近の話題のジャズの人は、コロナデビューの人が多いんです。だいたい怒っています。久しぶりにジャズが怒りを取り戻したという印象もあります。

坂本まだまだ3時間くらい聞いていたいのですが……。

菊地これくらいがちょうどいいんじゃないですか。3時間はきついでしょう(笑)。
村上春樹『ノルウェイの森』と山下洋輔の曲“Memory is a funny thing”の奇縁


「ミナのセカンドテーマ」
山下早稲田の皆様にお礼を申し上げます。特別な場所です、早稲田大学は。
それでは、私が50年前に作った曲で、いちばん最初の私たちのLP、アルバムのテーマ曲になりました「ミナのセカンドテーマ」。お聴きください。

山下ありがとうございます!「ミナのセカンドテーマ」、ひさびさに、50年ぶりに3人でやりました。
それでは次の曲ですが、これも50年前にできて、当時から必ずやっていた「グガン」です。

お楽しみください。

山下(拍手を聴いて)終わりましたね。みなさん、どうもありがとう!
トーク・セッション2
山下おつかれさまでした。

村上素晴らしい演奏でした。

山下こんなことを50年前からやっているわけです。

村上でも、50年ぶりに再会して、一発で決まるんですね。

山下はい、まったく同じというか、同じ気持ちになって一発でできるんです。そういう音楽をつくってきたので。

村上初歩的な質問をしていいですか。小節の数って数えてます?

山下そんなものはありません(会場笑)。そういうものが嫌でフリージャズをやっているわけです。オーソドックスな正当的なジャズは、小節とコード進行を守ったうえでアドリブをする。それがどれくらいうまいかを聴く人は見ています。

村上山下さんの演奏でいつも感心するのが、手癖(てくせ)がないことで、いつも新鮮な演奏なんです。

山下嬉しいですね。僕は手癖ばかりかと。肘癖は取れないですけど(笑)。

坂本肘が弾く瞬間の、引き金のようなものはあるんですか。

山下そうすね、気持ちが高揚して「じゃーん」と、ここで音がクラスターになっても音楽的に大丈夫だとどこかで考えていますね。願わくば、そのときドラムが見ていてくれて、バシンと合わせてくれたらといいなと。

村上ドラムソロからピアノソロに移るときの打ち合わせはないんですね。合図もなしで?

山下僕が、とにかく音楽的でも何でも、とにかく何かをつかんで、到達して、「もういいや」「やったー」となれば、一緒にやっている演奏者は「あいつはイったな」とわかる。それで交代する。顔つきで「おれは終わるよ」と。それは誰だってわかる。

村上フリージャズって生で聴いたほうが面白いですね。昔、ジャズ喫茶で難しい顔して一所懸命に聴いてたけど、疲れるんですよ。

山下フリージャズのほうが高級な音楽という誤解があってね。菊地くんがさっき言っていたけど、最後の究極の難しい良い形がフリージャズだというのは、ちょっと違うんです。

村上山下さんのフリージャズは物語性がありますよね。セシル・テイラーは解析的ですが、山下さんのは話が進んでいくようで楽しいです。
ところで、中上健次さんが運んだというのは本当ですか?

山下中上さんは本当だと思います。画面に残っています。20人ぐらいでグランドピアノは担げる。でも、中上さんがそう言ったあと、いろんな作家が「俺もあそこにいた」と言い出して……(会場笑)。

村上立松和平(たてまつ・わへい)さんが、その乱入ライブをテーマに「今も時だ」という小説を書きましたよね。小説では、ゲバが起きるわけですが。それは田原総一朗さんが狙った筋書きですよね。

山下そうですね。立松和平さんも村上さんと同じ頃に早稲田の学生でしたが、その時はいなかったんです。あとで話を聞いて大変悔しがって、その時の僕の音源を使ってCDを出してくれたのが舞踏家の麿赤兒(まろ・あかじ)さん。 立松さんは麿さんと仲がよくて、とにかく残念がってそれで小説も書いてしまった。

