早稲田、アナウンサーそして弁護士、菊間千乃さんの挑戦!(2016/07/09 放送)
今週は、弁護士の菊間千乃さんをお迎えしました。
95年にフジテレビにアナウンサーとして入社し、約13年間務めたという菊間さん。小学校6年生の卒業アルバムですでに「将来の夢はフジテレビのアナウンサー」と書いていたそうですが、小さい頃からフジテレビに憧れていたきっかけは、お父様が八王子実践高校のバレーボール部の監督さんだったことだとか。
「フジテレビが『春の高校バレー』っていう番組を放送していて、小さい時から父がテレビに出てたんですね。父がアナウンサーの方にインタビューされてるのとかを観ててテレビに興味を持ったのと、あと全国から生徒さんを集めるので週に1回しかうちの父は家に帰ってこないんですね。生徒さんと寮生活してて。どこかで父親と会話をするにはバレーボールを自分が学んだりしないと対等に話ができないんじゃないかっていう。いない分憧れみたいなものもあって。だから、フジテレビに入る時も“父の優勝監督インタビューやりたいです”って言って入ったんですけど」
大学は早稲田大学に進学した菊間さんですが、その理由も、久米宏さん、田原総一朗さん、筑紫哲也さん、大橋巨泉さん、タモリさんといったテレビで活躍している人たちが早稲田出身だったからだそうです。「で、早稲田の良さを語るんですよ、みなさんが。そういうの観てたら、早稲田に行ったらそれで一歩近づくんじゃないか、あと面白い人がたくさんいるんじゃないかっていう思いがあって。それもブレなかったですね」
ただ、実際に入った早稲田大学は「意外と普通」だったそうで、「ちょっと違う…」と感じるような出来事もあったとか。「初めてのクラスで女の子が5人いたんですね。2人は推薦だって言うんですよ。で、私は一浪して入ってるので。そこはもうガムシャラにやって入ったので。それで早稲田〜!って言って来たのに、推薦の子たちは、いや一番偏差値が高かったから〜学校の先生に勧められて、とか言って来てて。で、あとの2人もなんか、慶応に落ちたから、みたいな凄い否定的な理由で入ってて、え?って思って…」
アナウンサーの試験に向けて、1分間で起承転結のある話をできるようにとネタ帳を作っていたという菊間さん。「最終的には、どんな入り口で入っても自分の鉄板の話に持って行って落とすっていうののがやっぱり基本」だとおっしゃっていました。「それで確実に笑いをとって受かったんです(笑)」。フジテレビとTBSの試験を受けて2つとも受かったというから凄いですよね。
また、大学時代には、警備員から引っ越し、交通量調査から家庭教師やNHKの番組のADまで、何十種類ものアルバイトを経験したそうですが、それもアナウンサーになるため。
「アナウンサーになったらいろんな人と会うじゃないですか。大学に入った時に同じような環境で育ってきた人ばっかりいたからそれにちょっと驚いて、いろんな人と知り合わないといろんな言葉が引き出せないなって思ったので、なるべく大学生がいないバイトっていうことで警備員を選んだりとか。そういう人のところに行って、早稲田大学の〜なんて言ったって関係ない、そんなことじゃなくて菊間千乃っていう人間で話が成立するかどうかだから。なんか揉まれたかったんですよ。で、そういうのも私の中では一応、アナウンサー試験対策」
95年にフジテレビにアナウンサーとして入社し、約13年間務めたという菊間さん。小学校6年生の卒業アルバムですでに「将来の夢はフジテレビのアナウンサー」と書いていたそうですが、小さい頃からフジテレビに憧れていたきっかけは、お父様が八王子実践高校のバレーボール部の監督さんだったことだとか。
「フジテレビが『春の高校バレー』っていう番組を放送していて、小さい時から父がテレビに出てたんですね。父がアナウンサーの方にインタビューされてるのとかを観ててテレビに興味を持ったのと、あと全国から生徒さんを集めるので週に1回しかうちの父は家に帰ってこないんですね。生徒さんと寮生活してて。どこかで父親と会話をするにはバレーボールを自分が学んだりしないと対等に話ができないんじゃないかっていう。いない分憧れみたいなものもあって。だから、フジテレビに入る時も“父の優勝監督インタビューやりたいです”って言って入ったんですけど」
