お母さんから再びアーティストに!岸谷香さん語る(2016/06/25 放送)
今週は、岸谷香さんをお迎えしました。
数々のヒットを放ったPRINCESS PRINCESSが96年に解散し、俳優の岸谷五朗さんとご結婚。恵さんと初めて会ったのはプリプリ時代、まだ旧姓の奥居香さんだった頃だそうです。その後、ソロ活動やバンドの再結成などを経て、5月に10年ぶりのオリジナル・アルバム『PIECE of BRIGHT』をリリースしましたが、これほど間が開いたのは母親業が忙しかったからだとか。
「産むと“お母さん”っていう生き物になっちゃうんですよね(笑)。なんかあんなに音楽!音楽!ってやってたのにもうすっかり音楽のこと忘れちゃって。もう2人の子たちは日々大変で…」
このままお母さんとして一生を終わるのもこれはこれで幸せなことなんじゃないかな、とも思っていたという岸谷さんですが、2012年に東日本大震災の復興支援のためにPRINCESS PRINCESSを再結成し、「こんなに楽しいことがあったな」と音楽の楽しさを思い出したそうです。
結婚した時、五郎さんに「子供が出来ても何が起こっても私から音楽だけは取り上げてくれるな」とお願いしていたという岸谷さん。でも、本人はそう言ったことをすっかり忘れていたんだとか。一方、五郎さんの意思で主婦をやっていると思っていた人もいたようで、「奥さん歌わせてあげなよ」「いやいや、勝手に家にいるんだよ」なんてこともあったとか。
「ママちゃん友達もたくさんできたし、結果的にそのママちゃん友達がみんな協力してくれて再結成も成立したし、ホントに普通にジャスコとかイトーヨーカドーとかにも買い物に行ってたし、子供たちは逆に私が過去そういう活動をしてたってのも再結成まではろくすっぽ知らなかったぐらいだったので驚いてましたけど。だから、そこまでやったから満足して次にいけたっていうのもあるのかもしれないですね」
2012年は大晦日の紅白歌合戦までプリプリの活動、2013年は一転して息子さんが受験だったそう。「で、なんか去年はやたら私笑ってたなぁと思ったんですよね」「やっぱり音楽があって、音楽を通して人と出会って、やっぱり刺激的ですよね、毎日。で、凄い楽しくて。だから、笑ってたって印象が残ってるんだなって思って」。そして、息子さんの受験が落ち着いたらまた音楽をやりたいと思ったんだとか。
そして、岸谷さんは今回の新しいオリジナル・アルバムへの思いをこう語ってくれました。「いろんなアーティストの形ってあると思うんですけど、現役である以上、過去のものだけではなくて、今何を考えて今どんなメッセージを世に発しているのかっていう、それがないと私は現役のアーティストではないっていう自分の思いがあって。で、やっぱりもう一度音楽を始めるっていうことは、新しいアルバム、新譜だって思ったんですよね」
数々のヒットを放ったPRINCESS PRINCESSが96年に解散し、俳優の岸谷五朗さんとご結婚。恵さんと初めて会ったのはプリプリ時代、まだ旧姓の奥居香さんだった頃だそうです。その後、ソロ活動やバンドの再結成などを経て、5月に10年ぶりのオリジナル・アルバム『PIECE of BRIGHT』をリリースしましたが、これほど間が開いたのは母親業が忙しかったからだとか。
「産むと“お母さん”っていう生き物になっちゃうんですよね(笑)。なんかあんなに音楽!音楽!ってやってたのにもうすっかり音楽のこと忘れちゃって。もう2人の子たちは日々大変で…」
このままお母さんとして一生を終わるのもこれはこれで幸せなことなんじゃないかな、とも思っていたという岸谷さんですが、2012年に東日本大震災の復興支援のためにPRINCESS PRINCESSを再結成し、「こんなに楽しいことがあったな」と音楽の楽しさを思い出したそうです。
結婚した時、五郎さんに「子供が出来ても何が起こっても私から音楽だけは取り上げてくれるな」とお願いしていたという岸谷さん。でも、本人はそう言ったことをすっかり忘れていたんだとか。一方、五郎さんの意思で主婦をやっていると思っていた人もいたようで、「奥さん歌わせてあげなよ」「いやいや、勝手に家にいるんだよ」なんてこともあったとか。