坂本さて、このライブも終わりに近づいていますが、アンコールでもう1曲演奏していただけたらと思います。

山下いつも演奏する自分の曲があるんです。じつは、すごく偶然なんですが、『ノルウェイの森』の7ページ目に、なんとわたしがいつも弾いている曲のタイトルが出てくるんです。本には、こうあります。

「記憶というのはなんだか不思議なものだ」

この通りの内容を僕は音楽にして弾いているんです。これはある時、アメリカ人のメールフレンドが“Memory is a funny thing”と書いてきた。このフレーズがとても良くて、その場でこの曲を書いてしまったのです。 今回、村上春樹ライブラリーに行って『ノルウェイの森』の英語版を見たら、まさしく、“Memory is a funny thing”とあった。

村上……覚えてないなあ。最初に出てくるんですか(会場笑)。

山下素晴らしいフレーズ、名言なのに。ほら、ここに書いてあるでしょ。主人公が18年の歳月を思い出すシーンで、この文章が出てくるんです。 「記憶というのはなんだか不思議なものだ」と。英訳を調べたら、たしかに“Memory is a funny thing”とある。僕の心を打った英語のフレーズと同じです。そのフレーズを頼りに、僕が作った曲をやります。

坂本それでは、山下洋輔さんの曲で最後を飾っていただきましょう。

山下最初のメロディが“Memory is a funny thing”と聴こえればありがたい。
「メモリー・イズ・ア・ファニー・シング」
村上いまかかっているのが、山下洋輔さんがライブの最後にソロで演奏してくれた曲“Memory is a Funny Thing”(「メモリー・イズ・ア・ファニー・シング」)です。
当時の学生運動についてはいろんな評価があると思います。良い面もあり悪い面もあった。でも、その底にあったのは理想主義だったと僕は思うんです。そういうものが1つの力として存在し作用していました。
一時はその力が世界を揺さぶっていました。そのことは忘れてはいけないと僕は思います。

最後になりましたが、今回素晴らしい演奏を聴かせてくれたトリオの皆さんに改めてお礼を言いたいと思います。ピアノの山下洋輔さん、サックスの中村誠一さん、ドラムズの森山威男さん、どうもありがとうございました。

ライブ後のコメント

ライブ後のコメント

山下いやあ、終わって大満足です。素晴らしい経験をさせてもらいました。ジャズという音楽にしかこういうことはできない。自由で自分勝手で、それでも合わせることができるんですよ。理想の形ですね。 若い人が、「あいつら一体なにやってんだ」と考えてくだされば、またとない良い伝わり方だと思います。
中村うーん、久しぶりにやって結構難しかったですね。いろいろ企んできたんですけど、そうだなあ、あと5、6回やったら感じがでてくるんじゃないですか(笑)。楽しかったです。
森山やる前は、いつでも僕は緊張感からなんでしょうけど、やる気を失うんですよ。それで、「なんとかやる気にさせなきゃ」と思う。でも、終わった途端に「またやろう」と思うんです(笑)。 1回の演奏で、ずいぶん変わりますね。好きなことをやっていいというのはどんなに喜びか。山下さんが50年前の顔をしていましたよ。

