叱ってもらえることのありがたさ
2021/02/13
是枝裕和監督に見いだされ
映画の世界に飛び込んだ西川美和。
彼女は若くしてその時を迎える。
2002年「蛇イチゴ」で監督デビュー。
「是枝監督が、若い頃にしか撮れないモノもある。とにかく、企画持ってこい、企画持ってこいおっしゃってたんですよね。うるさく言われるからしょうがないかと思って、小説をあさって原作を探したこともあったし、いろいろこう頭をひねってた20代の前半でしたね」
そんな西川美和をバックアップしてくれた人物がもう1人いる。
「エンジンフィルムというコマーシャルの会社の安田匡裕さんという、その安田さんがそもそも是枝さんの映画もずっとプロデュースされてたんですよね。ちょくちょく後ご飯を一緒に食べさせていただいたりする中でお前、早くとんなきゃだめだよって言ってくれててで私が持って行った蛇イチゴのシナリオ見て、デビューさせてくださりました」
2人の恩人に期待されて、脚本を書き、撮影をする。
それでは終わりでなかった。
「最初の試写を終えた後で、安田さんがおっしゃったのが次何書いたんだよって言うんですよね、いきなり。30代半ばまでに3本撮影して、その都度、いんじゃないので次は?って言われてたんです」
常日頃から発破をかけてくれた
恩人・安田は病でこの世を去った。
失ってから気づくことがあるという。
「だんだんキャリア付けてくると誰もしかってくれないし、でも絶対みんな持ってると思います。だけど、言ってくれないから、成長が止まっちゃいますね。怖い、怖い。ほんとだから叱ってくれる人はすごい大事にしたほうがいいと思います」
日本を代表する映画監督になったからこそ、
成長が止まることを恐怖に感じているという。
叱ってくれる人がいることのありがたさ。
アナタにもおわかりいただけるはずだ。
映画の世界に飛び込んだ西川美和。
彼女は若くしてその時を迎える。
2002年「蛇イチゴ」で監督デビュー。
「是枝監督が、若い頃にしか撮れないモノもある。とにかく、企画持ってこい、企画持ってこいおっしゃってたんですよね。うるさく言われるからしょうがないかと思って、小説をあさって原作を探したこともあったし、いろいろこう頭をひねってた20代の前半でしたね」
そんな西川美和をバックアップしてくれた人物がもう1人いる。
「エンジンフィルムというコマーシャルの会社の安田匡裕さんという、その安田さんがそもそも是枝さんの映画もずっとプロデュースされてたんですよね。ちょくちょく後ご飯を一緒に食べさせていただいたりする中でお前、早くとんなきゃだめだよって言ってくれててで私が持って行った蛇イチゴのシナリオ見て、デビューさせてくださりました」
2人の恩人に期待されて、脚本を書き、撮影をする。
それでは終わりでなかった。
「最初の試写を終えた後で、安田さんがおっしゃったのが次何書いたんだよって言うんですよね、いきなり。30代半ばまでに3本撮影して、その都度、いんじゃないので次は?って言われてたんです」
常日頃から発破をかけてくれた
恩人・安田は病でこの世を去った。
失ってから気づくことがあるという。
「だんだんキャリア付けてくると誰もしかってくれないし、でも絶対みんな持ってると思います。だけど、言ってくれないから、成長が止まっちゃいますね。怖い、怖い。ほんとだから叱ってくれる人はすごい大事にしたほうがいいと思います」
日本を代表する映画監督になったからこそ、
成長が止まることを恐怖に感じているという。
叱ってくれる人がいることのありがたさ。
アナタにもおわかりいただけるはずだ。