NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest有森也実さん

有森也実さん

中学3年生の時にティーン向けファッション誌の専属モデルとしてキャリアをスタート。85年、映画「星空のむこうの国」で女優としてデビューし、主役に抜てきされた「キネマの天地」ではブルーリボン新人賞と日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。その後、TVドラマ「東京ラブストーリー」や「HOTEL」など多数の作品に出演。

「ひとり」の難しさ

2024/03/30
有森也実は2020年に大きな決断をした。
37年所属していた事務所からの独立。

「今まで箱入り娘のようにかわいがっていただいて、最後のチャンスとして世の中をちゃんと見て自分の足で歩くっていうようなことにチャレンジしたいっていうふうに思ったのが、きっかけと言えばきっかけですね」

スケジュールの調整など細かい仕事も自分で行った。

その一方で役者としてのターニングポイントも訪れた。
4時間の長編映画『いぬむこいり』を終え、燃え尽きていたところにやってきた一人芝居の話。

舞台「化粧二題」
舞台「ある八重子物語」

「こまつ座・井上ひさし先生の脚本、シナリオ、これでもう本当に棒にも箸にも棒にも引っかからないようなだったら、潔くやめようというふうな覚悟でやらせていただきました」

大衆演劇の座長の話で、バックステージ、セット一つでそこにテレビ局の男性が訪ねてきたりとか、座員がいたりとか、1人で相手をしなくちゃいけない見えない人たちと、透明の透明な座員たちと1人芝居ですから、、、」

ひとり舞台は自分にあっていたのか?

「あっていると思います。良いも悪いも、悪かったときは特にね、何とか1人で頑張る1人で責任を取るが取れる。誰のせいにもならしなくていいっていうのはすごくあっていると思います」

今後演じてみたい役とは?

「楽しい役をやってみたいな。人間ってやっぱりおかし味がありますよね。そのおかし味を表現するっていうのは、これから私の課題の一つなのかなっていうふうには思いましたね。今、とってももうリアルが難しいじゃないですかはい、リアルの方がつらかったり大変だったり、すごいドラマですよね。これから表現者として私達が表現していくものは、すぐ明るさ楽しさ爽やかさ、そういうものができたらいいかなっていうふうには思っています」
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自分を知ること

2024/03/23
有森也実は数々の作品に出演する中、
役者以外の仕事にも幅を広げて行った。
その中でも旅番組への出演が多かったという。

「敦煌、パラグアイあとアルゼンチン、インドネシアも行ったし、あと、カメルーン、いろいろ行かせてもらいました。秘境担当と言われています」

特に思い出に残っているのがアフリカはカメルーン。

「世界ウルルン滞在記という番組で、マネージャーさんもつかないで、1人で行くんですね、カメルーンのバカ族という方たちと生活して森の中で木の実を取ったり、狩りをしたり、取れるものがなくなるとまた違うところにどんどん移動しながら進んでいる。その人たちと1週間生活をともにしました」

でね、その狩りをする女たちが狩りをするときに、仮っていうか、そのサワガニを取ったりね、木を倒したりするときに、お祈りの歌を歌うんですね。これがまた素敵でね。へえ、祈りから始まる。そう、なんかそういう経験も今までしたことなかったから、一緒にできてもう毎日が楽しかったですね

この経験を経て、自分の中での変化とは?

「循環してるものなんだなっていう。スーパーに行ったら切り身が売ってて、お肉もカットされてて、そういうのが当たり前だと思ってたけど、バカ族の人たちと一緒に、暮らすとまず1から始めなきゃいけないっていうそこがまず始まりで、そういうことを自分が見落としてた。ていうのは発見で、そこにありがたさを感じられたっていうのは、そこへの感謝を忘れちゃいけないんだなっていうのをとても感じましたね」

仕事の幅を広げる一方でライフワークとしているバレエにも取り組んでいる。

「バレエのレッスンをしているとニュートラルになれる自分がいる。体とか心とかも。自分の体のこととかに焦点が当たるので、何か無駄なことが考えられなくなるのですごく心には良いし体にもいいし」

有森也実が考える1ミリの努力とは?