スタッフ後記

スタッフ後記

  • 53年前に本当に起きたという、山下洋輔さんのゲリラライブの再現。当時の若者の熱気を想い、クールなSNS時代の今と比較し、少々切ない気持ちになりました。この50年で時代は本当に変わり、若者も、大人たちも、なかなか声を上げにくくなっている中、村上春樹さんの発するメッセージ「理想を信じる力を、若い世代に引き継ぎたい…」これは、中年の私にも刺さる言葉です。音楽の魅力と共に、社会の目指す理想とは何か…も考えて、番組を楽しんで頂けると幸いです。また、この「再乱入ライブ」の前後の時代を小説化した、立松和平さんの「今も時だ・ブリキの北回帰線」も、お時間があればお読み頂けると、いろいろな角度でこの番組を楽しんで頂けると思います。(レオP)
  • 7月12日夕刻、早稲田大学の大隈講堂入口には「村上春樹presents山下洋輔再乱入ライブ」と書かれた大きな立て看板が掲げられていた。学生運動の1969年から 新型コロナの2022年へ……装幀家・平野甲賀さん考案の書き文字書体で組まれた「再乱入」の文字が53年の歳月を軽々と飛び越えて、聴衆の気持ちを高揚させる。そして始まった講堂全体を切り裂くような山下洋輔トリオの演奏。村上さんと山下さんのトークからは、自由で創造的なフリージャズの魂、時代を揺さぶろうとする精神があふれ出ていた。終演後、「若い人が『あいつらいったいなにやってんだ』と考えてくだされば、またとない良い伝わり方だと思います」と語った山下洋輔さん。このライブを機に、熱烈な時代の表現だった「乱入」の顛末や、『風雲ジャズ帖』時代の山下さんのエッセイを読み直したが、登場する人物たちも時代も、とにかくめっぽう面白い。村上RADIOで聴く「再乱入ライブ」、なぜかとても励まされます。(エディターS)
  • 山下洋輔トリオの演奏、かっこよかったです。ジャズでなければできない音楽表現という山下さんの言葉が印象的でした。客席には田原総一朗さんの姿もありました。ライブの雰囲気がうまく伝わったらうれしいです(構成ヒロコ)
  • 山下洋輔トリオの演奏が実にフレッシュでした。とくにドラムの森山威男さんといったら、これはもう千手観音のようで。代々口伝されてきた音楽と革命の歴史が姿を現し、伝説はほんとだったんだ!とステージに釘付けになりました。元祖仕掛人の田原総一朗さんも立ち上がり、大きく手を振っていらっしゃいました。間違いなく今年一番のライブに僕は心の中で青春万歳と大きく旗を振ったのです。(GP延江)
  • 山下洋輔トリオの再乱入ライブ、本当に圧巻の演奏でした。ステージのライトに照らされ、3人が53年前に戻っているかのように見えて感動しました。楽譜なんか無くても、気持ちが通じ合っていれば素晴らしい演奏が出来る、そんなことを教えてくれたように思います。終演後の山下洋輔さんのキラキラとした目が印象的でした。今でも思い出すと込みあがるものがあります。私はまだ20代前半で、村上さんが仰っていた「理想主義」は現代と全然違うんだと強く感じました。若者も立ち上がり現実を変えよう!と熱かった時代。複雑な現代との差を強く感じました。ライブを見た方も、そうでない方も楽しんでいただければと思います!!(AD桜田)
  • 今回の村上RADIOは、7月に早稲田大学で行った山下洋輔トリオ再乱入ライブの模様をお届けしました。約50年前に田原総一朗さんが演出された企画を再現したもので、この企画に参加できたことを光栄に思います。フリーなジャズにはフリーな編集でと番組制作に臨んだのですが、当然そんな単純なものではありませんでした。緻密で複雑で且つ大胆な山下洋輔トリオの演奏は、放送でもその臨場感が伝わるのではないかと思います。こうしたフリージャズがラジオから流れること自体が珍しく、それも含めて自由を感じとっていただけると嬉しいです(キム兄)

村上春樹(むらかみ・はるき)プロフィール

1949(昭和24)年、京都市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。’79年『風の歌を聴け』(群像新人文学賞)でデビュー。主な長編小説に、『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞)、『ノルウェイの森』、『国境の南、太陽の西』、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』、『1Q84』(毎日出版文化賞)、最新長編小説に『騎士団長殺し』がある。『神の子どもたちはみな踊る』、『東京奇譚集』、『パン屋再襲撃』などの短編小説集、『ポートレイト・イン・ジャズ』(絵・和田誠)など音楽に関わる著書、『村上ラヂオ』等のエッセイ集、紀行文、翻訳書など著訳書多数。多くの小説作品に魅力的な音楽が登場することでも知られる。海外での文学賞受賞も多く、2006(平成18)年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、’09年エルサレム賞、’11年カタルーニャ国際賞、’16年アンデルセン文学賞を受賞。