「落ちぶれたかどうかは俺が決める」ヒロミさんのこの10年(2016/04/16 放送)
今週は、ヒロミさんをお迎えしました。
1965年2月13日生まれで、恵さんとは同学年のヒロミさん。東京の八王子に生まれ育ち、友達もたくさんいて毎日楽しく過ごしていたそうですが、「楽しすぎて、これ、ロクな人間になんねえな」「将来を凄い考えたわけじゃないんだけど、このままここにいたらダメな人間になっちゃいそうな気がする」という思いから、八王子を出たんだとか。
1965年2月13日生まれで、恵さんとは同学年のヒロミさん。東京の八王子に生まれ育ち、友達もたくさんいて毎日楽しく過ごしていたそうですが、「楽しすぎて、これ、ロクな人間になんねえな」「将来を凄い考えたわけじゃないんだけど、このままここにいたらダメな人間になっちゃいそうな気がする」という思いから、八王子を出たんだとか。
そして1986年に、デビット伊東さん、ミスターちんさんと共に『B-21 SPECIAL』を結成。元々、ビートたけしさんなどのお笑いが好きだったというヒロミさんですが、自分でもやろうと思ったのは、ホストクラブで働いていた時、お客さんに「面白いねー。お笑いとかやればいいのに」と言われたことがきっかけだったそうです。
そして、そのお客さんが紹介してくれたのが、漫才師の星セントさん。B-21 SPECIALという名前をつけたのは、セントさんだったそう。デビット伊東さんとミスターちんさんは、同じホストクラブでNO.2とNO.3の人気で、ヒロミさんが一緒にお笑いをやろうと声を掛けたんだとか。
恵さんが初めてB-21 SPECIALを観たのは、ご自身やダチョウ倶楽部なども出演していた六本木の『バナナパワー』というショーハウスだったそう。時はバブルまっただ中。『バナナパワー』では、お客さんにパイを売ってそれをステージに並んだ演者たちにぶつけて鬱憤を晴らしてもらう、という企画もやっていたんだとか。
恵さんは当時のことをこんな風に話してくれました。「最初に、見学さしてくださーい、ってヒロミたちが来たのを凄く覚えてて。気がついたらヒロミたちはB-21 SPECIALのスカジャンかなんか作ってやってたじゃん。その年のバナナパワーの忘年会でーすっていう時にはもうすでにB-21が司会なんだよ」
ヒロミさんは、打ち上げのビンゴゲームなどの司会なども120%の力でやっていたそうで、レギュラー番組を勝ち取り、芸能界でのし上がっていくことを楽しんでいたようです。
「前説やったりとか、打ち上げの司会やったりとかっていう時に、ここで、偉そうなプロデューサーとかをいじって笑いをとって、お前おもしれえなっていう、テレビではないところで勝ち取る、みたいなのが俺は好きだったんだよね。すっげえ挑戦」「何の根拠もないんだよ。ホントに。若い時の根拠のない自信って素晴らしいと思うよね」
昨年、『いい訳しない生き方。』という本を出したヒロミさん。2004年ぐらいから徐々にテレビへの出演が減っていきますが、それ以降のことをこんな風に話してくれました。
「それなりのところにいるんだけど、あれ、なんか俺多少薄いな?っていうのを感じるじゃんか。こんな感じになるんだったらもういねえほうがいいなと思って。仕事が減ってくとかなんだとか、ヘンな落ちぶれた感とか全然なかったんだよね。よく頑張りました、みたいな。北島康介の気持ちですよ。悔いなし」
「何やっても俺、生きていけちゃうから、別にテレビじゃなくても大丈夫ですよ〜、なんていう、ホントにくだらない、なんの根拠のない。で、加圧(トレーニング)とかね。トレーニングよくやってたから、じゃあトレーニング・ジムでもやろうかなとか」
「バブルが弾けても芸能界ってちょっと引きずってたから。で、やっとホントの不景気って感じたのが2004年頃なの。で、不景気になった時に、ヒロミさん、もうちょっとおとなしくできない?とかよく言われたのね。いやぁ、やりようがわかんねえなぁ、とかね。もうそういう時代じゃないんだよ、って。俺行くと、ホントに壊しにかかるから。それで、俺できねえなって言ってたら、やっぱりそうなってって。まぁいいや、つって」
「世の中不景気の時に、俺そういう事業やったりとかして。大変だったし、でも凄い面白かったよ。ヘンな話、芸能界って、くだらないこと話してお金くれるわけだから。芸能界ってやっぱりちょっと額が違うじゃんか。でも、事業なんてさ、何十人もいて全員でかかるわけじゃんか。それで、こんな人数でこんだけやっても、えっ、こんななんだ…とかっていうのも最初は思ったけど。でも、そん中でやってるとそれが当たり前になるしね。うわっ、これ大変だなぁ、じゃあこうやって経費を節約しようとか、こうしようとか、ああしようとか、それはそれですげえ勉強になったし、面白かったし」
ヒロミさんはお金に関しては堅実で、これまでの30年間で一度も支払いが滞ったりしたことはなく、「借金をしてまで何かやろうとは思わない」そうです。また、若い時から生き急いできたので、10年間 芸能界を休んで「ちょうどいいんだよね」ともおっしゃっていました。
「テレビ出ないと落ちぶれたっていう感じがあるじゃんね。でも、俺の中では落ちぶれた感がないから。お前が決めんなよ!って感じだったわけ。街の人たちに、落ちぶれたかどうかは俺が決めるんで、お前が決めないでよ、ってずっと思ってたから。お前ねぇ、テレビ出てるのが偉いわけじゃないんだよ、俺喋ったってそこそこいけんだよ、って思いながら生きてたからね(笑)」
「休んでる間なんて全然辛い人生じゃないからね。どんだけ遊ぶんだ?ってぐらい遊んだから」
来週も引き続き、ヒロミさんをお迎えします。お楽しみに!
↓恵さんが持っているのが、ヒロミさんの著書『いい訳しない生き方。』