NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guestとよた真帆さん

とよた真帆さん

1967年東京都生まれ
高校在学中にモデルデビューしパリコレクション等にも出演。
1989年に女優デビュー後、多数のドラマや映画、舞台等に出演。
また芸術の造詣が深く絵画の個展を開き京友禅の絵師として着物のデザインを手がける。
家具などの木工、手芸もこなし、DIY番組を持つ等、趣味の域を超えた活動を展開。

最愛の人の死を乗り越えて更なる飛躍へ

2024/07/27
今日も俳優のとよた真帆さんのライフストーリーを伺いました。

DIY専門番組を担当したり、その腕前はプロ級というとよたさん、
他にも、アートや京友禅など、多才な一面から、
デビュー40周年を記念した新たな挑戦など、たっぷりとお話、伺いました。

今年でデビュー40周年を迎え、ドラマに映画に舞台にと、お芝居でも日本全国を飛び回ってきたとよたさん、
さらにお芝居だけでなく、DIYの腕前もプロ級で専門番組を担当するほど。

「DIYの元は、母のもったいない精神から来てるんです。昭和5年生まれなので、例えばプレゼントでメロンをもらった時の空き箱や桐の箱とか、勿体ないからなんか箱として使うんじゃなくて違う用途で使おうみたいな・・・子供としてそれを見てたんですね。何か応用して何かに生まれ変わらせるんだみたいなのがすごく楽しいと思って、自分でもいろいろ作ってみたりするようになって、そこが最初ですね。」

単に捨てるのではなく、何かに生まれ変わらせたり、再利用したりと日々の生活の中でも実践しているというとよたさん、将来の夢は「家を建てること」なんだとか。

「白い繭みたいな、ヨーダが出てきそうな家を作りたいんです。地中海風とでも言うんでしょうか。中はDIYでタイルを貼ったり、木を切って棚を作るとか・・・外枠だけ作ってもらって内装を自分でやる。DIYはそんな感じで、何でもないものが手を経て生まれ変わるっていうことに喜びを感じるんです。」

さらに、飲食店も経営されていて、恵比寿南で、一軒家の小さいビストロを手がけています。

「(青山)監督が亡くなってから1人でご飯食べることが多いじゃないですか、ふと食べに行けるとこもっとあったらいいのになと思ったときに、ここのお店、真帆さんどうですかって言ってお友達の関係で、期間限定みたいな感じで貸してくださるっていう話になったんですよ。期間限定だったら気楽だし、かわいらしいお店だったので、ええ、ぜひって感じでふわって始めたら大変だった。青山が毎日いるような感じで、それ青山が持っていたCDとか、そういうのも置いてあったりとかします。」

そんなとよたさん、デビュー40周年にして、新たなチャレンジに挑戦。
デビューアルバムが7月31日にリリースとなります。
斎藤工さんとのデュエットもあり、更に、生前の青山監督の歌声も聴けるというもの。
パソコンに残っていた声を偶然に発見し、アルバムに入れることができたそうです。

これからも体力を鍛えながら、思いっきり遊んで、無理なく、本当にやりたいこと本当に好きな人とやっていきたいと言うとよたさん。輝くような美しさで、今後もさらに活動の幅を広げていかれるようです。

とよた真帆さんの芸能生活40周年を記念してリリースされたアルバム「WILD FLOWER」。
斎藤工さんと初デュエットしたオリジナル曲「LADY JANE」
「愛のジョビ・ジョバ・マンボ」の2曲も収録!
ぜひチェックしてみてください!
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夫であり同志!映画監督・青山真治との日々

2024/07/20
2002年に映画監督の青山真治さんと結婚されたとよたさん。
今日は、映画「月の砂漠」で、「監督」と「女優」として出会ったお二人が
公私共に、よきパートナーとして暮らした日々について伺いました。


「真面目さとか、こだわりがここまであるところとか、そういう部分に惹かれたんだと思います。あと勉強家だったんですよね。私は注意散漫でいろんなことに興味があるからいろいろやるんですが、監督は、映画と音楽と小説だけなんだ、って。それで自分で論文も書けるぐらいにねなるっていうのはすごいなと思って。」

