”好き”が自分を動かす
2020/10/17
憧れの東京で最高の仲間と出会いバンド活動をスタート。
しかし、またしても理想と現実のギャップが待っていた。
「大橋純子と美乃家セントラルステーション。私は世の中の人に知ってもらいたいと思いましたけど、なかなかそうはいかず。企画モノでソロシンガーとしての私に、ドラマの主題歌と言うねオファーが来たんですね。後に大ヒットになる【たそがれマイ・ラブ】なんですけども。実はこれ歌いたくなくて今じゃないだろうって私は思ったんですね。私の中では歌謡曲色が強い曲に思えたんです。だからできれば今じゃない。今は大橋純子と美乃家セントラルステーションなんだというものがあったんです」
ドレスを着てたそがれマイ・ラブで歌番組に出る。
コンサートツアーではパンツルックで
大橋純子と美乃家セントラルステーションとしてステージを駆け回る。
二束の草鞋の結果は観客席に現れた。
「コンサートのお客さんの層が少しずつ変わってくるんです。これまでは、ギター少年とか音楽好きな若者とか比較的高ヤング層が多かった。男の子も結構多かった。それが徐々になんですけど、コンサートに子連れの奥様とか、女の人が増えてきたな、それも歳の頃はヤングミセスぐらいの30代とか40代とか、子供連れてる人もいるぞみたいなだんだん客層変わってきたの」
ライブでは、たそがれマイ・ラブを歌わず、
今度は会場に足を運んだ客とのギャップを感じ始める。
「この違和感にだんだに切なくなってきちゃって、仕事は続くしずっとツアーやりながらレコーディングしてと何年間かそういう生活してきたんですけれどもね。耐えられなくなってきてある時一回休業しよう。で、自分で決めるんです」
大橋純子が休養の場に選んだのはニューヨーク。
エネルギーで満ち溢れる街で充電すること2年弱。
日本への帰国のきっかけをつくってくれたのも音楽だった。
「コンサートいっぱい見ていた中で、スティング。ソロになってワールドツアーに出た、そのワールドツアーがニューヨークのラジオシティというホールでありまして、見て、ものすごい素敵なコンサートだったの。最後の方になるとね会場中がスティングの歌って簡単じゃないんですよ。あの歌を客さんがね、合唱してるんです。その中にいて私はすごい感動して、もこれは絶対私はあそこに立ちたい。私は歌手として立ちたい。立つべきは私。とかと思ったねこれほど強くね、歌手になりたい戻りたいと思ったときが無くて、これで私は帰ろうと思ったんです」
歌手デビュー46年。続けられて来た秘訣とは?
「歌うのが好きなのかな?実はここ2年ほどご音楽活動を休業してまして、復帰したとき、歌えてよかった。それと歌うことがこんなに楽しい、愛おしい。ずっと歌っていたいって思ったんです。この気持ちだったんだなーって思います。続けてこれたのは」
しかし、またしても理想と現実のギャップが待っていた。
「大橋純子と美乃家セントラルステーション。私は世の中の人に知ってもらいたいと思いましたけど、なかなかそうはいかず。企画モノでソロシンガーとしての私に、ドラマの主題歌と言うねオファーが来たんですね。後に大ヒットになる【たそがれマイ・ラブ】なんですけども。実はこれ歌いたくなくて今じゃないだろうって私は思ったんですね。私の中では歌謡曲色が強い曲に思えたんです。だからできれば今じゃない。今は大橋純子と美乃家セントラルステーションなんだというものがあったんです」
ドレスを着てたそがれマイ・ラブで歌番組に出る。
コンサートツアーではパンツルックで
大橋純子と美乃家セントラルステーションとしてステージを駆け回る。
二束の草鞋の結果は観客席に現れた。
「コンサートのお客さんの層が少しずつ変わってくるんです。これまでは、ギター少年とか音楽好きな若者とか比較的高ヤング層が多かった。男の子も結構多かった。それが徐々になんですけど、コンサートに子連れの奥様とか、女の人が増えてきたな、それも歳の頃はヤングミセスぐらいの30代とか40代とか、子供連れてる人もいるぞみたいなだんだん客層変わってきたの」
ライブでは、たそがれマイ・ラブを歌わず、
今度は会場に足を運んだ客とのギャップを感じ始める。
「この違和感にだんだに切なくなってきちゃって、仕事は続くしずっとツアーやりながらレコーディングしてと何年間かそういう生活してきたんですけれどもね。耐えられなくなってきてある時一回休業しよう。で、自分で決めるんです」
大橋純子が休養の場に選んだのはニューヨーク。
エネルギーで満ち溢れる街で充電すること2年弱。
日本への帰国のきっかけをつくってくれたのも音楽だった。
「コンサートいっぱい見ていた中で、スティング。ソロになってワールドツアーに出た、そのワールドツアーがニューヨークのラジオシティというホールでありまして、見て、ものすごい素敵なコンサートだったの。最後の方になるとね会場中がスティングの歌って簡単じゃないんですよ。あの歌を客さんがね、合唱してるんです。その中にいて私はすごい感動して、もこれは絶対私はあそこに立ちたい。私は歌手として立ちたい。立つべきは私。とかと思ったねこれほど強くね、歌手になりたい戻りたいと思ったときが無くて、これで私は帰ろうと思ったんです」
歌手デビュー46年。続けられて来た秘訣とは?
「歌うのが好きなのかな?実はここ2年ほどご音楽活動を休業してまして、復帰したとき、歌えてよかった。それと歌うことがこんなに楽しい、愛おしい。ずっと歌っていたいって思ったんです。この気持ちだったんだなーって思います。続けてこれたのは」