五輪金メダリストの森末慎二さんが体操を始めたきっかけとは(2016/08/06 放送)
今週は、ロサンゼルス五輪の金メダリスト、森末慎二さんをお迎えしました。
1957年生まれの森末さん。子供の頃から目立ちたがり屋だったそうで、たまたまテレビで見た体操競技の大車輪や宙返りを見て、これを小学校の鉄棒でやれば目立つ!と思ったのが体操を始めるきっかけだったとか。
「でもね、みんな野球やっててね、逆に変わった意味で目立ってた(笑)」。そして、小学校3年生で逆転の大車輪、5年生で順転の大車輪、6年生で宙返りを独学でマスター。小学生の時にお母様から「そんなに鉄棒が好きなら鉄棒でオリンピックに行きなさい」と言われたんだとか。
「そしたら僕、オリンピック自体があんまりわかってないから、おふくろに、オリンピックちゅうやつに出ると目立つか?って聞いたの。そしたら、おふくろが目立つって言ったもんだから、小学校3年生ぐらいに、じゃあオリンピックに行こうって」
ただ、その頃は競技としての体操をやっていたわけではなかったようで、中学にも体操部がなく、いわゆる帰宅部だったとか。でも、高校ではちゃんと体操競技をやりたいということで、両親にお願いして地元・岡山の強豪、関西(かんぜい)高校に進学したそうです。
「まぁ、これが大変だったですよね。1年間365日あるうちの364日練習ですから。夏休みなんか地獄ですよ。夏の合宿が終わった時点で14名いた部員が半分減りましたもん」。それまで自分で好きに体操をやっていた森末さんは、組織化された体操部の練習が嫌いだったそうですが、それでも辞めませんでした。
体操部を続けた理由について「次の日から鉄棒に飛びつけなくなるのがイヤだった」と森末さん。鉄棒の魅力についてこう語ってくれました。「小学校の時から飛ぶ夢をよく見るんですよ。自分で羽ばたいて。その感覚が近いんじゃないの?最後の宙返りのバーンと上に浮いた瞬間って空中に浮いているのね。飛んでる感覚。あのまんまパタパタパタと飛びたいんだけど(笑)それはできないでしょ。だから、人よりも高く!高く!って飛びたくなっちゃう」
厳しい練習に耐えた森末さんは、高校2年でインターハイと国体に出場。その時ほかには誰もできなかった「三回ひねり」という技を持っていたそうで、インターハイでは鉄棒で優勝します。そして、高校3年生の時には個人総合の優勝候補になりますが…。
「まぁ、見事に失敗しましたね。駒沢の体育館でやってたんですけどね。いまだに覚えてますよ。もうボロボロ。まぁ、プレッシャーに負けたんでしょうね。でも、鉄棒だけはとりあえず2連覇して」
高校卒業後は日本体育大学に進学。「もう笑っちゃうような体育会よ。あの時は体操部が1学年100人いましたから」。そんな中でも頭角を現していった森末さんですが、さぁ頑張るぞ!という3年生の春に左のアキレス腱を切ってしまったそうです。
そして、その数日後に靭帯断絶で同じ病室に入ってきたのが、ロサンゼルス五輪で金メダリストになる先輩の具志堅幸司さん。具志堅さんは手術の3日後から早くもベッドの上で上半身を鍛えるトレーニングを始めたそうで、それを見た森末さんも病院でずっと筋トレをしていたんだとか。
1957年生まれの森末さん。子供の頃から目立ちたがり屋だったそうで、たまたまテレビで見た体操競技の大車輪や宙返りを見て、これを小学校の鉄棒でやれば目立つ!と思ったのが体操を始めるきっかけだったとか。
「でもね、みんな野球やっててね、逆に変わった意味で目立ってた(笑)」。そして、小学校3年生で逆転の大車輪、5年生で順転の大車輪、6年生で宙返りを独学でマスター。小学生の時にお母様から「そんなに鉄棒が好きなら鉄棒でオリンピックに行きなさい」と言われたんだとか。
