NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest国仲涼子さん

国仲涼子さん

1979 年、沖縄県生まれ。高校生のときにアルバイト先でスカウトされ、芸能界デビュー。2001 年、NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」に出演し一躍有名となる。
その後も、「結婚できない男」(関西テレビ)、「ハングリー!」(関西テレビ)など数多くのドラマをはじめ映画や舞台、CMに出演している。

今を大切に

2022/07/09
2014年 国仲涼子は俳優の向井理と結婚。
それからは家庭に軸足を置いてきた。
その心境の変化とは?

「すぐに子どもを授かったこともあり、家族って一番近い大きな味方だなっていうふうに感じています。すごく安心感はありますね。生活変わりました。もう子ども中心になっているので、自分のことは後回し、最初はなれるまでが大変でしたね。嬉しさもあったんですけども。ちょっと疲れている時期もありました」

では、今後のことをどう考えているのか?

「仕事に本格的な復帰はまだまだ、子どもたちが小さいので、今はこの時期を逃したくないっていうのもあるんです。すごく大変なんですけど、送り迎えもそうですけど今しかできないので、それを優先させたくて。お仕事お休みしているんですけど。怒ってばっかりの毎日ですけど、楽しめたらいいなと思っています」

ただ、トライしてみたい役はあるという

「今のこの時点でもう1回母親役をやりたいです。そしたら、またちょっと気持ちの入れ方も変わるかなとか、子どもを見る目も変わるかなとか思うので、母親役をやりたいです」

そんな国仲涼子のポリシーとは?

「ポリシーですか?あまり考えてないんですけど、そうですね。どんな1日でも寝る時に“今日は最高の一日だった”って思って寝たいんです。どんな嫌なことがあっても今日は良い1日だったって言って寝ています」

国仲涼子は、「今」を大切に過ごしている。
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覚悟

2022/07/02
国仲涼子を一躍時の人にした朝ドラ「ちゅらさん」

「おっきいですね。私のことを作ってくれた作品でもあるかなと思います。ドラマやりたてのほとんどできないかった私が、撮影を通して学んだことがすごくあって、先輩方と一緒にお芝居するときは、完璧にセリフを入れて、台本持たずにやらなきゃいけないんだとか、まだ細かいことがすごくいっぱいありますね。そういうの全部教えてくれた作品でもあります」

朝ドラ「ちゅらさん」のヒロインを勤め上げ、ホッとしたのもつかの間、
国仲涼子は新たなチャレンジをすることになる。

「“ちゅらさん”の最後の撮影が小浜島で終わったんです。皆さんお疲れ様でしたって言ったその日に、「五瓣の椿」の台本を渡され、5日後に京都で撮影します。って言われたんです。全然そういう気分に切り替えられなくて、ちょっと浮かれてたのもあるんですけども」

5日後には小浜島から京都に入り丸々2ヶ月。

「私の心はちゅらさんを引きずっていたので、浮かれちゃって、浮かれちゃって、浮かれていました。思えばあのセリフも全然頭に入らないまま、撮影に行っちゃったりとかしてたので、現場では怒られて、もう泣きそうになりながらお芝居をしていました」

女優としての試練を乗り越えた国仲涼子。
この仕事を続けて行く、
その覚悟が決まったのはいつごろなのか?

「ちゅらさんの明るいえりぃ役からサスペンスの怖い女性を演じる。で、ここまで演じれたなら他の役もやってみたいっていうのが、少しずつ出てきて、なんか女優業を続けるというよりも、この役やりたいとかそういう想いが少しずつ出てきたんだと思います」
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ちゅらさん

2022/06/25
女優・国仲涼子。
その名を世に知らしめた作品に出合ったのは2001年のことだった。

「とにかく家族愛と人との繋がりを大切にしていたドラマだったので、いい作品だなって改めて思いますね。最終オーディションから半年ぐらい経って、ヒロイン決まりましたって言われたんです。最終オーディションの時にカメラの前でなんでもいいから話してくださいっていうオーディションだったんですけど、緊張してあんまり覚えてないですけど、家族のお話しをしている時に明るく話せていたようです」

朝ドラ「ちゅらさん」のヒロインに抜擢された国仲涼子。
共演者やスタッフは良き相談相手でありもう一つの家族だった。

「で看護師さんを目指す古波蔵恵里という役だったんですけど、とにかく明るく元気で活発で沖縄の太陽みたいな女の子を演じてほしいというふうに言われていました。脚本家の岡田惠和さんとお話をすることがあって、涼子ちゃんは東京に出てきて何が大変だったかとか何にびっくりしたとかそういうことを台本に入れて行きたいって言ってくれて、電車がもう一番大変でした。人の多さとホームシックになりましたっていう話をしたら実際に作品に入れてくれました」

思い出の作品「ちゅらさん」。
数ある中で、忘れられないシーンがあるという。

「どうしても東京行きたい。家出する形で東京に行くんですけども実はそれはお父さんお母さんも知っていて、手荷物を開けるとサーターアンダギーが入ってたり、お父さんの声を録音したカセットテープが入っていてそれを聞いて泣くシーンで、なかなか泣けなかったんです。どうしても監督が涙を流して欲しいってお願いされたんですけど何回も何十回やってももう涙が出てこなくて、すごく時間かけてしまいました」

10か月の撮影で共演者とは家族のような関係となり、
プライベートでもやりとりする仲になったという。

この作品の出会いが女優・国仲涼子の分岐点となった。
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変化を求めて東京へ

2022/06/18
女優・国仲涼子。
出身は沖縄県。

「幼い頃はショートカットで色が真っ黒で男の子に間違われましたね。中学の時は陸上部でした。体動かすのが好きだったんです」

大自然で成長した国仲涼子、
高校生の時にはアルバイトに時間を割いたという。

「アルバイトをしたいってずっと思っていたので高校時代は部活はやらずバイトしていました。甘味処なんですけど、そこで働いていたら、アルバイト中にスカウトされたんです。お断りしたんですけど、後日、今の事務所の方からご連絡をいただいて、まず東京に来てみないかと言われました」

国仲涼子は
故郷の沖縄を離れ東京へと旅立った。
その理由とは、、、

「高校卒業して何になりたいかっていう明確なものが全くなかったんですね。絶対これになりたいとかこういうお仕事したいとかっていうのがずっとぼんやりしたままだったので、みんな就職がどんどん決まっていく中で何か私も変えなきゃっていうのがきっとどこかにあって…」

しかし、東京での生活は順風満帆ではなかった。
ひたすらオーディションを受け続ける日々。

「みんなライバルじゃないですか?その熱がちょっと怖かった負けないぞっていうこの気持ちが怖いって思ったりしていました。ほぼ毎日電話して沖縄に帰りたい、帰りたいってずっと言ってました」

東京で頑張る娘を両親はそっと見守り、
祖母はエールを贈り続けてきた。

「可愛かったよって。すごく楽しみにしてくれて褒めてくれました」

そして、国仲涼子は運命の作品に出合うことになる。
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