鳥海連志さんが東京パラ銀メダルを振り返る!(2022/03/12 放送)
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今週は、車いすバスケットボール 男子日本代表、WOWOW所属の鳥海連志(ちょうかい・れんし)選手をお迎えしました。
中学1年で車いすバスケを始め、高校1年の時に初めて日本代表強化合宿に召集された鳥海さん。日本代表入りした頃のことをこう振り返ってくれました。
「緊張しかなかったですね」「やっていけるとは思いました」。
中学1年で車いすバスケを始め、高校1年の時に初めて日本代表強化合宿に召集された鳥海さん。日本代表入りした頃のことをこう振り返ってくれました。
「緊張しかなかったですね」「やっていけるとは思いました」。
そして2016年、17歳の時にはリオデジャネイロ・パラリンピックに出場。6位以内という目標を掲げていましたが、結果は9位に終わりました。
「まず、世界の壁が高すぎる、ということと、それまでに僕自身がパラリンピックに向けて練習していましたけど、あ、こんなもんじゃ足りないんだということをホントに痛感したというか。わかりやすく“挫折”みたいなことが、リオの感想として大きいですね」。
リオで挫折を経験した鳥海さんは、車いすバスケをやめることも考えたとか。
「当時、高校3年生で、そこから進路を決める中で、車いすバスケットボールとは関係のない人生というものもあるんじゃないかと考える時期もありました」
「時間はかかりましたね。3ヶ月ぐらいはまったくバスケットせずに友達と遊んで…」。
鳥海さんは、そんな状況からもう一度、東京2020パラリンピックに挑戦しようと思った理由をこう話してくれました。
「僕の両親と当時の担任の先生が、毎日のように、バスケットを続けたほうがいいよ、と声をかけてくれてですね。もう一度バスケットにのめり込もうという考えにさせてくれましたし、リオが終わって翌年にU(アンダー)23の世界選手権があってですね。わかりやすく目標に出来る大会があったというのも、僕の中で一つ、バスケットに戻れるきっかけになったのかなと思ってます」。
先月、ワニブックスから出版された鳥海さんの著書『異なれ - 東京パラリンピック車いすバスケ銀メダリストの限界を超える思考 -』。この本の「常識にとらわれない」という項目に詳しく書かれていますが、鳥海さんは東京パラリンピックに向けて「車いすの座面を20センチ上げる」というチャレンジを行いました。
「競技用の車いすはタイヤがハの字になっていたりとか、普通の車いすより軽量化を図ったりですとか、操作性を重視した形状になってますので、とても動きやすいんですよね。その中で、僕なんかは両足を切断しているので、重心が上にあるんですよね。車なんかで言うとわかりやすいんですけど、背丈が高い車って振られやすかったりとか。そういう感覚と一緒で、車いすの高さを1センチ上げるだけでターンの感覚もすごく狂ったりするんですよね。で、それを1センチごとに上げて、トータル20センチぐらい上げて、東京に出たということですね」。
普通のバスケットボールと同様に、車いすバスケットボールにおいても高さはかなりの優位性があるそうです。
「ゴール下、勝負時はやっぱり高さが物を言う競技ですので、20センチ上げるというのはそれだけプラスな面がある、っていうことですね」
「もともと僕自身は、日本代表に選ばれた要因として、チェアワークの速さと細かさ、ここで選んでいただいたと自負していて、コーチ陣からも、そこは絶対に落とすな、ということはずっと言われながらも高さを上げていったんですけど。是が非でも上げたいっていう中で、操作性を文句を言わせないっていうところをどう僕が取り組んでいくか?っていうのは、かなり煮詰めましたね」。
「リオの当時は僕、2.0点という持ち点でした。当時2.0点でスタメンを担っていたのが、豊島 英(あきら)さん。チェアワーク、連携ともにホントに優れてる選手で、今でも敵わないんですけど。やっぱりその選手を超えるためにも、本のタイトルでもあるように、異なっていくこと、どう異なっていくことがいいのか?っていうところで、僕は高さを上げて…」
「(そこ、相当悩んだんですか?という質問に対して)いや、悩まなかったですね。高さを上げた中でチェアワークは落とさない、っていうことにこだわりました」。
「世界的に見ても、チェアワークに関しては自信を持っていてですね。ま、高さを上げることでもちろん、チェアワーク、スキルは落ちていったんですけど、それでも世界レベルのチェアワークは維持するというところで、バランス型になったといいますか。なんでもできるような、オールラウンダーを目指していきました」。
「僕自身、このチームにどうやったら貢献できるか?このチームでどうやったらスタメンになれるか?みたいなところは常に考えてました」。
そんなチャレンジを経て臨んだ東京2020パラリンピックでは、この競技で日本初となる銀メダルを獲得し、鳥海さんは大会MVPにも選出。決勝のアメリカ戦は、60対64という僅差の試合になりました。
「(アメリカは)強かったですね。あの場面でしっかりと個々人が実力を発揮してくる、底力といいますか。ホントに勉強になりましたし、ホントにアメリカの強さを感じました」。
そして鳥海さんは、表彰台で銀メダルを受け取った時の心境をこう語ってくれました。
「リオから東京に向けて、いろんなことがありながらもチーム全員で戦ってきた過程の重さみたいなものを感じてですね。メダルが重いってホントに選手にとって大切なことなんだなっていうことを感じながらメダルを受け取りました」。
銅メダルは3位決定戦で勝ってもらえるから嬉しい、銀メダルは決勝で負けて終わるから悔しい、という人もいますが、東京2020パラリンピックでの鳥海さんには当てはまらなかったようです。
「正直に言うと、悔しさはほとんどなかったですね。大会直前にアメリカと試合をすることがあってですね、ホントにボロ負けしたんです。アメリカの強さというものを見せつけられて、東京に向かったんですけど。東京パラリンピックで予選からチームで1勝ずつ積み上げて、決勝に登って、直前でボコボコにされた相手と今までにないぐらい良い試合をできたんですよね。4点差で負けてしまいましたけど、僕たちにとっては誇らしい試合でしたし、自信を持って良い試合だったと言える決勝戦だったのかなと思ってます」。
「僕は悔しくなかったですね。嬉しかったです」。
「負けて悔しいじゃなくて誇れる試合っていうのは、僕もあの瞬間が初めてだった気がします」。
先月に23歳になった鳥海さん。今後の挑戦としては、今年9月に開催されるU23の世界選手権、そして2024年にはパリ・パラリンピックもあります。
「アンダー23世界選手権に関しては、東京(パラリンピック)に出ていた赤石、そして髙柗(たかまつ)、この2人も入ってますし、メダルを獲れるレベルにいると自分たちでも自覚をして大会に望みますので、東京で叶わなかった金メダルというものを獲得しにいく大会として僕は位置づけてます」。
最後に鳥海さんは、ご自身にとっての挑戦についてこう話してくれました。
「僕にとって挑戦は、楽しむこと、ですかね」
「僕は車いすバスケットボールが楽しくて、好きで始めましたけど、東京に向かう中で、楽しくない時期も過ごしました。苦しい時期がたくさんあったんですけど、いかに楽しむか。好きなことをやるって、楽しむことだけではなくて、苦しい時間も過ごすし、キツい時間もあるんですけど、やっぱり楽しんでる時がいちばん成長していて、いちばん自分が身になっていくことが多いなということを感じていた東京までの道のりだったので。ま、今後いろんなことがあるでしょうけど、挑戦しながら楽しんでいきたいなぁという意味も込めて、楽しむことが挑戦かなと思います」。
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