NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest原日出子さん

原日出子さん

劇団四季の研究生として女優デビュー。
1979年には『夕焼けのマイ・ウェイ』で映画に初出演する。
1981年、NHKの連続テレビ小説「本日も晴天なり」の主演に抜擢され脚光を浴びる。
同年に歌手デビューし、「約束」「青いラプソディー」などの曲を発表する。
2001年に「パートナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。

母親業からの卒業、そして新たなる挑戦へ

2024/08/31
今日も女優の原日出子さんをお迎えして、お話を伺いました。

これまで数々の人生の分岐点について伺ってきましたが、女優業と家庭の両立を長年続けてきた原さんが4つ目の分岐点として挙げてくださったのが、「母親業の卒業」。子供たちの大学卒業をきっかけに、自分自身の新たな人生のステージへ進もうと「母親業からの卒業」を決意。「これからはお母さんのやりたいことを100%やらせていただきます」と子供たちに宣言し、そこからご自身のやりたいことに専念する生活が始まりました。

子育て中も役者としてのキャリアを積み重ねてきた原さんですが、子供たちが独立したことで、以前よりも自由に活動できるようになり、地方での撮影や長期の撮影にも参加できるように。また、昨年出演された舞台「他人」では、1ヶ月にも及ぶ大阪での稽古にも臨まれ、一人暮らしを経験。この作品では、舞台での演技が持つ深みを感じ、さらにその演技は、映画やテレビの世界でも活かされることを再確認されたそう。

そんな原さんですが、料理上手としても有名。映画の現場では、自らちょっとしたおつまみなどを料理をし、共演者やスタッフに振る舞っていたところ、そのおいしさが評判となり「居酒屋日出子」と呼ばれるように。SNSには、料理に関する投稿が多数がたくさん!業界では、居酒屋日出子のファンも多数のようです。

最近は、新たな挑戦としてボイストレーニングにも取り組んでいるという原さん。ボイトレによって自律神経の整え方や呼吸の方法を学んだそうで、これもまた、演技や精神的な健康を支える重要な要素となっているようです。

今後も健康に気をつけつつ、映画に、舞台に、ドラマに・・・さらに挑戦を続けたいと語る原日出子さん。新たなステージを楽しみにされているようです。
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結婚、育児、そして仕事を両立する日々

2024/08/24
今回は、女優の原日出子さんにご自身のキャリアや人生の転機について伺いました。

1981年の朝ドラ「本日も晴天なり」で国民的女優となった原さんですが、その後のキャリアにも大きな影響を与えた作品として、1983年の映画「ションベン・ライダー」が挙げられます。

「ションベン・ライダー」への思い
相米信二監督の作品で、いじめられっ子のガキ大将が誘拐され、彼を追う少年少女とヤクザの姿を描いたこの映画、撮影現場はとにかく「常識破り」だったのだとか。
助監督やスタッフが監督のビジョンを実現するために、俳優たちがチャレンジを繰り返す日々、非常に特異な撮影環境だったと振り返っています。映画好きからは今でも一目置かれるこの作品。その現場は、劇場映画に対する原さんの常識を覆し、今でも映画業界で語り継がれる作品となっています。

女優としての転機と母親としての決断
1983年には高校時代の同級生と結婚し、23歳で母親になった原さん。女優業を辞め、専業主婦になる覚悟をしたものの、最終的には4年後に仕事に復帰。その決断が結果的に離婚につながるものの、今ではその時期に得た経験に感謝しているとお話しされていました。

仕事復帰への感謝
仕事に戻った後、関係者からの温かい歓迎を受けた原さん。さらに1994年には俳優の渡辺裕之さんと再婚し、3人のお子さんを育て上げています。
「渡辺は俳優でしたし、才能はその人のものだから生かしてほしいということで、再婚後は仕事を続けました。でも、子供を生みながらも仕事を続けるという選択は大変でしたね。」

子連れでの仕事の現場
3人のお子さんを育てながら、現場に子連れで参加するというスタイルを取っていた原さん。当時の状況をこう振り返ります。
「私、3人とも完全母乳だったので、母乳期間は子連れでした。現場にはいつも子供を連れて行って、許される仕事だけを選んでやっていました。その時は、バラエティーの仕事もしましたし、現場でお子さんを抱えて仕事をすることを理解してくださる方々に恵まれました。」
その後、思春期の子供たちとの関係が難しかったと語る原さん。
「思春期のときはね、息子たちがぶつかってきたら、私もぶつかり返すタイプで。女優だからこそ、感情を正直に表すことができたんですね。お互いにぶつかり合いながらも、常に話し合ってきたので、今でもなんでも話し合える関係が続いています。」

