一曲でも多く歌いたい
2022/12/03
元ちとせはデビュー間もない頃、
坂本龍一との出会いが人生の分岐点になったという。
「デビューしてすぐ、広島に行く機会がありまして、当時のスタッフが原爆資料館を観に行こうって連れてってもらったんですけど。ものすごい衝撃を受けたんですよ。デビュー前にちょっとこれ歌ってみてって言われた“死んだ女の子”っていう曲があって、当時は意味が分かってなかったんですけど、原爆資料館を見た時に、なんかすごくその曲をもう一回ちょっとチャレンジしたいって思いと、世界に聞いてほしいと思ったので。世界、世界、世界、世界と言えば坂本龍一だと思って、坂本龍一さんにお願いできないかなってダメ元でお願いしたら快諾してくださいました。アメリカでこの曲をとるっていう意味っていうことまで説明してくださったんです。なんか音楽ってすごいなって思って」
今年で歌手デビュー20年の元ちとせ。
この20年はどう流れたのか?
「早かったなって言う気持ちより、なんかすごく一つ一つ丁寧に自分のペースで歩かせていただいた20年だと思っていますし、やっぱり出会いと別れもねありましたし、なんかあのきちんと見失うことなく歩いてこれたかなと思っています」
3週に渡って振り返った自分の人生とは?
「振り返ればやっぱり、生まれ育った場所がスゴすぎたなって言うところの印象が強いかなと思いますけど、生まれ育った場所があったからこそ、こうして歌の旅ができているっていうのは、あらためて感謝するべきところですね」
では、10年後は、どんな自分を思い描いているのか?
「10年後ですよね。でもやっぱりこう、女性として歳を重ねていくっていうのはすごくいいことだと私は思っているので、明るくまあ笑顔の絶えない日々であってほしいですけれども、どうしても歌手として皆さんの前で唄を届けるっていうことが一つでも多くある10年後であって欲しいと思います」
坂本龍一との出会いが人生の分岐点になったという。
「デビューしてすぐ、広島に行く機会がありまして、当時のスタッフが原爆資料館を観に行こうって連れてってもらったんですけど。ものすごい衝撃を受けたんですよ。デビュー前にちょっとこれ歌ってみてって言われた“死んだ女の子”っていう曲があって、当時は意味が分かってなかったんですけど、原爆資料館を見た時に、なんかすごくその曲をもう一回ちょっとチャレンジしたいって思いと、世界に聞いてほしいと思ったので。世界、世界、世界、世界と言えば坂本龍一だと思って、坂本龍一さんにお願いできないかなってダメ元でお願いしたら快諾してくださいました。アメリカでこの曲をとるっていう意味っていうことまで説明してくださったんです。なんか音楽ってすごいなって思って」
今年で歌手デビュー20年の元ちとせ。
この20年はどう流れたのか?
「早かったなって言う気持ちより、なんかすごく一つ一つ丁寧に自分のペースで歩かせていただいた20年だと思っていますし、やっぱり出会いと別れもねありましたし、なんかあのきちんと見失うことなく歩いてこれたかなと思っています」
3週に渡って振り返った自分の人生とは?
「振り返ればやっぱり、生まれ育った場所がスゴすぎたなって言うところの印象が強いかなと思いますけど、生まれ育った場所があったからこそ、こうして歌の旅ができているっていうのは、あらためて感謝するべきところですね」
では、10年後は、どんな自分を思い描いているのか?
「10年後ですよね。でもやっぱりこう、女性として歳を重ねていくっていうのはすごくいいことだと私は思っているので、明るくまあ笑顔の絶えない日々であってほしいですけれども、どうしても歌手として皆さんの前で唄を届けるっていうことが一つでも多くある10年後であって欲しいと思います」