NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest森高千里さん

森高千里さん

幼少期からピアノを習い、高校時代にドラムを始める。1987年5月25日シングル「NEW SEASON」でデビュー。1989年に「17才」でブレイクを果たす。「ミーハー」から作詞を始める。代表曲として「雨」、「私がオバさんになっても」、「渡良瀬橋」、「私の夏」、「気分爽快」、「ララ サンシャイン」など。2012年5月25日に25周年を迎え、ライブを再開。2019年21年振りとなる全国ツアー「この街」ツアー2019を開催、2022年6月までツアー中。

諦めない気持ちで前へ

2022/03/26
子育てに軸足を置き、仕事をセーブしていた森高千里。
テレビ番組の司会業なので芸能界に本格復帰した。

「なんか話をいただいてもやれる自信はなかったんですけど、なんかやっぱ何でもチャレンジしてみて何て言うんだろう自分を選んでくださったなら、期待に応えられるようにまず頑張ってみて、ダメだったごめんなさいで、いいかなっていうところで、やらせていただきました」

その後、森高千里は歌手としても本格復帰。
一昨年から21年ぶりのツアーをスタートさせた。

「ちょっと家を開けるって事がなかなか出来ない部分もあったりしてやってはなかったんです。体力的な部分もありますし、お客さん来てくれるかなとか、そういうのもあったんですけど、ここでやらないともうやれないかもって思ったのもありましたし、この歳になってやれるって凄いことだなぁと思って、感謝しながら回ろうと思って決めましたね」

激動の20代、家庭に集中した30代を経験した森高千里。
では、これから先、10年のビジョンとは?

「今、やらなきゃいけないことをやる感じなので、ただ今、本当にこういうこの時代で、この状況の中で歌えているっていう事を噛み締めながら、ステージで歌っていられるといいなって感じですかね」

最後にリスナーへのエール。

「やりたいことは何でもチャレンジして、チャレンジしてみてダメだったらまた違う道もあると思いますし、あと諦めない気持ちがあれば前に進んでいけると思うので、まあ今ストレス溜まったり、なんかこう友達に会えないとか、旅行に行けないとかなんかいろんな部分でね、ここ我慢しいてる部分がすごく皆さんあると思いますけれども、でも、ちょっとずつは前に進んでいると思うので、諦めない気持ちで、そして楽しいと思うことをいっぱい増やして頑張っていきたいと思います」
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学びが多い子育て

2022/03/19
多忙を極めた20代には
2年間歌手活動をセーブということも経験した。

そして、とあるニュースが日本中を駆け巡る。
俳優・江口洋介との結婚。

家庭内でのルールとは?

「何だろう…よく喋ることですかね?なんかこういうことを思っているとか、こういうことがあったよとかそういうのを良く喋ることが多いですね。やっぱり本心ってわからなかったりもするので、そこはなんか言葉にして伝えないと分かんないんだなーって思ってそれはお互いするようにしているかな。お仕事のお話をしたりすることもし、子供のこともありますし、普段の事とかもありますし、もうなんかいろいろですね」

森高千里の人生は結婚に加え、
出産が大きなターニングポイントだという。

「ちっちゃい頃から子供は欲しいなと思っていた部分もすごく大きいので、自分よりも大事な家族、今までは両親とかで、結婚したら旦那さんみたいなのありましたけど、それ以外に自分の分身と言うか、生まれたときは何かもう、何だろう何か不思議な感じでしたけど、大切にしなきゃいけない。命をかけてでも大事にしなきゃいけない子が生まれるって言うのが不思議でしたし、なんかそういう存在が生まれたっていうのはすごく大きかったですね」

一旦、家庭に軸足を置いた。
そこにはそこで学ぶべきことがたくさんあった。

「子育てもね。もちろん初めてのことなのでわからないことだらけで、いわゆるママ友っていう人たちを増やしていたり、でその人たちに兄弟がいたりとかすると、先輩とかいたりとかいたりして、子供連れて行くにはこの店がいいよとか、なんかそういう本当に普通の事なんですけど、そういうことが歌手をしている時にはしてこなかったのですごく新鮮でしたし、学ぶことが多かったですね」

では、森高千里にとって30代とは?

