歌う喜び
「嘘ついても守ってくれた母ですから、もう本当に仲良しだったんです。兄弟の中で私が一番介護に向いていたので環境的にも性格的にも、だから、その人の生きてること死にいくこと、そこに立ち会えたってことはものすごく良かったです。あの今から思うと、幸せなことだったなって思ってるんですね」
大好きな母親のそばにいることで、
介護の中、創作活動もライブ活動も何でもできていたという。
しかし、母親を失って創作意欲が全く湧かなくなった。
それは1年以上続いた。
「尾崎亜美としては初めてのことです。大ピンチと思って、このまま私駄目になるのかなって思ったぐらい大ピンチでした。散歩に出かけてたときに、ある時、ふって鼻歌が出て、空がすごい綺麗で、その光を浴びてるっていう啓示っていうのかな、何かよくわからないんですけど。あなたは書けるという感じが来て、本当にメロディーが湧いてきて。浮かんだですね。メッセージっていう曲なんですけどね。やっぱり母が亡くなって、できた歌とも言えるし、ずっと失ってたものが、すごく遠くを探してたけど、遠くにはなくて。やっぱり自分の中にあった。ようやく始まりました」
音楽シーンを走り続けてきた尾崎亜美
2023年にも大きなピンチが訪れた。
彼女の喉は悲鳴をあげていた。
「3月に手術したんですけど、生まれたときからハスキーな私でも自分の声は好きだったのっていうか今でも好きなんですけど。もしかしたら手術をすることで。歌えない、自分が納得できない声になってしまうっていう可能性がゼロではなかったので、実はうわー、この手術は13年以上前からしなさいと言われてた手術なんです。すすめられてたんだけど、怖くてできなかったんですね」
事務所の社長、小原礼の応援もあり手術に踏み切った。
「結構大変でした。まずは喋れない次の1週間は30分だけ声を出す。その次の1週間は1時間だけ声を出す。それから次は、ハミングだけする。それから次はムーと、モーだけそれを頭につけて話す。ムームーラードか、ムーシーとかモーモーとかいうんですけど」
喉のトレーニングは、歌えるようになった今も続いている
「余分にいっぱい空気が漏れてたらしいんですね。ちょうどいいぐらいに今はなってるらしくて、これをキープですって言われて、喉の筋トレって呼んでるんですけど、声帯の周りの筋肉を衰えさせないように今でもちゃんと筋トレは続けてるんですヒリヒリすることはやっぱりライブとかするとあるんですけど、これはね、筋肉痛なんですって。だと思って安心して練習してくださいって言われてます」
尾崎亜美、
10年後はどんな自分で居たいのか?
「多分ね10年後になったら、10年後なりにできなくなってることももちろんたくさんあるんです。でも、だからこそできることも、また見つけてると思うんですね。そういうことで遊んで、楽しいなって思いながら、苦労してっても楽しいなって思えることを探しながらの生き方をしてると思います」
10年後、
尾崎亜美はどんな歌を創り、
歌っているのだろうか。