監督の家に下宿して…前園真聖さんが語る高校時代(2016/04/30 放送)
今週は、前園真聖さんをお迎えしました。
前園さんは、1973年、鹿児島県東郷町(現在の薩摩川内市)生まれの42歳。同じ鹿児島出身の恵さんとは、恵さんの前のマネージャーさんが現在の前園さんのマネージャーさん、という関係でもあるそうです。
お兄さんの影響で4才の時から「なんとなく、自然と」サッカーを始めていたという前園さん。お母様は厳しくてサッカーの練習をサボると怒られたそうで、可愛い女の子と遊びたくても遊べなかったそう。「だから、サッカーをしているところを好きな女の子に見に来てもらってそこで頑張る、みたいな」。そして、わざとその女の子がいる方向に寄って行ってプレーする、といった“小細工”もしていたとか。
「ホントにそのチームとか地域だけなんで。鹿児島市内に行くともっと強いチームとか上手い選手がいたんで、あんまり上手いっていう意識はなかったですね」と少年時代のことを話してくれた前園さん。高校は、自ら望んで名門・鹿児島実業高校へ進学。その理由は「鹿児島ではサッカーと言えば鹿実ですから、絶対そこでプレーしたい」というものでした。
中学3年の時に初めて県選抜に選ばれたという前園さんは、鹿児島実業に入った時のことをこう話してくれました。「自信というかやらないといけないと思ってました。親にもそういうふうにワガママを言って高校に行きましたし、ここで頑張んないと、っていう想いはありました。自信はなかったですね」「なんとかこの中でレギュラーつかむ!とかそういう想いはありました」
前園さんは、1973年、鹿児島県東郷町(現在の薩摩川内市)生まれの42歳。同じ鹿児島出身の恵さんとは、恵さんの前のマネージャーさんが現在の前園さんのマネージャーさん、という関係でもあるそうです。
お兄さんの影響で4才の時から「なんとなく、自然と」サッカーを始めていたという前園さん。お母様は厳しくてサッカーの練習をサボると怒られたそうで、可愛い女の子と遊びたくても遊べなかったそう。「だから、サッカーをしているところを好きな女の子に見に来てもらってそこで頑張る、みたいな」。そして、わざとその女の子がいる方向に寄って行ってプレーする、といった“小細工”もしていたとか。
「ホントにそのチームとか地域だけなんで。鹿児島市内に行くともっと強いチームとか上手い選手がいたんで、あんまり上手いっていう意識はなかったですね」と少年時代のことを話してくれた前園さん。高校は、自ら望んで名門・鹿児島実業高校へ進学。その理由は「鹿児島ではサッカーと言えば鹿実ですから、絶対そこでプレーしたい」というものでした。
中学3年の時に初めて県選抜に選ばれたという前園さんは、鹿児島実業に入った時のことをこう話してくれました。「自信というかやらないといけないと思ってました。親にもそういうふうにワガママを言って高校に行きましたし、ここで頑張んないと、っていう想いはありました。自信はなかったですね」「なんとかこの中でレギュラーつかむ!とかそういう想いはありました」
サッカー部には最初、100人もの部員がいたそうで、前園さんは監督の家に下宿していた10人のうちの一人だったとか。もちろん練習は厳しく、白いTシャツにマジックで名前を書いた1年生は、声出しと球拾いからスタート。4軍制で、最初は練習すらできず、練習試合などで結果を出すと少しづつ上にいける、というシステムだったそうです。
また、監督の家の2階での下宿生活について、前園さんはこんなふうに話してくれました。
「イヤでしたよ、もう。だって、監督に毎日練習で会ってるのにまた下にもいるし、門限もあるし、男子校だし、なんにもできないですから。帰って休めるならいいんですけど、2年生、3年生の練習着とかを洗ったりしたら、寝るのはもう1時過ぎなんですよ。あと、スパイクを磨いたりとか。で、1時過ぎに寝るじゃないですか。もう6時に起床ですから。それが毎日ですから。朝練があって」
そして、1年生の最後にレギュラーになったという前園さんですが、それでも自信満々という感じではなかったようで、こんなことをおっしゃっていました。「2年の年に初めて全国大会でベスト4に入ってから、全国を見た時に、あ、俺もある程度もしかしたらいけるかな?っていうのは少し感じましたけど」
前園さんが鹿児島実業の厳しい環境の中でも挫けずに頑張っていけた理由は、まずサッカーが好きだったこと、もっと上手くなって大きな舞台で活躍したいと思っていたことだったそう。また、小さい頃から応援してくれてきてくれたお母様や、サッカーへの夢破れたお兄さんへの想い、あとは一緒に頑張っている仲間たちの存在も大きかったとおっしゃっていました。
「レギュラーになれない生徒でも3年間ずっと辞めないで、例えばマネージャー的なことでずっと支えてくれたりとか」「基本はやっぱり試合に11人で出たいですからね。ベンチで満足している選手はいないですし、そこで支えてくれている人っていうのはやっぱり励みになりましたね」
鹿児島実業は、前園さんが1年の時に全国でベスト8、次の年は準優勝、3年生の時もベスト8に入ったそう。そして、3年生の時にプロからスカウトされた前園さんは、Jリーグが始まる1年前の92年に横浜フリューゲルスに入団します。
来週も引き続き、前園真聖さんをお迎えして、プロ入り後のお話などを伺います。お楽しみに!