忙しい日々を振り返って
最後に、仕事と家庭の両立を振り返りながら、原さんはこう述べられました。
「今振り返ると、どうやってあの忙しい日々を乗り越えたのか思い出せないくらい。でも家では100%母親として、外では100%女優として、全力で取り組んでいました。両立できたことが、私自身を救ってくれた部分もあるかもしれません。」
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朝ドラヒロインで一躍国民的人気女優へ

2024/08/17
今週は原日出子さんの人気を一躍全国区に押し上げた、思い出深い作品についてお話を伺いました。

劇団四季での経験とその後の転機
劇団四季の研究所からお芝居の道をスタートした原日出子さん。ですが、結果的には、半年で、クビに。ですが、退所当日に、劇団近くの喫茶店のママさんに「あなたは、舞台より映像が向いている」とのアドバイスをうけ、この言葉がきっかけで、原さんは映像の世界に進むことを決意。この出会いが、後の大きな転機となりました。

ママさんの紹介で、岡崎明監督の自主制作映画『夕焼けのマイウェイ』のオーディションを受けることに。この映画で「ヒロインに決まって、主題歌も歌ってみたいなもトントン拍子に話が進んじゃったんですね」と、順調にキャリアをスタートさせました。その後、喫茶店のママさん夫妻が原さんのためにプロダクションを立ち上げ、その後も30年間その個人事務所にお世話になることに。
「私の人生は人との出会いだけでここまで来た」と語る原さん、「私は、叱ってくれる人ほど好き。あのまま(劇団四季に)いてもたいして伸びなかったかもしれないですね」と振り返り、もし劇団四季でクビにならなかったら、今のようなキャリアを築けなかったかもしれないと振り返ります。

NHK連続テレビ小説「本日も晴天なり」への出演とその影響
1979年に映画デビューを果たした原日出子さんは、その後次々とドラマに出演し、NHKの連続テレビ小説「本日も晴天なり」で一躍全国的な人気に。この作品では、戦時下でNHKのアナウンサーとなり、その後ルポライター作家へと転身する女性の半生が描かれており、当時の視聴率は平均36.6%、最高視聴率は43.3%を記録しました。
「NHKのテレビ小説って、みんなが朝楽しみに見ていて、その素人みたいな若い子が成長していく姿を一緒に応援する、そんな雰囲気がありました」と当時を振り返ります。

撮影は、リハーサル2日、本番3日、残りの2日は取材やプレビューで休みがなかったという厳しいスケジュール。「とにかく半年間、NHKのものですみたいな感じでした。でも、とにかく厳しかったけど、楽しかった。先輩たちからたくさん学びました。セリフ覚えはすごく良くなりましたね。鍛えられました」。
また、このドラマの放送後、全国で彼女の人気が急上昇し、道を歩いていても役名で呼び止められるほどに。「道を歩いていると『もっちゃん、元気か?』とか声をかけられて、本気でうちの孫の嫁にならないかって手紙がきたりとか…家族のように感じる番組だったんでしょうね」と、その反響の大きさに驚いたよう。

その後、劇団四季の大先輩たちと共演する機会が訪れ、下駄箱を磨いていた自分が、いつの間にか同じ舞台に立つようになったことに感慨深さを感じたという原さん。「本日も晴天なり」について「これをやったおかげで今がありますね。あんなに大変な現場はもう二度とないと思います。でも、女性の半生を演じるという貴重な経験ができたことが、本当に大きかった」と語ります。

来週は、そんな原さんのもう一つの思い出深い作品について伺います。
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映画「大いなる不在」、そして女優・原日出子の原点

2024/08/10
歴史的快挙を成し遂げた映画「大いなる不在」
映画「大いなる不在」に藤竜也さんが演じる主人公・陽二の再婚相手として出演されている原日出子さん。この作品は、歴史上初めてサンセバスティアン国際映画祭でシルバーシェル賞(最優秀俳優賞)を日本人俳優が受賞するという快挙を達成しました。また、アメリカ最古の映画祭であるサンフランシスコ国際映画祭でも最高賞を受賞し、その評価は国内外を問わず高まっています。
「言葉の壁を越えて作品が受け入れられるのは本当にすごいこと」と話す原さん、特にトロント映画祭では、現地の観客や審査員から直接声をかけられることもあり、映画が持つ普遍的なテーマや感情が国境を越えて共感を呼んでいることを実感したそうです。

