NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest野宮真貴さん

野宮真貴さん

【2018年9月ご出演】

「ピチカート・ファイヴ」3代目ヴォーカリストとして90年代に活躍。
その90年代に一世を風靡した「渋谷系」ムーブメントを代表する
音楽・ファッションアイコン的存在となる。ピチカート・ファイヴ解散後は
ソロとして活動。2010年に「AMPP認定メディカル・フィトテラピスト(植物療法士)」
の資格を取得するなど、音楽活動に加え、ファッションやヘルス&ビューティーの分野でも
ロールモデルとして活躍。その他、モデル、ナレーター、エッセイストなど
多方面でも才能を発揮している。今年10月31日には、最新作「野宮真貴、渋谷系を歌う」
初のベスト盤のリリースが決定。

野宮真貴 永遠の渋谷系

2018/10/27
10月のマンスリーゲスト 野宮真貴さんのお話、今週が4回目です。

野宮真紀さんが今伝えたいメッセージは、渋谷系はいっときの流行ではなくて、
音楽の歴史に輝くとっても素晴らしい音楽のひとつということです。
ピチカートファイブが解散が決まった時は忙しくて、その音楽の価値を
あまり考えないようにしていた。しかし、30周年の時に出したセルフカバーアルバムで、
改めて渋谷系の良さを認識、その思いから、「渋谷系スタンダート化計画」を
自らの音楽活動で実行されています。ライブやCDリリースを続けて発信する、
「渋谷系スタンダート化計画」のメッセージ。いい音楽を届けるのは自身の使命として
活動していきたいとのことです。

これが歌手としての野宮さんの思い。そして、女性として大切にしたい思いは、
好きなことを突き詰めてみるということ、そすることで自分がとブレたり
迷わない。大変なことも好きなら乗り越えられるはず。たとえば、仕事やファッションなど、
自分を信じて自分の好きなモノを着てしまえば、それはきっと自分のものに
なってくれるはず。そんな思いで新しいファッションにも挑戦、若さを保つ秘訣と
教えていただきました。

今回、印象に残った野宮さんの言葉が、「音楽はタイムマシン。
若い頃聴いていた音楽を聴くと気持ちや細胞が若返る」ということ。
野宮真貴さんの最新作は、「野宮真貴、渋谷系を歌う」はそんな素晴らしい
音楽です。いよいよ10月31日発売です!
90年代が懐かしい人も、新たな音楽との出会いを楽しみたいという人も、
ぜひ聴いていただきたい1枚です。またこのアルバムをリリースを記念した
ライブも行われます。東京は、【ビルボードライブ東京】でのステージ。                     11/22(木) 11/23(金祝)の2days
詳しくは、野宮真貴さんのオフィシャルサイトでご確認ください。
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野宮真貴 渋谷への思い

2018/10/20
今週も10月のマンスリーゲスト、歌手の野宮真貴さんをお迎えしてお届けしました。

1990年代渋谷系バンドとして人気を博したピチカートファイヴ。その3代目ボーカリストとして
、そして渋谷系のファッションリーダーとして活躍した野宮真貴さん。
その功績が求められて渋谷を盛り上げる様々なイベントや音楽提供でも
引っ張りだこです・その一つが渋谷区の音楽制作だったり、渋谷の盆踊りソングの
歌だったり、渋谷への感謝の気持ちを様々な形で伝えています。
今、渋谷の駅周辺は再開発真っ盛り、かつてあったものが消え去ったり新たな街の
シンボルが現れたりしていますが、かつて90年代渋谷の街で過ごした当時の若者たちが
大人になって、帰ってきて楽しめる街であることを野宮さんも願っています。

音楽、ファッション共に渋谷系に憧れる当時の若者のまさにロールモデルだった
野宮真貴さん。渋谷の街がいろいろ時代とともに変わっても、その若々しさは
まったく変わってはいません。おしゃれでセンス良く、まさにファッション雑誌から
抜け出てきたような出で立ち。そんな野宮さんの大切にしているおしゃれの心構えを
一つ教えていただきました。それは、姿勢良くいることだそうです。
お部屋で一人でいるときはちょっとリラックスモードでいても、一歩外に
踏み出したらオンの時間。背筋を伸ばして、見られていること意識して立ち振る舞いに
気をつける。そんな姿勢の良さが自分の気持ちの張りにもなって、
表情も生き生きしてくるそうです。自分さえ気を付けていればいつでも出来る、
野宮真貴さんの綺麗の秘密。早速、私も実践して見たいと思います。
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野宮真貴 ピチカートファイヴの伝説

