宮本亜門さんが壁を越えて演出家になるまでのストーリー(2015/05/16 放送)
今週は、演出家の宮本亜門さんをお迎えしました。
1958年に東京の銀座、新橋演舞場の前にある喫茶店の息子さんとして生まれたという宮本亜門さん。松竹歌劇団のレビューガールだったというお母様は、毎日のように舞台を観に連れて行ってくれたとか。「お袋がまた大変な興奮症でですね、イヤホンガイド以上の興奮で僕に語ってくれるので、もう子供から考えるヒマなく信じ込んで凄い!凄い!と思ってた、という家族なんですね」
そんな亜門さんは幼稚園の時に日本舞踊を習い始めたそう。「歌舞伎を観て、これは絶対やりたいと思って始めて。ま、暗かった僕なんで、友達がなかなか出来ない状態があった時に好きになってったのが、今度は裏千家のお茶だったり、仏像鑑賞だったり…もっと友達が出来なくなってきて(笑)引きこもりになり…」
そして、引きこもっていた高校時代に「演出家になりたい」と思ったという亜門さん。「レコードを聴いて、レコードからイメージできる世界が頭の中で炸裂してちょっとおかしくなりそうだったので、これを人に伝えたい!じゃないと頭がパンパンでおかしくなっちゃう!なんて思ったのが高校で、きっと映画監督かなぁ、それとも舞台の演出家かなぁ、どっちかなぁ、でも舞台をたくさん観てきたから舞台がいいなぁ…」という感じで演出家への夢が膨らんでいったそうです。
亜門さんは子供の頃の体験についてこんなことも話してくれました。「お芝居だったら1回観るだけじゃなくて、何回も観てると、何が違うかとか…喫茶店が演舞場の前なので、今は厳しくてダメなんですけど、前は幕間にちょっと行くと、子供だったから、坊やいらっしゃい!ちょっといいよ観て、ってジィッと観るようになっちゃったっていう…そこで違いがわかる男になったってことですよね(笑)」。また、亜門さんのお母様のところに演技の相談に来る役者さんもいたそうで、お母様のアドバイスで役者さんの演技が良くなるところなども子供ながらに見ていたんだとか。
高校時代には演劇部に所属していたという亜門さんは、1978年、20才の時にミュージカル『シーソー』でダンサーとしてデビュー。銀座にできた博品館劇場のこけら落とし公演だったそうで、大学生だった亜門さんは新聞の広告で見て応募したんだとか。
『シカゴ』のボブ・フォッシーや『コーラスライン』のマイケル・ベネットなど、ブロードウェイでは、ダンサーから振り付け師、そして演出家という道を歩む人が何人もいて、亜門さんもそのルートを歩もうと考えていたそう。しかし、日本では振り付け師と演出家の間には高い壁があったようです。
「だいぶはっきり言われましたもん。プロデューサーたちに。お前ダンサーだろ!みたいな。なんで演出家とか考えてんだ!とか、何考えてんだ!そんなこと日本ではないんだよ!とかだいぶ言われました。もう否定否定の否定大会で(笑)、20代前半は演出家になりたいって言ったらみんなから笑われるような気分でしたね」
「やっぱり演出家になれないっていうのがどんどんわかってきて…。だって、仕事頂けないんですよ、どうやっても。25、6才で完全に自暴自棄になって、1回、逃避行でロンドンに行って、もう1回演劇を観たり、勉強するんだけど、やっぱり劇団に入ってないし、僕はダメだって言われて…」
帰国した亜門さんは、電話で年上の女性の友人に「この国では俺なんか誰も認めないんだよぉ!」と愚痴ったんだとか。「そしたら、ずいぶん生意気なこと言うようになったねぇ!とか言い返されて。だったら1個ぐらい自分で作れるじゃん、誰がアンタが才能あるなんてわかんのよ!ってパーンって電話切られたんですよ。これが僕の奮起した理由で。それで、そうだ!まず全部自分でやればいいんだと。誰かに頼ろうとした自分が間違ってたと思って、150人入るちいちゃな劇場で、出演者・スタッフ全員に電話をし、自分でポスターを描いてやったのが、『アイ・ガッド・マーマン』っていう作品になったという…」
『アイ・ガッド・マーマン』の初演は、1987年、亜門さんが29才の時。女優エセル・マーマンの人生を彼女が歌った曲を交えて描いたオリジナル作で、亜門さんはこの作品に込めた想いについてこう語ってくれました。「エセル・マーマンっていうのは、凄い激しい人生を送った女性で。まぁきっと(亜門さんが21才の時に亡くなった)母へのオマージュの気持ちもあったんでしょうが、それでもショービジネスをやっていく、何があっても、血を吐いてもショービジネスをやっていく、っていうところがあったんですね」
そんな『アイ・ガッド・マーマン』、最初は「拍手もまばら」だったそうですが、3日目には少し立ち見も出て、だんだんと評判になっていったそうです。「小さい劇場だし、大成功ってわけじゃないんですが、偶然、僕も舞台に出てたんで、いろんな方が観に来てくれたんですよ。玉三郎さんも観に来たかな…いろんな方たちがたくさん来ていたこともあって、なんか噂が噂を呼んでって。で、再演をやった方がいいって。再演をやったところから、あるテレビが扱ってくれたこともあったり。そしたら、それからずうっと満杯で。何回再演したかな?っていうぐらい再演させてもらったんですね」
そして、大地真央さんが『アイ・ガッド・マーマン』を褒めてくれたこともあって、亜門さんはいきなり日生劇場で植木等さんと大地真央さんが出演する舞台『エニシング・ゴーズ』を演出することになったんだとか。亜門さんは「いや、ホントにあれは幸せな体験で、稽古の初日はドキドキしたけど、それ以上にあんまりやりたかった作品だし…」と、その時のことを興奮気味に語ってくれました。
来週も引き続き、宮本亜門さんをお迎えします。お楽しみに!
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6月に上演される市川海老蔵さんの公演『ABKAI 2015』と7月に上演されるモーツァルト作の『魔笛』。