と結婚前の青山真治監督について語るとよたさん、
結婚、ご家庭ではとにかくよく話をしたと言います。

「いろんな話をしましたね。例えば思いつくと、うちにそのとき猫が4匹いたんですが、この猫は人間だったら、俳優さんは誰だろうとか想像して、その猫の話を作って、アテレコしてみたり・・・」

ですが、家では、映画の構想の話などは秘密主義で一切しなかったという青山監督。
親戚の集まりなどでも客観的に傍観し、その描写が作品に盛り込まれていたということもあったとか。日常生活に映画のヒントが溢れていると感じられていたようです。

パートナーであり同志のような関係だったとよたさんと青山真治監督。
海外の映画祭などにも一緒に参加されたり、とよたさんが仕事で小笠原に行かれた際には、自腹で同行したことも。
新しいとこを探検するのが大好きだったという青山監督。同行した先では一人で散策して、それが後で小説に出てきたりと、ロケハンされていたそう。
そして、常にとよたさんの出演作品はチェックして、褒めてくれたり感想をくれたという青山監督。俳優「とよた真帆」にとって貴重な意見だったようです。

そんな仲睦まじい日々の中で、青山監督のガンが発覚。
もともと病気がちだったという青山監督ですが、1年ほどの闘病生活の中では、明るく振る舞っていました。

「でも、だんだん口数が少なくなって・・・、でも苦しいって一言も言わなかった。つらいとか痛いとか、それは何か周りに対しての愛情だったんだなと思い、やっぱりつらいとか痛いとか言われても周りがどうすることもできないってのわかってたんでしょうね」


芸術家との結婚ということで、普通の結婚生活ではなかったと当時を振り返るとよたさんですが、20年の結婚生活は、かけがえのない日々だったようです。

来週は、とよたさん、芸能生活40周年でチャレンジした新たな挑戦について
伺います。
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女優への転身、人生を変えた作品との出会い

2024/07/13
今週も、俳優のとよた真帆さんのライフストーリーをお届けしました。

17歳でモデルとして芸能界デビューされ、23歳で女優に転身。
その初出演作は、ドラマ「愛しあってるかい」でした。

小泉今日子さんと陣内孝則さん主演、柳葉敏郎や田中律子さん、和久井映見さんなど錚々たるメンバーによるドラマ。脚本も野島伸司さんが担当され、「愛し合ってるか〜い」というセリフが一世を風靡しました。

初めてのドラマの撮影でドキドキしたというとよたさん。モデルの世界とは違い、芝居の右も左もわからない状態で、怒られ続けた日々だったと当時を振り返ります。
ですが、誰かが教えてくれるわけでもなく、とにかく独学で、映画を年間200本〜300本観て、素敵な芝居をしている俳優さんを真似てみたり、間の取り方などを学んでみたり・・・そんな三年間を過ごされました。

当時は、モデルから女優への転身が珍しい時代、歓迎ムードはなく、モデルとしての日々との違いに苦労した日々。ですが、徐々に、一つ一つ一生懸命に取り組み、自分の中で手応えを感じたり、褒めてもらう小さな積み重ねで学んで行ったと言います。

そんなとよたさんの印象深い作品というと・・・

1998年公開の岩下志麻さんの極妻シリーズ10作目<極道の妻たち 決着>
岩下志麻さんが主演を務めた最後の作品で、「秋葉杏子」役を演じたとよたさん、その変貌ぶりは、大きな注目を集めました。
劇画の世界にも近い、独特の世界観だったという極妻シリーズ。岩下さんの存在感、そして京都太秦での撮影では、職人技のスタッフ、と、何もかもが新鮮な世界。小道具、大道具、音声とスタッフの方々がプライドを持った厳しい方ばかりだったそうですが、一方で、すごく可愛がってもらったと当時を振り返ります。

<熱い胸騒ぎ>
1992年に放送された深夜テレビドラマ。とよた真帆さん主演、長塚京三さんと親子を演じたドラマで、この演技を観た青山真治監督が、とよたさんへの出演依頼を送ったという思い出の作品。
とにかく長いセリフをワンカットで撮るという過酷な撮影だったそうで、何度もやり直し、取り直しがあったりと、苦労されたというもの。自分の未熟さに泣いた思い出もあるそうですが、その演技がまだ助監督だった青山真治さんの心に響いたようです。

