NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest比嘉愛未さん

比嘉愛未さん

高校時代、沖縄でモデルとしてデビュー。高校卒業後、2005年に上京。06年、NHK連続テレビ小説「どんど晴れ」でヒロインの夏美役に選ばれる。09年のNHK大河ドラマ「天地人」、11年のフジテレビ系「マルモのおきて」など、映画、ドラマ、CM、舞台と出演作多数。

自分の心に素直に

2021/05/01
比嘉愛未が駆け抜けた20代とは?

「朝ドラのどんど晴れっていう作品からたくさんの縁が繋がって、コードブルーっていう作品も10年続きましたし、たくさんの人にそうですね。役作りとしては、しっかりと芝居を作るっていう意味では、経験できたことがたくさんありました」

俳優業は人間修行だともいう。

「自分自身が本当にたくさんの経験をしていないと薄っぺらいものになると思うので、それこそ役を通してその人の人生を疑似体験できるので、その期間は本当にその人になっちゃうんですよね。その時の感動だったり、悲しみとかなんかいろんなことを五感を感じながら、たくさん経験できたのできっとそれって自分の身にもなっていると思うので、だから人間修行させてもらってるなんて思います」

では、30代の今、演じてみたい役どころは?  

「たくさんありますね。でも必要とされれば何にでも挑戦したい気持ちはあるんですけど、35歳って女性のある意味、ターニングポイントになる人多いと思うんですよね。仕事もだし、結婚もだし、子育てとか。自分の生活もあるし。だから、その等身大の役を演じたいなって思ってて。なので、恋愛ってそれこそその自分がすごく出やすいというか、難しいんですけど。なので、今まであまりなかったので、そういうストレートな恋愛ものとかやってみたい」

リスナーへのメッセージは。

唐橋さん:皆さんに伺ってるんですけど、リスナーの方々にメッセージお願いします。

「とにかく本当に自分の心に素直に、まっすぐに自分を見つめて生きていってほしいなっていう。私だけじゃなくて、たくさんの人達にそういう風に生きてもらったら、人生がより彩るんじゃないかなと思ってます」
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満足したらそれで終わり

2021/04/24
たった三行のセリフが上手に出来なかったくやしさ。
その思いが本格的に女優の道を目指すきっかけとなった。
沖縄から東京へ。
そして、運命を変えた朝ドラヒロインのオーディション。

「どんど晴れです。あの時は上京するだけでいっぱいいっぱいで。何か決まったって聞いた時は、もちろん嬉しくて「なんで私なの?」っていう感じがちょっとありましたね」

洋菓子店で見習いパティシエとして働く、浅倉夏美という役。

「とにかく毎日がそのがむしゃら過ぎて、も落ち込む暇もないぐらいっていう感じでした。毎日、台本5冊抱えてずっと月から金まで、朝から晩まで撮って、撮って、撮ってという感覚だったので。その時の記憶が辛いというよりも、とにかく必死に走ってるっていう感覚ですね。」

朝ドラ「どんど晴れ」の現場は
比嘉愛未にとって大切なことを学んだ場でもあった。

「撮影半年、一年ぐらいある中で中盤ぐらい差し掛かった時に、そのパティシエの役から若女将。あの旅館の女将さんになる話だったんですけど、なんか向上心芽生え始めたんですよね。そのもっともっとこうこうしたいっていう、もっと上手くなりたいっていうことがやっと芽生えきた時に、落ち込んだ時もあって。毎日ずっと夏美を演じているのに、なんでこううまくできないんだろうとか、そういう落ち込んだ時に本当に未だに忘れられないのが、共演させて頂いた草笛光子さんがあの大女将の役で私のおばあちゃん出られたんですけど、草笛さんに聞いたんです」


「どうやったらお芝居ってうまくなるんですか?」


「草笛さんが笑って”私なんて50年ずっと演じてるけども、1回も満足したことないわよ。満足したら、あなた終わりなのよ。私は未だになにくそーっていう精神でやっているわよ”って」


