森末慎二さんがロサンゼルス五輪を振り返る(2016/08/13 放送)
先週に引き続き、今週もロサンゼルス五輪の金メダリスト、森末慎二さんをお迎えしました。
日体大時代に2年続けてアキレス腱を切ってしまった森末さん。「そっから大学を卒業した時に和歌山県に本店がある紀陽銀行さんが僕をとってくれたんです。でも、よくとってくれたと思いますよ。大学3年、4年の実績は何もないんだもん」。オリンピック選手がたくさんいた体操部に所属してオリンピックを目指します。
日体大時代に2年続けてアキレス腱を切ってしまった森末さん。「そっから大学を卒業した時に和歌山県に本店がある紀陽銀行さんが僕をとってくれたんです。でも、よくとってくれたと思いますよ。大学3年、4年の実績は何もないんだもん」。オリンピック選手がたくさんいた体操部に所属してオリンピックを目指します。
80年のモスクワ・オリンピックは日本を含む西側諸国がボイコット。当時は“体操ニッポン”と呼ばれた時代の凄い選手たちがまだ現役で、森末さんは日本で20番目ぐらいの選手だったそう。しかし、モスクワ・オリンピックがなくなったことによってレジェンドたちが引退。また、体操競技自体が変わってきたことも森末さんには追い風になったとか。
「トカチェフとかマルケロフと言って、足開いていいですよ、みたいな。派手な技をどんどんやっていいですよって。そしたらアジア大会、ユニバーシアード、世界選手権、メンバーになりますよね。初めてここで夢が目標に変わったんです」
「ま、でも結果的にオリンピック代表になるのが一番難しいのよ」と森末さん。「世界に行く切符もらったら後は向こうで暴れりゃいいんだけど、切符を取るのが大変。だから、予選を通過して予選が終わった時点で、左の頭の横に500円玉の円形脱毛症ですよ」。メンタルが強そうに見えますが、ご本人曰く、どちらかと言えば弱い方なんだとか。
「その典型が、83年の世界選手権の鉄棒で、規定演技9.9点、自由演技10点でトップに残ったんです。最後の演技で普通に演技をすれば金メダルなんです。でも、精神的に弱いんでしょうね。ビビったんですよね。3回宙返りで着地、足が前に一歩なら金だと思ったら、気が付いたら手をついちゃったんです。で、結果的に目の前で金メダルなくして帰ってきたんです。それは要するに精神的に弱かったんですね」
そんな経験をへて翌年のロサンゼルス五輪の代表に選ばれた森末さんは、世界選手権以上にプレッシャーのかかるオリンピックに備えて、五輪合宿中はずっと補助マットも補助もない、本番とまったく同じ形で練習していたそうです。
「だから、練習で手が震えるんです。間違うと怪我しますから。でも、それだけやってきたから、本番でプレッシャーかかった時に、だってこの練習してきたんだもん。そりゃできるでしょって。挑戦はしましたよね。(もし練習で怪我をしたら)もうオリンピック行けないですからね」
「だから、世界選手権で金メダル獲ってたら、オリンピックで金メダル穫れてなかったかもしれないですね。よく言うんですよ。プレッシャーに勝つものはなんですか、なんて。ない!そんなものは。プレッシャーに勝つものは何かって言ったら、どれだけ自分が納得する準備ができるか、しかないです」
そして「オリンピック自体は楽しめたんですか?」という質問には「全然。2度と行きたくないと思いましたよね。楽しかったけど」という答えが。「それ(着地した瞬間)は楽しかった!その前はもういい。だってあの時、熱は39度あり、追いつめられましたよね。寝れないしね。タイムマシンでどこに戻りたい?つったら、あの着地したとこでいいです。そっから先はいい(笑)」なんておっしゃっていました。
子供の頃からの目標だったオリンピックに出たことで「僕の一つの目標が完結したんです。(メダルは)おまけみたいなものだった。それにメダルがついてきた、みたいなものです」と森末さん。オリンピック後についてはこんなことをおっしゃっていました。「オリンピックが終わった次の日にもう辞めたかったんです。引退しますって言いたかったんですけど、そうはなかなか(笑)。次の日に辞めたかったんですけど、まぁ1年間はとりあえずやらして頂いて。でも、体操競技で一番楽しい1年間だったね。プレッシャーのない」
そして、引退した森末さんは芸能活動をスタート。そのきっかけについてはこう話してくれました。
「オリンピックが終わって第一陣で帰ってきて、フジテレビさんで第一陣のメダリストで番組をやって、打ち上げをやった会場がわたくしがいつも飲みに行くお店で。ちょっとダンスフロアがあったりなんかして、そりゃ歌いまくるでしょ。そしたらその時のディレクターとアレが、こいつ面白いやつだなって。で、引退すると言った時にすぐフジテレビさんから来て、ねぇねぇちょっとキャスターやってみない?っていうところが最初です」
「でも、その頃はしゃべれないから大変でしたよね。で、ちょこちょこテレビに出てると『笑っていいとも!』に、って話になってきたんです。でも『笑っていいとも』に出たいけど、その頃はアマチュア規定っていうのに引っかかってるから出ちゃいけないんですね」
それでも『笑っていいとも!』に出たかった森末さんは体操協会を辞めることに。「全部辞めたってどうすんの?て言われて、いやぁどうしましょうか、って言ったら、テレビの世界は興味ありますか?っていうんで、あります、じゃあとりあえず僕がやってる番組に出てください、っていうんで、所さんのただものではない!とかあの辺に出させていただいて。気が付くと31年間、芸能界にいるパターンですかね(笑)」
90年代には体操を題材にした人気漫画『ガンバ!Fly high』の原作を手がけた森末さん。「協会辞めちゃったじゃないですか。で、芸能界にどっぷり浸かっちゃったんですよ。体操にあんまり貢献してないんですよね。それで、体操で今のジュニアの子たちに一番取っ付きやすいものは漫画かと。で、漫画描きたいんだけど、って言ったら、わかったよ、つって言ってツテを通してくれて」。この作品は5年半に渡って連載され、TVアニメにもなりました。
そんな『ガンバ!Fly high』の影響で体操教室に行く子が増えたそうで、リオ・デ・ジャネイロ五輪で個人総合2連覇を達成したあの内村航平選手もこの作品の大ファンだったとか。「記者会見で、ライバル、憧れの選手はどなたなんですか?って記者の質問に、内村選手が(この作品の主人公の)藤巻駿です、って答えてくれたんです。そこから一気にマスコミがまたこっちにどんと向いてきちゃったんだね、これが(笑)」
また、最近は『アスリートクラブ』というサイトに動画を投稿し、軽いストレッチで肩こりや腰痛を改善するための方法などをアドバイスしている森末さん。「ただのストレッチでも一手間加えるだけでまた筋の伸び方が違ったりとかね」とおっしゃっていました。東京海上日動のFacebookページでも、期間限定で特別バージョンをお届けしているので是非チェックしてください。
最後に、森末さんにとっての挑戦について伺うとこんな答えが返ってきました。
「やっぱり一番は夢を持つことじゃないですか。小学生なんかにはよく言います、一番は好きになりなさいって。好きなことをやってるから続けられる。努力っていう言葉は、なんか頭の中に、多少イヤなことも我慢してやってきたから努力っていう言葉があるような気がして。僕の中に努力ってないんですよ。だって全部好きなんだもん。やってることが楽しくてしょうがないんだもん。だから、努力したっていう意識は何もないです」