「ママちゃん友達もたくさんできたし、結果的にそのママちゃん友達がみんな協力してくれて再結成も成立したし、ホントに普通にジャスコとかイトーヨーカドーとかにも買い物に行ってたし、子供たちは逆に私が過去そういう活動をしてたってのも再結成まではろくすっぽ知らなかったぐらいだったので驚いてましたけど。だから、そこまでやったから満足して次にいけたっていうのもあるのかもしれないですね」
2012年は大晦日の紅白歌合戦までプリプリの活動、2013年は一転して息子さんが受験だったそう。「で、なんか去年はやたら私笑ってたなぁと思ったんですよね」「やっぱり音楽があって、音楽を通して人と出会って、やっぱり刺激的ですよね、毎日。で、凄い楽しくて。だから、笑ってたって印象が残ってるんだなって思って」。そして、息子さんの受験が落ち着いたらまた音楽をやりたいと思ったんだとか。
そして、岸谷さんは今回の新しいオリジナル・アルバムへの思いをこう語ってくれました。「いろんなアーティストの形ってあると思うんですけど、現役である以上、過去のものだけではなくて、今何を考えて今どんなメッセージを世に発しているのかっていう、それがないと私は現役のアーティストではないっていう自分の思いがあって。で、やっぱりもう一度音楽を始めるっていうことは、新しいアルバム、新譜だって思ったんですよね」
そんなニューアルバム『PIECE of BRIGHT』では、トライセラトップスの和田唱さんと2曲を共作。岸谷さんはトライセラトップスがデビューした頃に「FEVER」などの曲を聴いて「私の作る曲とどっか似てる。絶対この人とはどっか似てるはずだ」と思っていたんだとか。そして、プリプリが再結成した時に共通のスタッフを通じて再会し、今回の共作に繋がったそうです。
今回の和田さんとの共作は、2人でやりとりしつつ少しずつ作っていたんだとか。「あなたが詞、私が曲とかじゃ普通だから、交換日記みたいにちょっとずつ作っていこうって。iPhoneで“ミラーボール”のイントロから出だしぐらいをちょっと歌って送って、その先作ってよ、とか言って」
「そもそも私は別にプロの音楽家になりたいとかいう志を持って挑戦してたわけではなくて」と岸谷さん。厳しいご両親だったようで、PRINCESS PRINCESSを始める時も「図書館に行ってきます」と嘘をついてバンドのオーディションを受けに行き、合格してから「受かっちゃたんですけど…」と打ち明けたそう。当然ご両親は猛反対で、ギリギリまで認めてもらえず、「だったら大学出てからまだやりたければやりなさい」みたいな感じだったとおっしゃっていました。
「まぁ最後の最後には、じゃあこれは学校のクラブ活動の延長だと思って2,3年許してあげます、と。だけど、そんな世の中甘くないんだから、そう簡単にそんなもん急に大成功するわけない。きっと残念な結果に終わるんだから、そしたらあなたはまだ16だから間に合うから大学に行きなさい、って言われて。はい、わかりました。必ず大学に行きます、って言って、赤坂小町(改名前のPRINCESS PRINCESS)を始めたわけですよ」
また、岸谷さんはご両親とのこんなエピソードも話してくれました。「うちの親は…私すごい整理整頓が苦手で、部屋がめちゃくちゃ汚かったんですね。で、汚い私の1部屋にピアノがあって、ギターがあって、録音機材があって。よくあんなゴミ溜めみたいな部屋で“M”とかあんな綺麗な曲を書いたわね。あなたどうかしてるんじゃないの。あなたが片付けられないのは病気よって」
そして、岸谷さんはこんなこともおっしゃっていました「子育てなんて、結局、私が死んだ時に、子供がお母さん自分は幸せだったありがとうって言えば成功、みたいな感じあるじゃないですか。だから、わからないけど、ただ思うことは、その時一番やりたいことをいつも選択してきたし、選択できる環境にあったってことを一番感謝しますね」
↓こちらが岸谷香さんのニューアルバム『PIECE of BRIGHT』
来週も引き続き、岸谷香さんをお迎えします。お楽しみに!