NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest貫地谷しほりさん

貫地谷しほりさん

2002年にスクリーンデビューし、 映画『スウィングガールズ』で注目を集める。07年、NHK連続テレビ小説『ちりとてちん』で初主演。 13年に主演した映画『くちづけ』で、翌年第56回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞。映像、舞台、CM、 声優、ナレーションと様々な分野で幅広く活躍する。9月23日公開の映画『総理の夫』に出演。

夢を持つことはすごいこと。

2021/10/02
おととし結婚した貫地谷しほりのライフスタイルとは?

「私的には結婚は遅かったですね。26、27で結婚したいってずっと言ってたので33で結婚したんですかね。何で大分ちょっと。でももうその頃には結婚願望もなくなっていたので、まさか本当に結婚すると思わなかったです」

結婚を機にライフスタイルはどう変わったのか?

「やっぱり優先順位も変わってきます。結婚前は友達と皆でご飯行って遅くなるって言う事とかもまあありましたけど、おととしに結婚してからはちょっと家に旦那さんいるしな、とか思うようになりました」

貫地谷しほりが家事の中で譲れないことがあるという。

「洗濯が結構大好きな家事の一つで、これだったら何度で洗うとかこの色のものはこの洗剤で洗うとか、例えば乾燥機かけたらすぐに取り出すものとか、あるんですよね。なので洗濯はちょっと私がやりたいと思っている一つです。すごいスッキリすると言うか、私なんかすっきりするものを見るのが好きみたいで」

今、プライベートが充実しているという貫地谷しほり。
では、10年先のビジョンとは?

「20代の頃とかはあったんですよね。何歳に結婚してこうこうこうしてこういう風になりたいっていうなんかをイメージがあったんですけど、今は無計画で生きて行きたいっていうのがビジョンで。なんか、その方がたくさん膨らむことがないのかなって今思ってる最中で、またちょっとしたら変わるかもしれないんですけど。今はそんな感じですね」

夢を叶える秘訣とは

「昔ある方に言われたんですけど、新しい夢を見ることが才能だってふうにおっしゃっていて。この夢が叶ったら次にはこの夢、次の夢っていうふうにどんどん夢を見つけられるって言うのが才能だっていう風に言われて、確かにそうなんだろうなと思って。なんか夢を叶えるって言う事は夢がある、夢を持ってるって言う事だけでもあの凄い事なんだと、そこに近づいてる一歩なんだなと思うので」
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粘ってつかんだポジション

2021/09/25
女優・貫地谷しほりを世に知らしめた作品
連続テレビ小説「ちりとてちん」
3度目の挑戦で射止めたヒロインの座。

「すごい嬉しかった。これが最後だから最後だからって言うマネージャーの説得がなかったら受けられてないので。人の言うことは聞くものだなと感じました」

この作品では覚えるべきことがたくさんあった
福井弁、上方落語に備えて大阪弁、三味線、、、。
ただ撮影拠点の大阪での生活は楽しかったという。

「いろんなところに自転車で行って。撮影の合間にも本屋とか洋服屋さんとか見に行ったりして。結構充実してましたね。一人でお酒を飲んだデビューの家ですね」

連続テレビ小説「ちりとてちん」。
この作品は貫地谷しほりさんを
1人の人間として成長させてくれる作品でもあった。

「藤本有紀さんの脚本は本当に素晴らしくて。もうそれだけじゃなくて他にもたくさんいいセリフと言うか感動するセリフがたくさんあって。毎週一週間の台本が来るんですね。毎回泣くんですよ。毎週。本当に素敵な本でした」

貫地谷しほりにとっての20代とは?

「20代も忙しいですよね。本当になので朝ドラでおととし夏空っていうのに出たんですけど、すずちゃんも忙しいだろうにと思って大丈夫、大丈夫って言うんですけど。全然大丈夫ですって言ってって、私も多分当時、大丈夫っていろんな方が聞いてくれたんですけど、全然大丈夫ですって感じだったんですよね。なので、年齢ってすごいなーって思いました」

10代、20代、
貫地谷しほりは全力で駆け抜けたという。
そして、不動のポジションをつかんだのであった。
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少しずつ積み上げた自信

2021/09/18
映画 Survive STYLE 5+でオーディションに合格。
映画「スイングガールズ」の公開
しかし、女優としての自信はまだまだ持てなく大学への進学を選択した。
すると貫地谷は女優と学生を平行する忙しい毎日を過ごすことになる。

「大学3年生ぐらいになった時にはもう同級生の子達と卒業できないというのがもう決まってたんですよね。必修単位が取れてないので。何でどうしようかなーってすごい悩んでました。かつあの同じ時間、朝の一限にはなかなか起きれないんだけど、朝一の仕事にパって目が覚めるってその自分のモチベーションだったりとか、そういうところの違いにも気付き始めて」