2018/10/13
今週も10月のマンスリーゲスト野宮真貴さんをお迎えしてお届けしました。

今回のテーマは野宮真貴さんの1990年代。野宮真貴さんが3代目のボーカルを
務めたピチカートファイヴはまさに1990年代の渋谷系を代表するグループです。
それは単なる音楽ということだけではなく、当時の渋谷を発信元とするファッションや
文化にも大きな影響を与えました。特に野宮真貴さんは「東洋のバービードール」と
呼ばれ、世界的なファッションリーダーとしても注目を集めていました。
まさに今でいう「クールジャパン」そのものだったピチカートファイヴですが、
音楽的には日本語の歌詞の世界を大事にした側面も持っていました。
日本語の持つ微妙なニュアンスで変わってくる言葉の世界、そのニュアンスに
こだわって曲が作られているため、実は聞いている以上に、歌いこなすのは
大変だったそうです。しかし、最新音楽が世界から集まるニューヨークのミューミュージック
セミナーでは大きな支持を受けて、世界的なツアーも敢行され、まさに
ピチカートヴァイブは東京発の最もおしゃれなバンドとして、90年代に君臨したのです。

合わせて野宮真貴さんはその多忙な中、結婚、出産を体験。ワールドツアーなどの間は
日本に帰れない日々が続き、その間にお子さんが見違えるように成長していたという
体験も何度もあったそうです。そんな野宮さんが多忙な中で心の支えにしていた思いが、
いつか息子さんが成人したら、2人でお寿司屋さんに行って、お寿司を食べながら
日本酒を一緒に飲むということ。ピチカートヴァイブは浮世離れした都会の物語が
歌としてが人気を集めていましたが、野宮真貴さんはそんな歌世界を演じながら
母として、女性として、地に足をつけた生き方を大事にされていたのですね。
きっとそんな野宮さんだから、私たちに艶やかで素敵な90年代の夢を見せてくれたの
でしょう。
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野宮真紀 歌手になりたかった少女

2018/10/06
今週からは4週にわたり野宮真貴さんのお話をお届けします。

野宮真紀さんは「ピチカート・ファイヴ」3代目ヴォーカリストとして活躍。
90年代に一世を風靡した「渋谷系」ムーブメントを代表する
音楽・ファッションアイコン的存在となります。
ピチカート・ファイヴ解散後はソロとして活動。音楽活動に加え、ファッションや
ヘルス&ビューティーの分野でもロールモデルとして活躍。その他、モデル、ナレーター、
エッセイストなど多方面でも才能を発揮されています。そして、今年10月31日には、
最新作「野宮真貴、渋谷系を歌う」初のベスト盤のリリースが決定しています。
今週は、幼い頃に何よりも歌手なりたかったというその音楽のルーツについてうかがいました。

野宮真紀さんの音楽を目指したルーツは2つあります。まず一つは、
お父様が買ってきたステレオで聞いた当時の洋楽サウンド。
「カーペンターズ」、「ミッシェルポルナレフ」、そして「セルジオメンデス」。
実は、この中でもセルジオメンデスは、その後の渋谷系のルーツとも言えるアーティスト
となります。野宮さんは幼くして、そんな洋楽体験をして、音楽に目覚めていったのです。
もう一つは、昭和ポップス歌謡。テレビで見た当時の若者向けの音楽番組や
ポップな歌謡曲に目覚め、野宮さんは歌手に憧れ、やがてアマチュア音楽活動を通して歌手を目指します。
いくつもグループを組んではプロを目指し、プロデビューを目指しますが叶わず、
実はOLとして働いていた時期もあるそうです。でも夢を諦めきれずに音楽の道を目指し、
ついに1981年にソロデビュー。ソロシンガーとして様々なグループと共演しながら
歌を続け、1988年からピチカートファイブにコーラスとして参加。
1990年にはついにピチカート・ファイヴの3代目ボーカルになり、2001年の
解散までまさに渋谷系の歌姫として歌い続けました。

ちなみにアマチュア音楽家活動を続けていた当時、グラムロック全盛期。
野宮さんもロックに憧れますが、自身の声がロックに向いてないことを感じ、
プロシンガーの夢を一度は諦めます。その後、テクノブームが起こり、音楽も
テクノミュージックの影響を感じさせるものが多くなり、野宮さんも
自分に向いた音楽があることを感じ、デビューが実現することになったのです。
音楽を愛すること、諦めないこと。この2つが野宮さんの心を支えた大切な
宝物になったのです。
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