私は私の「言葉」で、ロックンロールを鳴らしたい。
涙が止まらなかった。ああ、これは今まで私の中には存在しなかった感情なのだと思った。涙が、感情が邪魔をして、なかなか曲が身体に入ってこなくて次に進めず、どうにか自分の一部にしようと何度も巻き戻して、この「手」を聴いた。まだ出会ってもいない、別れてもいない大切な人のことを思い出した。何度も言葉にしようとしたけれど、泣くことでしか感情を確かめられなかった。だけど、もしかすると、こういうのを“エイトビートに乗ってしまう ありきたりな”感情と呼ぶのかもしれないと、心の片隅で思った。
その後に続く「破花」。ガラリと雰囲気が変わる。歌詞を聴くたび、紙で皮膚にスーッと傷を作ったみたいに心のどこかが痛む。
どうしようもないダメ男を歌ったり、行き場のない感情を描いたり、その全てが紛れもなくクリープハイプなのだ。クリープハイプが“文学的な歌詞が特徴”や、“文学的ロックンロール”と紹介されているのをよく目にする。私はそのたびに、「文学的なロックンロールがあるなら、ロックンロールみたいな文学があってもいいんじゃないの?」と思う。きっと、「文学」なんてたいそうなものは生み出せないけれど、私は私の「言葉」で、ロックンロールを鳴らしたい。前から抱いていた気持ちだったが、この「世界観」を聴いたことが、さらにその気持ちを強くさせた。「世界観」を聴いた今、「破花」にある、“白紙の海泳ぐ黒い線にいつか 真っ赤な花が咲くその日”という歌詞がいっそう、痛みに衝動を携えて、私の心に心地よい傷をつくる。
明日香 19歳 東京都