「バレエって外旋するっていう動きが不可欠になるんですね。日常生活で外旋するっていうことはあまりなくて、足関節股関節を外旋させながら動かしていくっていうのがバレエの美しさの一つの特徴なんですよね。それをやるにはやっぱりこのままでいいと思っていたらそこで終わってしまう。綺麗なラインがバレエの理想的なラインが出ないんで、週に1回とか週2回とかに3時間しかできないような私達は、レッスンときだけは1ミリの努力、1ミリの理想をやろうねっていう」

ゆくゆくはバレエの教室を持ちたいとも考えている。

「今もね、大人のバレエっていうのでクラスを持っているんですけれども、もうちょっと広げていきたいなっていうふうには思っています。教えることで勉強になることもたくさんあるし、皆さんそれぞれ体の体つきとか生活が違うので、そのバレエを通して自分の体を知るっていうツールにしていただけるのが、いいんじゃないかなっていうふうには思っています」
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東京ラブストーリー

2024/03/16
俳優・有森也実。
映画「キネマの天地」から5年後に社会現象となったドラマに出演する。
「東京ラブストーリー」

「あの頃、脱トレンディドラマを作ろうっていう意気込みで作られて、20代の男女のリアルな姿を描こうじゃないかっていう作品で、東京ラブストーリー にはコタツが出てきたり、コーポだったり、洋服も身近なコーディネートだったり、そうですねそういうものを意識して作ったドラマでした」

有森也実が演じた「関口さとみ」とは?

「優柔不断でね、魅力的に演じるのは難しい役だなって思いましたね。女性がどんどん強くなって、社会進出してきて活躍し始めて、赤名リカみたいなバリバリのキャリアウーマンが、みんなの理想っていう時代だったじゃないですか。対極にある役で母性的で、古風で、というさとみちゃんをどうしたら魅力的に演じられるかなって思いました」

当時の反響はとは?

「お友達と用事があって電話したときに、最後に也美があんなに憎たらしいと思ったことは初めてだとかって言われて、えぇっ!みたいな。それはそれでドラマにね、熱中してくれているのはありがたいことだけど、友達までこんなこと言うかなみたいな。それはさとみちゃんの私でしょみたいなね。何とかちゃんが知ってる私じゃないでしょみたいなことをいうと、そうなんだけどなっていう話があったりしてね。憎たらしかったそうです」

演じた関口さとみとの共通点とは?

「どうかな。母性的な部分っていうのはちょっとあるかもしれないかな。ただあんまり悩む時間っていうのはもったいないなと思っちゃう。どっかで結論出して進んでいきたいっていうタイプなのかもしれないけど。あそこまでバランス重視じゃないかな」

「東京ラブストーリー」は社会現象に
月曜夜9時は女性が街から消えるとも言われた。
ドラマを見てファッションをマネする女性も現れた。

紺のブレザー。
カチューシャ。

そして、「東京ラブストーリー」は20代のビッグネーム4人が揃ったことでも注目された。

織田裕二、鈴木保奈美、江口洋介、そして有森也美。

「台本とにらめっこして臨むっていう感じで、私の役もそうだし、完治の役もそうだし、優柔不断の役って難しいんですよね。だからそこに気持ちを乗せていくには、どうすればいいのかっていうので織田くんはすごく悩んでいましたね。私も悩み巻いたけど。だから一緒にセリフ合わせしたり、セットの隅っこでちょっと一緒にやらないって言ってセリフ合わせして、ここってどうかなとか、間がどうかなとか、よく2人でやりましたね。江口さんはいつも楽しくてね、もう笑わせてくれる。撮影所でもそういう役を買って出てくれましたね」

全身全霊で挑み1週間に1話が放送される

「必ず月曜日にみんな見て、学校に行って話して、そこからまた1週間楽しみに、その次の場を待つっていうそのドキドキ感わくわく感。私だったらこういうふうにしたいとか、あんときああいうふう思うとかね。その1週間っていう時間がね、またマジックの一つだったんじゃないかなっていうふうに思いますね」

だからドラマの倍速で見ることには抵抗があるという。

「倍速で見るのね。若い人たちってね。あれ本当不思議なんだけど、何が見えるんだろう倍速になるとって。ひょっとしたら何か違うものが見えてくるんじゃないかなってね。すごく思うんですよね。何かそこの1秒を見てほしいみたいな、その間が大事なんだけど」
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モデルから役者へ