大学生を続けるか?女優業1つにしぼるか?
決断は演出家の言葉でした。

「演出家の方に”何になりたいんだ?”って言われて。将来も女優で食べて行けるかわかんないっていう不安があって、そんな中で女優で食べて行きたいっていうのが凄い恥ずかしかったんですよ当時は。何か叶わない夢を口にするのが恥ずかしいみたいな。なので、その時に”なんかしていたいことしてたらいいなと思いますが”すごいカッコつけたに可愛くないことを言ったら、その演出家の人に”俺は将来女優をやりたいと思ってないやつと仕事してんのか”って言われて、これじゃいけないと思いました」

遡ると、、、
この作品がすべてを決めたのかもしれない。
大学1年の時に公開された「スイングガールズ」

「高校3年生に撮影してたので、本当に高校の思い出っていう感じで。もう大変でしたね。楽器の練習は。学校が終わってそのまま毎日、新大久保のスタジオに練習に行くんですよ。全員みんなそこで練習して、オーディションに受かった人からどのその練習のところに合流してくんですけど。私は結構後の方で。いやすごい大変でしたね。ドランペットが」

映画「スウィングガールズ」への出演が決まった貫地谷しほり。
その先には新たな壁が待っていた。

「その17人ぐらいいったのかな?その中で、そのメインの5人っていうのが入ってあの人たちは全員やったことない楽器で。なのでも他の経験者の方にいろいろ教えてもらったり、先生に教えてもらったり。私の後に本仮屋ユイカちゃんが決まったんですけど。で私と本仮屋ユイカちゃんが本当に楽器全然できない。で、いつもふたりで居残りだったので、やっぱそれですごい仲良くなりましたね」

自信がなかった時期を乗り越え
貫地谷しほりは女優1本で進む道を決断したのであった。
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心が忙しかった10代のころ

2021/09/11
女優・貫地谷しほり。
その幼少期はマンガに夢中だったという。

「漫画家になりたいぐらい漫画が好きで、当時、漫画家キットみたいのが売ってたんですよね。おもちゃで。それでなんか漫画家なるんだみたいな感じで、いっぱい絵をかいていました」

「良く、セーラームーンを見ていました。小学校2年生ぐらいの時になんか悲しいことが教室であって泣いてしまった時に、私の涙は幻の銀水晶にならないなと思って、私はセーラームーンじゃないんだなっていうのを気づきました」

マンガが好きなのは今も変らない。

「私はあのピアノの森っていう漫画が大好きで、本当に人生一番大切な漫画と言っても過言ではないくらい大好きな漫画なんですけど、主人公のカイっていうのはまりこ恵まれた環境で育った男の子じゃないんですよね。ピアノの才能があって、ピアノでどんどん彼自身自分の人生を変化させていくんですけれども。その中で先生が”必要なものは全部持ってる”って言うのがあって、なんていいセリフなんだろうと思って。みんな生まれながらに持ってんだなと思って。すごい良いセリフだなと思って」

マンガに魅せられていた少女が
芸能という世界に入るきっかけとは?

「中学校が赤坂見附にあったんですけど、まぁ友人とちょっと寄り道でもしようっていう事になって、ほんとダメなんですけど。新宿に行こうって言って丸ノ内線に乗ったんですね。その時に今のチーフマネージャーが一緒に乗っていたみたいで、うるさい子いるなってパッて見たら私がいたらしくて、新宿駅で降りたら声かけられました」

家族の反応とは?

「父と祖母は普通の幸せを見つけなさいと。反対してましたね。母は興味あるんだったらやってみればっていう風に言ってくれて、私本当に疎くて、その9時以降テレビを見せてくれない家だったので、今配信とかでも昔のたくさん見れるじゃないですか?なので今その昔のやつとか見たこんなに面白いドラマだったんだっていうのを実感しています」

スカウトはされた。
現実に甘いものではなく仕事がすぐに入ってくるわけではなかった。
そして、彼女の居場所となったのが伊藤正次演劇研究所。

「中学生の時に行かせてもらったんですけど。今も本当大人びたことたくさん教えてもらったと言うか。あんまりこうどうやって演技をするかなんてことは教えてくれなくて、あの何かこう社会の問題があったらそれに着いてみんなで議論するとか。半年に1回だけその発表会があったので、そこに向けて皆でお芝居を作ってく。照明も音響も自分たちでやって、舞台を作るのも自分たちでやって、衣装も自分たちで用意してっていうのをやってました」

貫地谷しほりにとって10代とは?

「忙しい、心が」

「自分がどうしたいのかっていうのもよよくわからなかったし、ただ急に現れた道ではあったけどやっぱりここでやってきたいっていう気持ちもあるけど、受からないしって言うのでなんか忙しかったです」

そして、貫地谷しほりは
10代の自分にこう言いたいという。

「あまり思いつめるなよ」

リスナーのあなたは
10代の自分に、どんなアドバイスをしますか?
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