40年ぶりの藤竜也さんとの共演
藤竜也さんと実に40年ぶりの共演となった原日出子さん。藤竜也さんの演技について、「大先輩でありながら、演技に一切の隙がない。セリフを間違えることもなく、NGも出さない。その集中力とプロフェッショナリズムには本当に感銘を受けました」と語っています。また、役作りに対してもメガネをかけることを提案したり、自然にその役に入っていかれる姿勢を間近で見られたことも大きかったようです。
この作品の撮影を、「愛しい時間だったね」という藤さんの言葉が、原さんの胸に深く刻まれたといいます。
「大いなる不在」で描かれるミステリアスなキャラクター
映画「大いなる不在」の中で、原日出子さんが演じる直美は、ミステリアスで、観客が映画を観終わった後に様々な解釈を引き出す存在。原さん自身も、「皆さんがこうあってほしいと思う結末でいいんじゃないでしょうか」と語り、それぞれの観客が自分なりのストーリーを想像して楽しんでほしいといいます。
また、森山未來さんとの共演シーンについても、「セリフのやり取りが単なるキャッチボールではなく、本当にそこに思考と命があると感じました」と振り返り、その感情表現に感銘を受けたのだとか。
撮影はおよそ1ヶ月間、北九州と熊本の二箇所で行われたこの作品、原さんは、前半と後半でそれぞれ1週間ずつ撮影に参加し、その間にもドライブを楽しんだり、別府の温泉に入ったりと、オフを満喫。地方ロケでは、その土地を存分に楽しむタイプなのだとか。

演劇との出会いと高校時代の情熱
そんな原さんの演劇の原点は、高校時代。演劇部での活動を通じて、演劇の世界に強い魅力を感じるようになり、唐十郎さんの作品にのめり込んだり。
高校卒業後には、演劇を学ぶため日本工学院専門学校に入学。さらに劇団四季の研究生オーディションを受け、見事に合格します。劇団四季の研究所では毎日のようにバレエやジャズダンス、歌のレッスンに明け暮れる日々でしたが、半年ごとに行われるテストでわずか1点差で落とされ、退団。ですが、それがきっかけで、映像の分野へ転身、現在のキャリアへとつながったようです。
そこからどんどん人気俳優への道を駆け上がる原日出子さん、来週は印象に残っている作品について伺います。
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デビュー45周年!最新作「大いなる不在」では、40年ぶりの共演も

2024/08/03
今回は、俳優の原日出子さんをお迎えしました。

土曜日の朝は早起きしてプラスチックゴミを出しに行くことから始まるという原さん。
「回収が早いので、うっかりしていると持って行かれてしまうんです」と笑いながらお話しされていました。
朝早くからワンちゃんと散歩をすることも日課の一つだとか。
そんな原さんも、若い頃は低血圧で朝が苦手だったそうで、子育てをするようになってからは朝から活動的に過ごせるようになったとのこと。お子さんが成長してからは、曜日の感覚が少し薄れてしまうこともあるようです。

お母さんとして3人のお子さんを育て上げた原さんですが、インスタグラムには、料理の写真がたくさんアップされています。
「お料理は好きにならざるを得なかったんです」と必要に迫られて料理を始めたものの、最近では楽しんでおつまみを作ることが増えたと語ります。


女優としてのキャリア
1979年にデビューしてから45年。多くの作品に出演し、明るく天真爛漫なキャラクターで愛され続ける原さん。「飛ぶように売れているわけではないですが、切れ目なく良い作品に呼んでいただけて本当に幸せです」と話します。
最近では長期間の地方ロケも楽しんだりしているそうで、「旅行が好きで、空き時間を有効に使うタイプです。どこに行っても美味しいものに出会える」と語る原さんは、お店の雰囲気で美味しいお店を見極めるのが得意なのだとか。

45周年の軌跡と最新作『大いなる不在』
今年でデビュー45周年を迎えた原さん。現在公開中の最新作『大いなる不在』では、藤竜也さんと40年ぶりの共演を果たしました。
森山未來さん、藤竜也さんと共演されているこの作品。認知症を患う父とその息子の物語。原さんは藤竜也さん演じる陽二が恋い焦がれ、再婚した女性を演じています。
藤竜也さんとの共演は、約40年ぶり!原さんが21歳の時に参加した相米慎二監督の映画『ションベン・ライダー』で初めて共演され、当時から憧れの大先輩であり、本当に多くの楽しい時間を過ごし、面倒を見てもらったと当時を振り返ります。出演のオファーをもらった時には、藤さんの名前を聞いて、台本を読む前に即答で出演を決めたとか。
そんな藤竜也さんとの再会は、40年という歳月を感じさせないものだったと言います。
「藤さんは全然変わっていない」と驚きながらも、「私はおばあちゃんになってしまったけれど、藤さんは82歳になってもますます魅力的でした」と語る原さん。その演技の深みと存在感に改めて感銘を受けたそうです。

役作りについては、演技プランをほとんど持たず、自然体で役に臨むスタイル。「その人の時間を生きる」という感覚で、台詞を覚えてその人として存在することを大切にしているという原さん。
来週は、さらに最新作「大いなる不在」についてお話を伺っていきます。
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