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誰もいない廊下には、必死の形相をした林さんが駆ける抜ける音、エコーで。
林さんにスパイの全てを叩き込んでくれた、師匠のいつかの言葉が頭をよぎる。
ホワンホワンホワン…(※以下、回想)
「よいか林よ。スパイとして潜入する時には、絶対に潜入先を間違えてはならん。潜入する場所を間違えたら、全ておじゃんじゃぞ。特に、『海洋機関』と『大学』を間違えるなんてミスを犯すと、とっても恥ずかしいぞ。ふぉっふぉっふぉ…」
「まーた師匠、そんなの、間違う訳ないじゃないですかあ… アハハハ! アハハハ!(一同、笑)」 |
ホワンホワンホワン…(※以下、現実)
いいや! いいやそんなハズはない! そんなハズは…!
こんな初歩のミスをしてしまうなんて、師匠はもちろんのこと、SCHOOL OF LOCK!のみんなに合わす顔がない。
「よし…」
最後の望みをかけて、林さんは近くにあった、研究室のドアに手をかけた。
ドアの表札は、『久保田雅久 環境情報学研究室』
やぶれかぶれ。林さんは、カリスマスパイとして、決死の突入を試みたのだった。
(※以下、妄想)
「なぜココが分かった!」
「フッ… おれのカリスマレーダーにかからないものなど、この世に存在しないのさ…」
「くっ、くそう…」
そう言って、銃を林さんに向ける敵。
しかし。
パキューン! 敵が銃口を林さんに向ける前に、林さんは敵の銃を撃ち落とす。
「やめておけ… おれとお前では、相手にならん」
そこに、絶世の美女(いわくありげ)が寄ってくる。
「助けてくれてありがとう! 私、アナタのこと…」
「やめておきなさい。一旦火がついてしまったら、私にも消せません。恋という炎だけは…」
しかし美女は林さんに駆け寄り… |
(※妄想終わり。以下、現実)
「ハア…?」
いきなり銃を持って乱入してきた男に、呆然となる若き研究生たち。
誰一人取り乱すことなく、彼らの中の最年長の青年が言った。
「ま、季節の変わり目にはたまにいるんだよな、こういう人… まま、座って下さいよ」
どう見ても、大学生 or 大学院生という出で立ちの若者たち。
林さんの最後の闘いは、実質、ここで幕を閉じた。
「えっと… 皆さんは… 何を研究していらっしゃるんですか?」
念のため、一応聞いてみる林さん。
「主に、人工衛星のデータを見ながら、地球規模で、海と空の関係について研究しています。」
ほーら、やっぱ大学生っぽいこと言ってるー、と思いつつも。
「なるほど… ちなみに、なぜ、この大学に入られたんですか?」
無意識の間に、勝手に口が開く。
悲しいかな、長年の営業で染み付いてしまった、『当たり障りのないトーク』の習慣である。
「やっぱり、気象関係の仕事に就きたくて。もちろん、気象関係のことを勉強できる大学は他にもあるんですけど、ココの場合は、海に特化しているっていうのも面白くて。そうそう、海と天気って、すごく深い関係があるんですよ。」
彼の話によると、天気の『長期予報』、すなわち数週間先の天気を予測する予報の精度を決定するのは、海の状態なのだそうだ。つまり、この研究が進めば進むほど、『長期予報』の精度も高まるという訳だ。
「他にも、船に乗っていろんな実習ができるし… あと、この大学の図書館って本当にすごいんですよ。海洋関係の本がこんなに充実している図書館、他になかなかないんじゃないですかね。もし探している本がなくても、言えばすぐに買ってくれるし… さらに言うと、この大学、近くには、大学が運営している水族館までありますからね。海にちょっとでも興味がある人には、たまらない大学だと思いますよ。」
彼らの学科に限らず、この大学の海洋学部には、わざわざ北海道や沖縄から集まる学生も大勢いるという。日本中に大学が溢れている昨今、この事実こそが、この大学の魅力を一番大きな声で物語っている。
海から徒歩数十秒。
母なる海を毎日目にしている若者の目は、これほどまでに美しくなるのか。
林さんは『H&K USP』をそっと上着のポケットにしまい、彼らとの別れを惜しみつつ、研究室を後にした。
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