大学は早稲田大学に進学した菊間さんですが、その理由も、久米宏さん、田原総一朗さん、筑紫哲也さん、大橋巨泉さん、タモリさんといったテレビで活躍している人たちが早稲田出身だったからだそうです。「で、早稲田の良さを語るんですよ、みなさんが。そういうの観てたら、早稲田に行ったらそれで一歩近づくんじゃないか、あと面白い人がたくさんいるんじゃないかっていう思いがあって。それもブレなかったですね」
ただ、実際に入った早稲田大学は「意外と普通」だったそうで、「ちょっと違う…」と感じるような出来事もあったとか。「初めてのクラスで女の子が5人いたんですね。2人は推薦だって言うんですよ。で、私は一浪して入ってるので。そこはもうガムシャラにやって入ったので。それで早稲田〜!って言って来たのに、推薦の子たちは、いや一番偏差値が高かったから〜学校の先生に勧められて、とか言って来てて。で、あとの2人もなんか、慶応に落ちたから、みたいな凄い否定的な理由で入ってて、え?って思って…」
アナウンサーの試験に向けて、1分間で起承転結のある話をできるようにとネタ帳を作っていたという菊間さん。「最終的には、どんな入り口で入っても自分の鉄板の話に持って行って落とすっていうののがやっぱり基本」だとおっしゃっていました。「それで確実に笑いをとって受かったんです(笑)」。フジテレビとTBSの試験を受けて2つとも受かったというから凄いですよね。
また、大学時代には、警備員から引っ越し、交通量調査から家庭教師やNHKの番組のADまで、何十種類ものアルバイトを経験したそうですが、それもアナウンサーになるため。
「アナウンサーになったらいろんな人と会うじゃないですか。大学に入った時に同じような環境で育ってきた人ばっかりいたからそれにちょっと驚いて、いろんな人と知り合わないといろんな言葉が引き出せないなって思ったので、なるべく大学生がいないバイトっていうことで警備員を選んだりとか。そういう人のところに行って、早稲田大学の〜なんて言ったって関係ない、そんなことじゃなくて菊間千乃っていう人間で話が成立するかどうかだから。なんか揉まれたかったんですよ。で、そういうのも私の中では一応、アナウンサー試験対策」
そして、そういった経験は実際に『めざましテレビ』の中継で生きたそうです。
「あれ、番組は朝の5時からなんですけど、朝の3時ぐらいにもうお邪魔するんですね。で、最初みなさんテレビだって喜んでても、そんな早くから来るのか…ご近所にも迷惑かけるし…みたいな感じでけっこう不機嫌な方が多いわけですよ(笑)。でも、その方の方の一番良い顔で出ていただいた方がいいじゃないですか。だから、会った瞬間から盛り上げていくわけですよね。中継始まるまでに。そういう時に、ぱっと会った瞬間に受け入れてもらえるような人じゃないとたぶんアナウンサーは難しいと思ってて、そういう意味でいろんな人と知り合うっていうのを大学生の時にやってたことがあの仕事の時に凄く生きました」
「アナウンサーは凄い楽しかったですね」という菊間さんですが、アナウンサーになってすぐの頃、「将来やってみたいことはありますか」という質問に「司法試験」と書いていたそうです。
「28才で結婚しようって思ってたんですね(笑)。それは別に相手がどうとかじゃなくて、28で結婚して30で一人目を産んで、32で2人目を産もうって人生設計を立てたんです。当時はアナウンサーは産休とか入ると、ま、結婚したらですね、一線をちょっと退くっていうような時代だったので、そうすると28,9で一線を退くだろうなと」
「フジテレビ大好きだったので一生いたかったんですよ。で、一生いるためにはアナウンサーとして自分に何か付加価値をつけないとそれは若い人に負けるわけだから。じゃあ産休中に勉強しようと。子育てしている間に司法試験の勉強をして、受かって、戻って。で、アナウンサーじゃなくても報道の記者とか、なにか別な形でテレビ局に残りたいなっていうことを思って」
最後に菊間さんはこんなことを話してくれました。「努力した先にゴールがある、みたいな。やっぱあれが好きだったから、自分でゴールを設定して、そこに向かって…それを考えるのが一番楽しいんだと思うんですけど。私はいっつも先にゴールを決めるんです。で、そのゴールと今の自分との間をどういうふうに自分なりに駆け上っていくか。一般的な王道ルートがあったとして、それはちょっと自分に無理だなと思ったら、でも裏から回れるはず、とか、違う道があるはず、って。その最中が凄く楽しい。達成した先のゴールに喜びが待ってるって思うと辛いじゃないですか。私はだからここを作ること自体も楽しもうって」
↓こちらは菊間さんの著書『私が弁護士になるまで』