「そしたら僕、オリンピック自体があんまりわかってないから、おふくろに、オリンピックちゅうやつに出ると目立つか?って聞いたの。そしたら、おふくろが目立つって言ったもんだから、小学校3年生ぐらいに、じゃあオリンピックに行こうって」
ただ、その頃は競技としての体操をやっていたわけではなかったようで、中学にも体操部がなく、いわゆる帰宅部だったとか。でも、高校ではちゃんと体操競技をやりたいということで、両親にお願いして地元・岡山の強豪、関西(かんぜい)高校に進学したそうです。
「まぁ、これが大変だったですよね。1年間365日あるうちの364日練習ですから。夏休みなんか地獄ですよ。夏の合宿が終わった時点で14名いた部員が半分減りましたもん」。それまで自分で好きに体操をやっていた森末さんは、組織化された体操部の練習が嫌いだったそうですが、それでも辞めませんでした。
体操部を続けた理由について「次の日から鉄棒に飛びつけなくなるのがイヤだった」と森末さん。鉄棒の魅力についてこう語ってくれました。「小学校の時から飛ぶ夢をよく見るんですよ。自分で羽ばたいて。その感覚が近いんじゃないの?最後の宙返りのバーンと上に浮いた瞬間って空中に浮いているのね。飛んでる感覚。あのまんまパタパタパタと飛びたいんだけど(笑)それはできないでしょ。だから、人よりも高く!高く!って飛びたくなっちゃう」
厳しい練習に耐えた森末さんは、高校2年でインターハイと国体に出場。その時ほかには誰もできなかった「三回ひねり」という技を持っていたそうで、インターハイでは鉄棒で優勝します。そして、高校3年生の時には個人総合の優勝候補になりますが…。
「まぁ、見事に失敗しましたね。駒沢の体育館でやってたんですけどね。いまだに覚えてますよ。もうボロボロ。まぁ、プレッシャーに負けたんでしょうね。でも、鉄棒だけはとりあえず2連覇して」
高校卒業後は日本体育大学に進学。「もう笑っちゃうような体育会よ。あの時は体操部が1学年100人いましたから」。そんな中でも頭角を現していった森末さんですが、さぁ頑張るぞ!という3年生の春に左のアキレス腱を切ってしまったそうです。
そして、その数日後に靭帯断絶で同じ病室に入ってきたのが、ロサンゼルス五輪で金メダリストになる先輩の具志堅幸司さん。具志堅さんは手術の3日後から早くもベッドの上で上半身を鍛えるトレーニングを始めたそうで、それを見た森末さんも病院でずっと筋トレをしていたんだとか。
「身長170センチ、体重58キロぐらいのヒョロ〜っとした選手だったんですけど、2ヶ月後、退院する時は体重66キロ。上半身に8キロの筋肉がつきまして。そこで体操が変わったんでしょうね。で、1年間どうせ試合も出れないからということで、苦手な鞍馬を基本からもう1回やり直して」
ところが、1年たって、さぁ行けるぞ!という時にまた試練が訪れます。今度は右のアキレス腱…。「この時に思いました。辞めようって。あ、もう俺、体操を神様が辞めなさいって言ってんだなって」。しかし、その時の日体大の監督で、その後オリンピックの監督にもなる阿部和雄さんが森末さんの病室を訪れ、「森末、これで両足おんなじになったな!」という言葉をかけてくれたんだとか。
「は?と思って。でも、よく考えると、そうか、左足は現状は治っているんだ。ってことは、1年後は右足も治るんだ。これで両アキレス腱を切ってバランスもとれた。ああ、そうかおんなじになったんだって。で、手術終わった3日後ぐらいに自分で筋トレを始めました」
来週も引き続き、森末慎二さんをお迎えして、ロサンゼルス五輪のお話などを伺います。お楽しみに!