「歌手していた時の必死さとはまた違う、子育てに必死になって、学ぶことが本当にすごく、人生においてというか、人としてとかそういうことで学んだことがすごく多かったですね。もうその、30代は必死にやっていました」
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休むという経験値

2022/03/12
高校2年生の時に参加したオーディションでグランプリを獲得。
それがきっかけで熊本から東京へ。

「人が多いって感じました。渋谷とかあの電車に乗って学校に行ってたんですけど、その電車通学っていうのも初めてで。満員電車ってのも初めてだし、なんかすごいもうあの降りて乗り換えて行ったりとかする間も人が多くて前に進めないみたいな。ホームシックをやっぱりすごいなりましたね。親と離れて暮らすのももちろん初めてだし、友達もあの今までの友達が近くにいないし、すごいもうあの毎日毎日電話しておしゃべりしていました」

森高が挑んだオーディションは
映画デビューとコマーシャル、そして歌手デビューが約束されていた。

「最初のお仕事は映画、いきなり演技もしたことない私が演技をしなきゃいけないって言う大変でした。演技はセリフやっても熊本弁がなかなか抜けなくて、もういっつも怒られて。分で言ってるつもりなのに全然伝わらなくて」

そして「NEW SEASON」という曲で歌手デビュー。

「歌が得意だったかって言うと私歌はあんまり得意じゃなかったですよね。楽器の方がすごく好きで、歌はあんまり親とかにもまあまあまあだねみたいなそんな感じだったので、親が一番びっくりしてるかもしれないですね」

そして、初ライブをきっかけに音楽の方にウエイトを置くようになる。
二十歳の時、南沙織のカバー曲「17才」で注目を浴びるようになる。

「今思えば、ほとんど休みがなかったですし。記憶があんまりないと言うか、細かい記憶はもうなんかないですね。あれがあったからこそ、今でもちょっと歌ってられるのかなっていうふうには思います」

テレビにライブに、本当に忙しい日々を過ごす中で
26歳の時に顎関節症になり活動をセーブする。

「休むっていうかもう本当にあの口が開かなくなってしまって、やっぱり2時間歌うってことが無理だったので、直してからやるしかないので、治療しながら進めていくって感じでしたね。でも、そこで初めて長期間の休みが取れたりとかも出来て、初めて友達と海外旅行に行けたりとか、ここでちょっとゆっくりのんびりしてそういうときにもなんか経験、色んな経験して詞とかも書けるかなと」

森高千里にとって20代とは

「20代が一番、仕事的にも忙しかったですし、プライベートの部分でもうなんかいろんな経験をしたし、いろんなことを考えさせられる濃い20代っていうか、濃い年代だったですかね、はい」
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好きなものに触れる喜び

2022/03/05
森高千里。
その幼少期は熊本県にあった。

「とにかく活発であの兄がいるので男の子と外で遊んでいる女の子でした。熊本の豊かなところで育ちました。私はピアノを小さな頃からずっとやっていたんですけれども、バンドっていうのを私もやりたいと思ったのは兄の影響があって私も高校に入ってあの女の子ばっかりのバンドを組みました」

音楽にのめりこむきっかけを与えてくれたのは
幼いことから学んでいたピアノ。

「幼稚園の時からピアノをやっているんですけど、小学校の途中ぐらいから近所の個人の先生に教えていただくようになって、厳しかったんですけどなんかやっぱりそこですごく鍛えられた部分とその先生のやっぱり影響で私もちょっと音大に行きたいなと思ってそこを目指していました」

音大に通い、いつかは音楽の先生に。
高校生の時は軽音楽部に入部、そしてドラムを担当した。

「女子校だったんですけど、ドラムをやってくれる子が最初はいたんですけどその子がやめちゃって、でもどうしても学園祭に出たくって、兄もちょっと叩けたので、教えてもらったらなんとなく叩けて、これだったら学園祭までやってみようかなと。レベッカなどを演奏していました」

ライブハウスでライブに参加したり、
アルバイトも経験した。
ごく普通の女子高生の運命が変わるのは高校2年のオーディションだった。

「芸能界に憧れがあってというかもうそんなことを全く考えていなかったんですけど、オーディションのチラシが配られていて、ノリで受けてみたんです」

結果はグランプリを受賞。

「なんで私が…?」

そこからは熊本と東京を行ったり来たり。
そして、本格的に芸能活動をスタートさせるのであった。
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