「ホントに嫌われました」松下由樹さんが振り返るドラマ『想い出にかわるまで』(2016/05/14 放送)
今週は、女優の松下由樹さんをお迎えしました。
松下さんが女優としてデビューするきっかけは、地元・名古屋が舞台となった1983年の映画『アイコ十六歳』のオーディション。当時まだ中学3年生、15才だった松下さんはテレビの学園ドラマなどを観て、「今の自分の生活よりもあっちの方が楽しそう」と役者に興味を持ち、この映画のオーディションを受けることにしたそうです。
松下さんが女優としてデビューするきっかけは、地元・名古屋が舞台となった1983年の映画『アイコ十六歳』のオーディション。当時まだ中学3年生、15才だった松下さんはテレビの学園ドラマなどを観て、「今の自分の生活よりもあっちの方が楽しそう」と役者に興味を持ち、この映画のオーディションを受けることにしたそうです。
約17万人が応募したというオーディションの結果、映画の主演は富田靖子さんに決まりますが、松下さんも富田さんのクラスメート役に。松下さんは初めての撮影を振り返って、「素人なのに、用意!スタート!カット!という心地よさと、できない悔しさとか、そういうのが凄く記憶に残ってます」とおっしゃっていました。
そんな初の撮影を経て、女優になるために上京し、東京の高校に通い始めた松下さん。しかし、身長が高かったことで、「ホームドラマの娘役としてはちょっと高すぎる」と言われることもあったそうです。
一方で、「身長があるからダンスをやってみるのはどうか」と勧められて、クラシック・バレエやジャズ・ダンス、タップ・ダンスのレッスンを受け、夏休みにはアメリカまでレッスンを受けに行ったとか。ちなみに、松下さんが今回選んでくれた曲は、当時ダンスのレッスンでも流れていたというマドンナの「Papa Don't Preach」でした。
そして、レッスンの成果で、ダンサーとしてNHKの番組『ヤングスタジオ101』への出演することになった松下さん。この番組では、田原俊彦さんなどと一緒に踊ったりしていたそうです。
「(下積みという)意識は全然ないですね。ダンスを習い始めて、自分でいろいろできるようになってきたりとかすると、表現の一つっていう捉え方をしてたんですよ。台詞を言うんじゃなくて、体で表現するのも表現の一つだっていう感じになって。で、できるようになってくると楽しいので」
しかし、ダンサーの仕事も楽しんでいたものの、やはり「いつになったらお芝居ができるのか」という想いもあったそう。「焦りはあったのかもしれないですけど、身になっているのも同時進行で来るので…」とその頃の心境について話してくれた松下さんでした。
そんな松下さんが初主演したドラマが1989年の『オイシーのが好き!』。藤井郁弥さんらとの共演で、最初に話を受けたマネージャーさんが「どちらの松下ですか?」と尋ねたというエピソードがあるぐらい、本人も周りも驚いた抜擢だったそうです。
「この時点でハタチぐらいになってますから、番組サイドがチャレンジだったと思います(笑)」と松下さん。仕事よりアフター5に力を入れるOLを演じた初主演作について、「もう楽しかったです。もちろん勉強にもなりましたし」と話してくれました。
そして、翌90年に大反響を呼んだのが『想い出にかわるまで』。このドラマで松下さんが演じたのは、姉(今井美樹さん)の恋人(石田純一さん)を奪う妹でした。「なんてことするんですかー」という恵さんのジョークに、「世の中の目線はそんな感じでした」と松下さん。このドラマの反応についてこんなことを話してくれました。
「ホントに嫌われました。こういうお仕事されている人たちからも嫌われましたし。役とおんなじなんじゃないか?っていうのとか(笑)。あと、嫌い!とか。あんな妹嫌い!みたいな。ドラマを観てみんなも感情移入してるので、ひどい奴だって」
この頃の松下さんは、嫌われ役だと計算してやっていたわけではなく、純粋に役に向かっていたので戸惑いもあったとか。また、周りの石田純一さんたちは「ここまでやっちゃうとちょっと可哀想だ」と言ってくれたそう。しかし、99年に同じ内舘牧子さん脚本のドラマ『週末婚』に出演した時、松下さんは、逆に思いっきり嫌われようという気持ちで役作りをして作品に向かい合う、そんなチャレンジをしたそうです。
松下さんは来月、三宅裕司さん率いる『熱海五郎一座』の公演、“熱闘老舗旅館『ヒミツの仲居と曲者たち』”に出演します。会場は東京の新橋演舞場。公演の詳細はこちらをご覧ください!
↓恵さんが持っているのが『ヒミツの仲居と曲者たち』のポスター
↓恵さんが持っているのが『ヒミツの仲居と曲者たち』のポスター