ずっと探求心を持ってやらないといけない
それを学んだ比嘉愛未であった。

「次があるってこの、前へ進むっていうのは自分でしか進めないので。あの時に沖縄から出た覚悟を思い出して、なんか日々そういう風に過ごして思いましたね、すごく」
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課題をクリアした先に生まれた夢

2021/04/17
中学時代にトリマーを見ていた少女は
高校受験を控えていた時に、
将来に繋がる運命的な出会いがあった。

「高校受験のために入った進学塾で、そこで働いてた先生がモデル事務所の方と知り合いで、モデルに興味ない?って言われて、最初はモデルとはなんぞや?社会勉強的にやってみようかなと思って、親を説得して試しにやってみようっていう感覚で始まったんですよね」

初めてその自分の親以外の大人と仕事をする。
仕事という責任感を初めて経験した。
トリマーという夢は次第にモデル活動に傾いて行った。

地元沖縄でモデルを仕事を通じて人と出会い、
様々な課題をクリアすることに達成感を覚えた。
次なるステップは「演技」の世界だった。

初出演映画「ニライカナイからの手紙」

「蒼井優さん主演で、竹富島っていうところでずっと撮っていたんですけど、忘れられないのは、蒼井優さんと私で二人のシーンがあって、進路につい私が語らなきゃいけない場面で、でも語るって言っても3行ぐらいなんですね。それが全然言えなくて、なんとかでも無事撮り終えたんですけど、その日もう自分に対する悔しさと人生で初めてここまでの挫折ってものを感じたんでしょうね。その日1日寝れなくて夜。もうなんとも言えない感情がありましたその時は。

その悔しさがある決断に導いた。

「実家の方に帰ったときにちょうどそれが高校3年生の夏だったんですね。進路も考えていたんですけど、その迷いもせずに親の前に行って、土下座して、私、東京でお芝居してみたいから、上京させてくださいって言っちゃったんですよ。絶対一回しかない人生だから本当にダメだったら諦めるから、チャレンジさせて欲しいって迷いなく言ってましたね」

比嘉愛未は決断した。
沖縄から東京へ。
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五感でチャージ

2021/04/10
女優・比嘉愛未。
出身は沖縄県うるま市。

「私の地元は何かゆったりとした時間が流れてるよなねそういうところですね。外で色々遊んでまさに本当に少女時代って言えないぐらい少年時代でしたね。学校が本当に海から歩いて3分ぐらいの所にあったので小学校とかはそれこそそのままランドセル背負って海の方に行って放課後とか服のまま海に入って一式で泳いでいました」

沖縄での日々で
比嘉愛未は多くの夢を持ったという。

「魔女の宅急便を見て私はパン屋になりたいとか、ドラマを見て看護師さんになりたいとか学校の先生になりたいとか。その役者とか女優さんになんて本当になれると思ってなくて自分が一番驚いてますけどね」

そして、比嘉愛未の名前には親の願いが込められている。

「比嘉愛未というのは本名なんですよ。名前の由来はその愛を未来永劫まで伝えるって愛し愛されるような子に育ってほしいっていう意味があるんだよって言われた時にはすごく嬉しかったですね。沖縄と東京で離れてはいるんですけど、甘やかすだけじゃなくて厳しく叱ってくれたりもしましたし、いまだにそのよく私の作品を見てくれて感想を送ってくれたりとか電話くれたりとか一番の応援団なんでしょうね」

生まれ育ち
愛する家族がいる沖縄。
そこは無論、特別な場所だ。

「年に5回ぐらい帰ってたんですよそれぐらいその仕事の一つ作品が終わったら沖縄に帰ってリフレッシュしてまたパワーチャージをして帰るっていうことが自分にとってのルーティンになっていました。最近はやはり帰れないですけどでも半年前にお仕事であの沖縄に帰ることは出来て両親にも会えてそれとやっぱりほっとしますね。空とか海とかその植物のその色も出し空気や匂いとかそのすべてが違うていうのを感じるんですよすごくこう色の力とか本当にエネルギーに溢れてるからそれをもう本当にただただ見てその自分の五感をフル活動してキャッチするだけでそれが究極の楽しみ方だなって思うんですよね」
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