歌い続けることが全ての源
2023/03/25
ステージデビュー70周年の伊東ゆかり。
去年の11月にはシングルコレクション「ポップスクイーン」がリリースされた
自分の歌について次のように振り返る
「最初の頃の歌なんかは父の言う通りに歌っているし、後の方になってくると宮川浩先生の言われたと言われた通りに歌っているし、ゆかりの声は右から左に流れちゃったパンチがないって宮川先生によく言われたんで、そのパンチがないって意味が分からなくてね」
試行錯誤しながら続けてきた歌手生活。
その歌手生命の危機を救ってくれたのが弘田三枝子だった。
「突然声が出なくなっちゃったんです。クリスマスの時期で忙しい時期だったんですけど声が出なくなっちゃって、で新潟ホテルのお仕事だったんです。忘れもしない。弘田三枝子さんが助けに来て下さったんですね。もうその夜はもう眠れなくて自分このまま声が出なくなったら歌手じゃなくてほかのお仕事できるかなと思って、新潟でのみこちゃんにはもう感謝しかないです。嫌な顔せずにサポートしてくれました」
伊東ゆかりには忘れられないステージが他にもある。
それが飛鳥クルーズでのステージだという。
「それまでは本当にあのコンサートでも客席と一段上がったステージ、ホールのコンサートの仕事しかしなかったんですけど、飛鳥のお仕事を決めた時に、中尾ミエさんが心配して、“あなたみたいにこうブスっとしてたらね。誰一人として見に来てくれないわよ、毎日同じ人が見るんだから”って言うの。だから一歩自分の部屋から出たら、もう愛想よくしてなきゃダメよって言われて。暗い気持ちで飛鳥に乗ったんですけど、大浴場に大体同じ時間に来ているお客さんもいるわけですよ。毎日、会っているうちにその方と目を合わせてお話できるようになって、あの初日の一回目のステージにそのお客様が客席にいらしたんです」
一人のお客とのコミュニケーションという経験を積み
恥ずかしさから解放された彼女は、
苦手だったステージが好きになったともいう。
「人としゃべるのがなんか苦じゃなくなったんでちょっとライブの仕事もしてみたいなって思うようになって、であのジャズライブのお仕事なんかも、そこから始めさせてもらいました」
そして、伊東ゆかりにとって代名詞でもある「スパーク三人娘」は
これからもずっと掛け替えのない仲間のようだ。
中尾ミエ、園まりにも助けられたことがあるという。
「まりさんに助けられることっていうのは何回か有りますね。のどの調子が悪い時に助けられましたね。普段連絡を取り合ってべたべたくっついてるわけじゃないんだけれども、何かあったときに頼れる存在です」
伊東ゆかりが描く10年後の自分とは?
「人生100年だから10年後やっぱり私は歌っていたい。あの声が出る限り。歌っていたい。まりさんも仕事をしていたい。ミエさんもうんみんな仕事をしていたいっていうことでしたよね。うん元気で、健康で」
去年の11月にはシングルコレクション「ポップスクイーン」がリリースされた
自分の歌について次のように振り返る
「最初の頃の歌なんかは父の言う通りに歌っているし、後の方になってくると宮川浩先生の言われたと言われた通りに歌っているし、ゆかりの声は右から左に流れちゃったパンチがないって宮川先生によく言われたんで、そのパンチがないって意味が分からなくてね」
試行錯誤しながら続けてきた歌手生活。
その歌手生命の危機を救ってくれたのが弘田三枝子だった。
「突然声が出なくなっちゃったんです。クリスマスの時期で忙しい時期だったんですけど声が出なくなっちゃって、で新潟ホテルのお仕事だったんです。忘れもしない。弘田三枝子さんが助けに来て下さったんですね。もうその夜はもう眠れなくて自分このまま声が出なくなったら歌手じゃなくてほかのお仕事できるかなと思って、新潟でのみこちゃんにはもう感謝しかないです。嫌な顔せずにサポートしてくれました」
伊東ゆかりには忘れられないステージが他にもある。
それが飛鳥クルーズでのステージだという。
「それまでは本当にあのコンサートでも客席と一段上がったステージ、ホールのコンサートの仕事しかしなかったんですけど、飛鳥のお仕事を決めた時に、中尾ミエさんが心配して、“あなたみたいにこうブスっとしてたらね。誰一人として見に来てくれないわよ、毎日同じ人が見るんだから”って言うの。だから一歩自分の部屋から出たら、もう愛想よくしてなきゃダメよって言われて。暗い気持ちで飛鳥に乗ったんですけど、大浴場に大体同じ時間に来ているお客さんもいるわけですよ。毎日、会っているうちにその方と目を合わせてお話できるようになって、あの初日の一回目のステージにそのお客様が客席にいらしたんです」
一人のお客とのコミュニケーションという経験を積み
恥ずかしさから解放された彼女は、
苦手だったステージが好きになったともいう。
「人としゃべるのがなんか苦じゃなくなったんでちょっとライブの仕事もしてみたいなって思うようになって、であのジャズライブのお仕事なんかも、そこから始めさせてもらいました」
そして、伊東ゆかりにとって代名詞でもある「スパーク三人娘」は
これからもずっと掛け替えのない仲間のようだ。
中尾ミエ、園まりにも助けられたことがあるという。
「まりさんに助けられることっていうのは何回か有りますね。のどの調子が悪い時に助けられましたね。普段連絡を取り合ってべたべたくっついてるわけじゃないんだけれども、何かあったときに頼れる存在です」
伊東ゆかりが描く10年後の自分とは?
「人生100年だから10年後やっぱり私は歌っていたい。あの声が出る限り。歌っていたい。まりさんも仕事をしていたい。ミエさんもうんみんな仕事をしていたいっていうことでしたよね。うん元気で、健康で」