心の底から音楽が好き
2021/04/03
夢中になった音楽活動。
結婚・出産を機に少しずつ音楽から離れていった。
再び音楽に向き合うことになったのは、
ミュージシャンならではの感性だった。
「ある時、私の中にドレミファソラシドが薄くなってきたな、なんかなくなってきちゃったなって感じた時があったんですね。これはちょっとまずいって何か思ったんですね。それでちょっとリハビリしようかなみたいなことを思ったのは子供たちが小学校とか上がった時ですね」
ミュージシャンの1日が日に日に増えて行き、
2011年復活遂げる。
「それまでプリプリって自分のために音楽やってきたけど、今は違うなって2011年の時は思って、最初だからライブ行ってその義援金を寄付しようって話で始まったんですけど、だんだん話がなんか発展してきて CD ベスト盤みたいなの出すかとか、ライブだから最初武道館がいいんじゃないなんて、一年間だけの活動のつもりだったんだけど、結局2012年紅白まで。紅白も初出場だったんですよ」
復活から紅白まで駆け抜けた2011年から2012年。
岸谷にとって特別なものだった。
そして、この時の活動で改めて気づいたことがある
「心のそこから音楽が好き」
「ある時ふと2012年すごく笑ってたな私って思ったんですよ。子供達と生活しててもちろん楽しいし、可笑しいし、笑うこといっぱいあるんだけど、音楽があったからだと思ったんですよね。私やっぱり音楽好きなんだなーって、なんかこものすごい客観的に思い知らされて。触れて、音楽が好きだってことに気が付かせてくれたってのはすごく私の中の宝物だったなと思いました」
結婚・出産を機に少しずつ音楽から離れていった。
再び音楽に向き合うことになったのは、
ミュージシャンならではの感性だった。
「ある時、私の中にドレミファソラシドが薄くなってきたな、なんかなくなってきちゃったなって感じた時があったんですね。これはちょっとまずいって何か思ったんですね。それでちょっとリハビリしようかなみたいなことを思ったのは子供たちが小学校とか上がった時ですね」
ミュージシャンの1日が日に日に増えて行き、
2011年復活遂げる。
「それまでプリプリって自分のために音楽やってきたけど、今は違うなって2011年の時は思って、最初だからライブ行ってその義援金を寄付しようって話で始まったんですけど、だんだん話がなんか発展してきて CD ベスト盤みたいなの出すかとか、ライブだから最初武道館がいいんじゃないなんて、一年間だけの活動のつもりだったんだけど、結局2012年紅白まで。紅白も初出場だったんですよ」
復活から紅白まで駆け抜けた2011年から2012年。
岸谷にとって特別なものだった。
そして、この時の活動で改めて気づいたことがある
「心のそこから音楽が好き」
「ある時ふと2012年すごく笑ってたな私って思ったんですよ。子供達と生活しててもちろん楽しいし、可笑しいし、笑うこといっぱいあるんだけど、音楽があったからだと思ったんですよね。私やっぱり音楽好きなんだなーって、なんかこものすごい客観的に思い知らされて。触れて、音楽が好きだってことに気が付かせてくれたってのはすごく私の中の宝物だったなと思いました」