NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest戸田恵子さん

戸田恵子さん

小学生の頃からNHK名古屋放送児童劇団に在籍し、「中学生日記」で女優デビュー。1974年、あゆ朱美の芸名でアイドル演歌歌手としてデビュー。その後、野沢那智主宰の劇団薔薇座へ入団。ここで本格的に演技の勉強を始め、看板女優として活躍。その一方、声優としての活動もスタート。「伝説巨神イデオン」「機動戦士ガンダム」「それいけ!アンパンマン」の主人公アンパンマン、「キャッツ・アイ」「ゲゲゲの鬼太郎」「きかんしゃトーマス」などの声で人気を集める。また、並行して洋画の吹き替えも多く担当し、ジュリア・ロバーツ、ヴィヴィアン・リー、ジョディ・フォスター他を担当。 しばらく声優としての活動が中心となる時期が続いたが、1997年、三谷幸喜脚本によるテレビドラマ「総理と呼ばないで」をきっかけに、積極的にドラマに出演。「ちゅらさん」「お水の花道」「ショムニ!」「純情きらり」など、出演したテレビドラマは数限りない。

人が喜ぶことを

2023/02/25
戸田恵子がライフワークの一つにしているのがキネコ国際映画祭。

「世界中の子供に向けて作った映画、全て子ども目線で作られた映画のみを集めて日本の子どもたちに見てもらおうという映画祭です。今は二子玉川をベースにして、秋口に毎年、一週間ぐらいかけてみんなに見てもらうという映画祭をやっています。いろんなジャンルの映画をみんなで集めて選んで見てもらっているのですが、長編もあれば短編もあるし無声の映画もあるし、アニメーションもあるし、実写もある。私達は長編の外国映画を生で吹き替えをするというのを一発勝負で一時間強の映画を吹き替えたりもしています」

この活動を通じて本場ヨーロッパの子ども映画際を巡りたいという。

「盛んなのはやっぱりヨーロッパ。あのドイツのベルリンでもみんなが知ってるあの映画祭ですけど、子ども向けでもちゃんとあるんですよね。ベルリンで子どものカテゴリーもちゃんとありますから」

俳優、声優として活躍している戸田恵子。
原点でもある「うたうこと」については特別な思いがある。

「劇団に入ってからそのミュージカルを主にやってる劇団だったので、歌うということはずっとやっていまして。劇団辞めてからもそれは続いていて、50歳の時に何か記念で何作ったり、イベントとかどうかなーっていう時に CD作ろうって話になって久しぶりにレコーディングしたらめちゃくちゃ楽しくて、やっぱり歌っていいよねってことになって。じゃあライブもやろうかなーってなって50からライブハウスに年に1回2回ぐらいやろうっていうことでそこからまた始まったっていう感じで、今に至る感じなんですよね」

マルチに活躍する戸田恵子、10年後どんな自分でいたいのか?

「仕事してるかどうかってのまだ大きな問題ですね。76ぐらいでお仕事されてる方たくさんいらっしゃるんですけど。まず、健康であることなんですよね。私親しくしている方に高齢でバリバリな草笛光子さんとかいらっしゃってあのどうしたらそんなふうに言っていつも思うんですけど、まずね比べちゃいけないんだなっていう、その人は選ばれた方なんだなっていう風に思ってるから、でも本当にちょっと健康でいることがまずね、もう最優先になってくるので、たくさん旅行をもっとできるようになっていて、充実した仕事をしていたらいいなという風に思いますね」

番組リスナーへ

「やなせ先生のお言葉になってしまいますが、やなせたかし先生に“人が喜ぶことをおやりなさい”と先生に言われてきたので、困った時はなるべくその方向に行くように、誰かが喜んでくれることをやろうかなっていうふうに思っているので。何か窮地に落ち込まれたらその方向に少し行けたらいいかなという風に思いますので、頑張ってまいりましょう」
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飛び込んでみる