<月の砂漠>
2003年に公開された青山真治監督による映画第54回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された作品。三上博史さん主演。
初めて青山監督に会った時の印象を・・・忘れられない風貌だった、と語るとよたさん。

「青山作品は全部見てたんですけど、風貌を見てなくて。本読み、衣装合わせの時に初めて「おはようございます」ってドアを開けて入ったらすごく大きい腰まで髪の毛がある男性が立ってたんですよ。それで、えっ!と思って挨拶したら、「青山です」と。
想像してたのとは全く違って。最初は圧倒されたけれど、すごいあったかい朗らかな感じの笑顔でした」

変わった人に惹かれるタイプとご自身を分析するとよたさんにとって、青山監督は、まさに「つかみはOK!」だったそうです。

演技指導はせず、リズムにこだわる監督だったという青山さん。役者の台詞のリズムにこだわり、セリフを言う音程や間にも非常に細かく指示が入るタイプなんだとか。
「月の砂漠」でも不思議な間があったり、独特の世界観を表現されていた様です。

その後、2002年にご結婚されたお二人。
来週は、青山監督との夫婦としての日々などについて伺います。
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17歳のデビューからパリコレへ!モデル:とよた真帆

2024/07/06
今月のゲストは、俳優・とよた真帆さん。
その親しみやすいキャラクターで、交友関係も広く、活動も俳優業だけでなく、多岐に渡るとよたさんのライフストーリーをお届けします。

普段から早起きというとよた真帆さん、犬を6年前から家族に迎えてから、お散歩のために5時に起きる毎日。寝室ではカーテンを開けたままで、朝日と共に起きる生活なんだとか。犬1匹、保護猫は三匹、そしてグッピーやメダカが数十匹という大家族での暮らし。お世話も大変なようです。
お仕事でも俳優業にYouTube、 DIYと幅広い活動をされている日々ですが、今年でデビュー40周年。音楽アルバムの自主制作に取り組まれました。

お兄様、お姉さまの三人兄弟の末っ子として育ったとよたさんですが、ご兄弟とは歳の差があったことから、一人っ子のような感覚だったのだとか。工作したり近所の子供と活発に遊ぶとよたさんをまるで父親のようにお兄様が可愛がってくれたことも。
幼少期から、演劇好きな従姉妹の影響で、よくステージを見に行ったことから、お芝居には興味があったそうです。そして、お母様もとよたさんの人格形成に大きな影響を与えていたようです。

「優しい人なんですね。でちょっと江戸っ子気質で、自分がちょっと苦しくても見え張って助けちゃうみたいな・・・それで後で周りが大変みたいな状況があるんですよ。なので優しさのきっぷの良さみたいなのはずっと見ていたというか・・・。
でも、私は母の二つ返事でオッケーしちゃうところで苦労したので、逆に、まず、確実に自分に責任が取れるだろうかと自問する、慎重派になりました」

そんなとよたさんの芸能界デビューは、17歳でのモデル活動から。
当時は、雑誌「olive」や「mc Sister」などが人気の時代。中学の二年間で背が17cmも伸びたというとよたさんにとって、モデルは憧れの仕事でもありました。
スカウトをきっかけにモデルの道へ入られたとよたさん。当時は、バブル絶頂期で毎月のようにハワイロケに行くような毎日だったとか。
さらに、18歳でパリコレデビュー。きっかけは、来日したアニエス・ベーが日本のショーにとよたさんを起用。「パリに来たら使ってあげるよ」と言われたことから。その言葉を信じてパリに渡ったところ、その年は、アニエス・ベーがショーをやらないことに。それでも、せっかくパリまで来たからと、現地の事務所のオーディションを受けて見事合格されました。毎回、オーディションに通う日々で、世界の壁を感じたとよたさん。改めて、日本での仕事のありがたさを感じたと言います。
「自分のモデルとしてのタイプっていうのは世界に通用するわけではないから、日本でお仕事をいただいたことがありがたいと思って帰ってきて、そこからさらに日本の仕事を大事に大事にするようになりました。」

帰国されてからも、モデル業を続け、ご自身で、学費や生活費は賄うようになったというとよたさん。20歳の時にお母様に家をプレゼントされたそうで、お母様もとっても喜んでいらっしゃったとか。ですが、モデルの仕事は、22歳までと決めていたそうで、来週は、23歳での俳優への転身について伺います。
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