NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest夏川りみさん

夏川りみさん

沖縄・石垣島生まれの女性シンガー。 1989年、演歌歌手・星美里としてデビューするも、ヒットに恵まれず一時帰郷。 99年、“夏川りみ”と芸名を改め、再デビュー。 2001年にBEGINの「涙そうそう」をカヴァーし、ロング・ヒットを記録。最新作となるカヴァーアルバム「あかり」は、「家族」を軸にした作品で、親から子、子から親、これから家族になる君へ、そして家族との別れなど、それぞれの人生にスポットを当て、夏川りみが歌で表現している。

音楽がめぐり合わせてくれた縁

2021/05/22
夏川りみの結婚相手はパーカッション奏者の玉木正昭。

「何よりも母が一番喜んでくれました。私はの5人姉妹の3番目なんですけども。みんな結構も19、20とかに結婚してしまったんですね。兄弟がね。私だけがずっと一人だったので、多分、諦めたんだと思うんですけども。でも、そんな中の実はツアーで一緒に回ってたメンバーで、2年ぐらいの全国ツアーあちこち行くじゃないですか?とすると、本当にその人がいるだけで周りが明るくなるっていうか、ムードメーカー的な存在で、こういう人がなんか旦那さんだったら買っても楽しいだろうなーって思っていたら、まさかのその人と一緒になるっていう」

パートナーとめぐり合わせてくれた音楽。
その音楽は2人の子どもにも受け継がれている。

「10歳ですね。小学5年生です。やっぱり旦那さんがドラム、パーカッションやってるから打楽器すごい興味あるみた。3歳ぐらいからね、もうスティックを握ってドラム叩いたりとかしてたんですけども。今もギター好きだったり、もちろんドラムもやるんですけど。歌も大好きでもうなんか朝から晩までずっと歌ってるんですよ」

音楽と共に過ごすご家族との日々。
その日常が1つの形になった。

「カバーアルバムの≪あかり≫というあのアルバムの中にですね。一曲なんですけども、≪うたのうた≫って曲なんですが、でパーカッション私の旦那さんがやってて。ドラムをその息子が担当しているんですね。何よりも楽しみながらドラムを叩いてる息子の姿を見て、感動しました」

夏川りみ、これからのビジョンとは?

「島唄だけのアルバム作りに意欲があります。島で育ったのに、島唄のレパートリーが全然少なくて。これではいかんと。やっぱり、言葉もそうなんですけど方言とかね。あとほんと昔から愛されてる曲なんかも、歌っていかないと無くなってしまうじゃないですか?それは、やっぱり寂しいので、夏川りみバージョンで残してって言うか、次の世代に繋げられたらいいなっていう風に最近は思うことは凄く多くなりましたね」
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涙そうそう

2021/05/15
涙そうそう

星美里としての活動から引退。
石垣島に帰った。
すると1999年に運命を変える人物から連絡があった。

「最初に私をスカウトしてくれた方なんですけども、その後、その人は自分で事務所を立ち上げて事務所の社長さんになってたんですね。。社長になった立場で私に連絡をくれて、オーディションみたいな形だけどやってみない?ということで挑んだんですけど、1ヶ月後もう来ないねって言ったら連絡が来て。決まった。っていうことで再デビューになったんです」

誰もが知る名曲「涙そうそう」との出会いは2000年のこと

「沖縄サミットの年に私が家に居て、なんとなくテレビをつけたらそこに同じ石垣島出身のBIGINの兄に達が映っていて。一緒にテレビを見ながら口ずさんでいたら、一曲だけ知らない曲があって、それが涙そうそうだったんですけど。初めて聞いたんですけど、サビが頭から離れなくて、ずっと私の頭の中でずっとずっと鳴ってるんですね。寝ても覚めても涙そうそうのサビが頭から離れなくて、お願いをしてカバーさせて貰うようになったんです」

「涙そうそう」が歌いたい。
レコーディングが進み、この曲を歌う意味を知る。
     
「あのなんか自分の中でさ涙そうそうのイメージが晴れ渡るっていうのサビのところがなんか沖縄のどこまでも広がる青空だったり、海だったり、とかそういうイメージだったので。レコーディング当日もそういう感じで歌っていたら、BIGINが”りみ、お前この曲どんなにしてできたか、わかるか?”」

沖縄の方言で、涙ぽろぽろ、
涙が止め処なく溢れるって意味。

「森山良子さんがメロディーを聞いて、亡くなった兄への想いがふ~と出てきたという話を聞いて、あそうやって作られた曲だったんだって。だったら、私が歌ってはいけない曲だったなって思ったんですけども、どうしても私がこの曲歌いたいなと思って。で、レコーディングちょっと中断して、歌詞を読み込んで、自分の体に入れ込んで。その後に歌わせてもらったら BEGIN のメンバーが”りみ、今の歌い方だったらみんなに届くよ”って言ってくれて。良子さんも”いっぱい、いっぱい歌ってね”って言ってくれたんですね。一人でも多くの方に届けないといけないなっていうの気持ちになりました」

再デビューした夏川りみ。
この歌で2002年紅白歌合戦にも出場したのであった。
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心を動かす歌声

2021/05/08
沖縄県石垣島出身の夏川りみ。
その幼少期とは?

「小さい時から歌が大好きで、毎日口ずさんだりしていたそうですね。近所とかも頼まれてもいないのに、ドアとか叩いておじい、おばあ声かけて歌を聞いてもらっていた思いがありますね。一個下の妹とピンクレディーの歌を縄跳びをマイク代わりにしながら、振り付けをしながらやってたそうです」

音楽に夢中になったのは
父親の影響もある。

「父は三線を弾きながらきっと島唄の民謡歌手多分なりたかったんだと思うんですけども、私がずっと一日中歌ってるので、この子に歌を教えたらどうにかなるかもしれないと思ったらしくて、自分の好きな歌三線を止めて、教える側になったんですけども、その教えてくれた曲が民謡でもなくて、まさかの演歌歌謡曲だったんです」

父親の指導のもと技術を磨いて大会にも出場。

「いわゆるのど自慢荒らしが始まりまして、小学校2年生の時から石垣島でケーブルテレビ主催のちびっこのど自慢大会ってあったんですけども、それに出て中学1年生までずっと大会を目指して、レッスンしてましたね。最終的には沖縄県代表に選ばれて、全国大会に出るっていう感じまで行きましたね」

小さなころから歌で人の心を魅了してきた夏川りみ。
その歌唱力はプロの目にもとまる。

「実はその中学1年生にスカウトされて、あのすぐ中学2年生で上京するはずだったんですが、すぐ行ってしまうの寂しいってことで一年間島にいて中学三年で上京したんですけど、で高校生になったらデビューしようということで、平成元年の12月だったですけども星の美しい里と書いて星美里っていう名前で実はデビューしていました」

夢の東京で星美里としての生活とは?

「デビューしたら成功できるって勝手に思ってたんですけども。なかなかうまくいかないもので、星美里という名前では3枚シングル出させてもらったんですけども、成果も出せなくて、俺はちょっと問題だなって思い。ちょっともう一度考えてみたいなと思って、もう帰りますって一旦事務所を辞めさせてくださいって」

夏川りみ、1回目のプロデビューはほろ苦いものだった。
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