2023/02/18
歌手から舞台役者、声優と活躍の場を広げた戸田恵子。
しかし、映画、ドラマという映像の世界には興味がなかったという。

「ずっと劇団であの舞台でお芝居をするということをやっていまして、後はその声優さんという仕事にも就くことができて、その二つをやって行くのでも自分の中で精一杯というか、ある程度の満足がありました」

その戸田恵子を映像の世界に誘った人物がいる。

「三谷幸喜さんが総理と呼ばないでという、田村正和さん主演の連ドラにお声がかかったんですけれども。あのちょっと大きなミュージカルとかぶってるっていう事もあり、それと私自身がその時40になろうとしてる時で、今から新しい世界に飛び込む勇気と言うか、そういうのもちょっと持ち合わせてなくて。最初は丁重にご辞退申し上げたんですよね。そしたら何かあの不安なことがおありなんでしょうか?と再度三谷さんからお声をかけていただけまして、二の足を踏んでいますって言ったら、僕が舞台で見てきた戸田さんを僕が書くのですから、安心してどうかやって欲しいっていう風に背中を押してくださいまして、こんなことはないよって周りの人にね。三谷幸喜がそう言ってるのに何を言ってるんだって、みんなにちょっと怒られつつ。思い出作りのつもりでこの1回頑張りますっていうことで、あの総理と呼ばないでお受けさせていただきました」

その三谷幸喜との思い出の作品に「なにわバタフライ」を挙げる。

「本当はこれはね、二人芝居をやろうっていうような思惑だったんですね。私自身二人芝居をやったことがなくって二人芝居を書きましょうって話は進んでたんだけれども、ある時一人はどうですかっておっしゃるから。そんなこと話なかったじゃないですかって言うね。僕は二人芝居を書いたことがあるんですと。で一人を書いたことないので一人を書いてみたいとおっしゃって」

「なにわバタフライ」は
喜劇女優・ミヤコ蝶々の物語。

「初演やった時に2時間ぐらいの芝居だったんですよ。一人で2時間、動いたり、段取りもいっぱいあるし、で関西弁でやらせていただいて、とにかくいっぱい、いっぱいで。終わってもう二度とやらないと思ったんです。ただ、やらないって決めたのに一週間もたたないうちに何かこうメラメラとまた闘志が。もう一度やりたいですと、今度は台本がちゃんとわかってる状態でトライしたいですって感じで。そして、すぐ再演。そしたら再演も、3回目で少しちょっと自分の中に落ちたところもようやくありました」

戸田さんが声優、俳優と、演じる上で大切にしていることとは?

「あまり何も考えてないなーって本当に思うんですけど、まぁその役になりきるという非常に単純な手法ですけれども。それだけですかね」
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出会いは宝物

2023/02/11
俳優・戸田恵子。
声優としての始まりとは。

「劇団員ってすごい貧乏で、何かしないと劇団の団費とか払えない、ノルマもいっぱいあるし、みんなアルバイトしているんですよね。なんかバイトしなきゃいけなくなった時に野沢那智さんが、どうせなら喋る仕事でお金もらえるようになった方が一石二鳥でいいんじゃないかと提案してくださって、どうだじゃないの、行かされた感じで行ったんですよ。で、マイク位置もどこに立っているかも分からないし、距離かも分からないし、周りはもう100%の先輩ばっかりで。最初は外国映画の吹き替えで眠れる森の美女の、美女の役、主役を頂きました」

戸田恵子のもとには
外国作品の主役級の吹き替えが舞い込んだ。

プリティウーマンのジュリアロバーツ、
羊たちの沈黙ジョディフォスター、
エイリアンのシガニーウィーバー、
Xファイルのスカリー捜査官。

「ジュリアロバーツはあの他にもたくさん作品があって、プリティウーマンが有名なんですけど、エリンブロコビッチっていう作品が私はすごく気に入っています。どちらかというとわりと強めの女性をやることが多くて。割とへこたれなので。逆にそういう役に向いているのかもしれません」

そして、代表作である「アンパンマン」に出会う。

「35年目になるんですけれども。思えば、35年前に全体のオーディションがあったみたいなんです。キャラクターのね。皆さんあのオーディション受けていて。でも私にはそのオーディション話はなくって。そんなことも知らずに、ある時、事務所からこんなアンパンが決まりました。レギュラーですって言われて。
アンパンマンの何ですかって?言ったらアンパンマンのアンパンマンですって言われたんですよ」

原作者である やなせたかしからのアドバイスとは?

