部屋とYシャツと私
2020/07/11
「”部屋とYシャツと私”はアルバムの中にすれすれ入ったっていう感じ、三枚目のアルバム、”MY DEAR”っていうアルバムに、まずその選曲の中からこぼれ落ちていて、で、私は親友が結婚する時に書いた曲だし、思い出の歌だし、是非入れてほしいっていうことを言ったんですけど、あの周りのスタッフのほぼ8割以上に反対されたんですよね。でもアルバムの中に、ギリギリスレスレ入ったんです。で、レコーディングをして、歌入れしている時に、この歌を歌うのこれで最初で最後だろうなと思ったんですね。」
その1曲を救ったのは有線へのリクエストだった。
「どのぐらい経った頃かな?有線で、リクエストしてくださったあの一般の方がリクエストしてくださって、リクエストがリクエストを呼んで、リクエストがリクエストを呼んで、重なってってどんどんどんチャートが上がっていって、有線チャート上がって行って、シングルカットした方がいいんじゃないかっていう話になり、で、シングルカットになったんです。2年後かな?」
救われた名曲。
そのアンサーソングが生まれたのは
誕生から30年後のことだった。
「原曲に対して、失礼なものを書きたくないと。なんかクオリティを下げてしまうような、絶対無理ですってずっとお断りし続けてきたんですけど、30年経って、、、同窓会でみんな集まって、いろいろと自分たちの話をしますよね?そうすると、ふと、あ、今しかないなと思ったんです。30年の月日が経ちましたっていうのが分かるもので歌詞を埋めていく。それで、完成して行く。こん~なに大変な作詞活動は、かつてなかったです」
最後に聞いた平松愛理がリスナーに贈るエールとは?
「自分にずっと、言い聞かせてるっていうか、ずっと思ってる言葉があって。今日の今の自分や毎日を愛せる気持ち、好きだなって思える気持ちこそが、自分の未来を作っていくと思うので、それは過去に対してもそうですね。あの頃は良かったな、だけじゃなくて。あっ、本当に素敵だったなって思える気持ちを過去にも未来にも持てる自分でいたいと思ったら、それは自分次第で、今日の自分を好きでいること、もうそれをずっと目指して毎日生きているので、皆さんも、もしよろしければちょっとそんなことを覚えて頂ければ嬉しいです」
その1曲を救ったのは有線へのリクエストだった。
「どのぐらい経った頃かな?有線で、リクエストしてくださったあの一般の方がリクエストしてくださって、リクエストがリクエストを呼んで、リクエストがリクエストを呼んで、重なってってどんどんどんチャートが上がっていって、有線チャート上がって行って、シングルカットした方がいいんじゃないかっていう話になり、で、シングルカットになったんです。2年後かな?」
救われた名曲。
そのアンサーソングが生まれたのは
誕生から30年後のことだった。
「原曲に対して、失礼なものを書きたくないと。なんかクオリティを下げてしまうような、絶対無理ですってずっとお断りし続けてきたんですけど、30年経って、、、同窓会でみんな集まって、いろいろと自分たちの話をしますよね?そうすると、ふと、あ、今しかないなと思ったんです。30年の月日が経ちましたっていうのが分かるもので歌詞を埋めていく。それで、完成して行く。こん~なに大変な作詞活動は、かつてなかったです」
最後に聞いた平松愛理がリスナーに贈るエールとは?
「自分にずっと、言い聞かせてるっていうか、ずっと思ってる言葉があって。今日の今の自分や毎日を愛せる気持ち、好きだなって思える気持ちこそが、自分の未来を作っていくと思うので、それは過去に対してもそうですね。あの頃は良かったな、だけじゃなくて。あっ、本当に素敵だったなって思える気持ちを過去にも未来にも持てる自分でいたいと思ったら、それは自分次第で、今日の自分を好きでいること、もうそれをずっと目指して毎日生きているので、皆さんも、もしよろしければちょっとそんなことを覚えて頂ければ嬉しいです」