2024/03/09
モデルから役者へ。
それは戸惑いの連続だったという。

「何もできませんでしたね。ただ何もできないのが当たり前なので、できないんだもん、しょうがないじゃない、そんなところが根底にありました。普通に歩くこともできず、バレエの癖みたいなのがあって、登校シーンで歩いてセリフも何もないのに何回も何回もやり直しする、でも自分は何が悪いのかがよくわからないんですよね」

思い出のドラマは西田敏行主演「泣いてたまるか」

「手紙をお父さんに書くシーンがあってそれをちゃんと前後を付け足して書いた覚えがありますね。自分の字で台本には、ほんの少しのことしか書いてないけど、前と後ろとちゃんと書いて渡した。そんなことをしたような覚えがあります」

主演映画の座もつかむ「星空のむこうの国」

「すごく健気な、かわいらしい女の子の役でした。病気を持っているんですけど、監督が私の芝居があまりにも下手で、やって見せてくださるんですよ。それが本当にかわいくて、演じるっていうことを初めて意識したのは、ひょっとしたらここだったのかな?監督が教えてくださりました」

1986年公開の映画「キネマの天地」でヒロイン役に抜擢される。

「それこそ分岐点というふうにふさわしい。ここから、俳優の道っていうものが私の中に開けてきた感じですね。泣いてたまるかの監督をなさった栗山監督が、有森也美っていう若い女の子がいるよっていうことで、山田監督と松竹の首脳陣に推薦してくれて、キネマの天地のヒロインになれたんですよ」

山田洋次監督との思い出は?

「とにかくセリフは覚えてこなくていいですって言われましたね。変な癖をつけないでそのまま素のままでいらっしゃいと、現場で全て教えてあげますから、現場で一緒に作っていきましょうっていう」

挑んだ現場では苦戦続きで撮影所がなくなってしまえ…そう考えたという・
しかし、それ以上に実りの多い作品でもあった。

「本当に田中小春と有森也美がリンクするような出来事を監督が演出なさったのかどうかわかりませんけれどもそんなことがありました。大きなタライにまたがって洗濯板で洗濯するシーンがあるんですけど、まあまあ様にならないわけですよね。午前中いっぱい洗濯板と格闘ですね。でも今考えるとそんな時間を割いてくださるなんて、贅沢な贅沢な撮影でした」

この作品でブルーリボン新人賞と日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。
ドラマ・映画で有森也実の名前がさらに広がって行くのだった。
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人生の分岐点はファッション誌

2024/03/02
有森也実、その幼少期とは?

「言葉で表現するのがすごく下手な子で、思っていることと言葉がうまくリンクしない感じがあったりして、だからダンスとかバレエとかなんかそういうものに惹かれたんじゃないかなって、夢中でした。本当に楽しかったですね」

そして、中学生の時はファッションに興味を抱く

「洋裁ができた母だったので私の着るものは全部ほとんど手作りで母が着ていたものをリメイクしたり、親戚のお姉ちゃんからもらったワンピースに手を加えながら着ていました。10代の中盤ぐらいってDCブランドが元気な時で、母の作る割とトラディショナルな服に反抗して本を見てはこれがいいっていう感じで作ってもらいました」

そして、一冊のファッション誌が有森也実にとって人生の分岐点になった

「mc Sisterっていう雑誌が良かったんですよ。楽しかったんですよ。ライフスタイルのことだったり、ヘアメイクのことだったりとかあとは女の子の悩み相談みたいなことをとか色んな雑誌でした。中学3年の頃に進路とか色々考えて、バレエダンサーになるには実力が足りないな、という壁にぶち当たる頃にモデル募集があったんですね。で、どんなところでmc Sisterという雑誌が作られているのか興味あって、もしかしたら編集部を覗きに行けるかもしれないと思って、そんな不純な動機から自分で写真を送りました」

すると、、、
オーディションに合格。

「専属モデルって村上里佳子さんとか今井美樹さんとかで、その中に入って私は小さくて顔も幼くて最初のグラビアページは後ろ姿だったりとかなんかも座っていたりとか飛び跳ねたりとかして、入れてもらえている感じでした」

1年間専属モデルを担当し、そして、モデル事務所に所属することになった。

「最初のお仕事は結婚式場のイメージガールですね。16歳の時にウェディングドレスとか花嫁衣装をたくさん来ましたね」

高校に入学とモデルだけでなく芸能の仕事も増えてきた。
そして、役者業へとシフトして行ったのだった。
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