「初回の収録だけに先生がいらっしゃって、その時に世界一かっこ悪いヒーローだと思ってやってくださいみたいなことをおっしゃいました。自分の顔をちぎってお腹を空かせている子にあげると自分の体が弱くなります。全然戦えなくなりますと。格好悪いんですと。カッコ悪いヒーローですっていう風に思ってくださいって言われたのが結構印象的だったですかね」

戸田恵子にとってのアンパンマンとの出会い、やなせたかしとの出会いとは?

「声優チームみんなが宝物をもらったと思って、誰一人こんな長くやると思ってなくてね。最初半年、一年。せいぜい二年やって。もしかしてずっと行くんじゃないっていうふうに皆が思って。このコンセプトとか先生の言わんとしてるところ、だんだんわかってくるようになって。先生の偉大さをだんだんわかってくるっていうか」
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野沢那智との出会い

2023/02/04
俳優・戸田恵子。
その幼少期とは。

「新しいことどんどんやりたがる子供だったみたいです。実家が砂糖の卸売の問屋をやってまして、そこにいらっしゃるお得意様達が、お茶とお花を教えてる先生がいたりして、ご紹介もあって恵子ちゃんやらないみたいに誘われて、だから忙しい子どもって言うか学校が終わったら必ず何か一つ稽古事に行くみたいな感じでね」

小学生の頃には、NHK名古屋放送児童劇団に入団。
『ちびっこのどじまん』に出場して東海地区チャンピオンに、
その歌唱力はスカウトの目にとまり、戸田恵子は15歳で上京した。
そして、念願の歌手デビュー。

「あゆ朱美という芸名をいただいて、当時はフォーク演歌というちょっと憂いを帯びた感じでデビューしたんですけれども、全然売れなくて一通り有名な番組にも出演したんですけど、いつしかバラエティ番組のレギュラーに呼んでいただくようになりました」

しかし、鳴かず飛ばずの時代は続き、
高校卒業のタイミングで芸能界を去ろう、そう考えていた矢先だった。
「劇団薔薇座」を主宰していた野沢那智に声をかけられる形で研究生として入団した。

「東京に来たんだから一度劇団を見に来ないかとお誘いを受けました。劇団が手作り感満載でね。みんなでその道具を叩いて作ったり、ダンスレッスンがあって、演技のレッスンとか、学生みたいな感じのカリキュラムを見て、ときめいたって言うか、歌手の仕事をやってた時は大人の中に入って一人で頑張って、でも劇団だと学生生活を取り戻す感じでした」

しかし、いざ入団してみると、
野沢那智の演技指導は厳しいものだった。

「入ったら、まあ厳しくって、芝居やりだしてから褒められるって言うことはないし、いわゆるさん皆さんが想像するモノが飛んでくる演出家の最後の世代の人だと思いますよ。本当にエンドレスで休憩がないご飯も食べえないご自身が食べないから延々とお稽古。舞台公演の本番中も終わってからご飯に行った記憶ほとんどないんですよ」

厳しさの反面、感謝もしている。

「本当に厳しくて初台の駅から劇団までの道は、みんなの文句と不服で埋まってる道だと思ってたんです。けど今の私の土台はも本当にそこにあって、お芝居のほとんどは野沢さんから教わったことを土台にそっからこう始まってるなーっていう感じがあるんですよ」
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